1章-2(1章終)
婚約の宴の翌朝。
宴の翌朝ということで、朝議は中止となっているが、仕事の虫のスーインのことだ、おそらく執務室にいるだろうとユーリは予測し、いつもの朝議の時間帯にユーリの執務室に向かった。
ノックをして扉を開く。
「スーイン様。いらっしゃいます?」
声をかけながら入室すると、果たしてスーインは執務室の中にいた。ただし、執務机の前ではなく、居間エリアの長椅子に腰かけていて、それに相対する一人掛け椅子にエリシアが座っていた。
「あらユーリ。姉様の仕事の虫は真似しちゃだめよ」
昨日はあれだけの出来事があったというのに、エリシアはより生き生きした印象で、にこやかにユーリに話しかけてきた。隣のスーインは、さすがに疲れた雰囲気で長椅子にもたれかかっている。
「ですが、やはり火の王が突然出てきたとなると……仕事の虫じゃなくてもここに来ざるを得ないといいますか...…」
ユーリはおずおずとエリシアに答える。
「それもそうね……姉様、ユーリの分のお茶を持ってくるわ」
お構いなく。と言う間もなく、エリシアは颯爽と去って行ってしまう。
「あの……エリシア様、お元気ですね」
半ば呆然と、独り言のようにスーインに語りかける。
「そうだな……自分を生かす場所を見つけた、ってことだろうな」
「は?」
あまりにも斜め上からの解答に、ユーリは思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、思わず口元を抑える。
「いやよい。気持ちは重々わかる……あの子も、所詮わらわの妹だったということだよ。心底、戦うことが好きなのだな」
ふっ、とスーインは短く息を吐くように笑った。
「好戦的なのは、右大公家の血筋だな」
それは、どういう?とユーリが問い返す前に、エリシアがお茶を持って戻ってきた。
「はい、ユーリ」
優雅にお茶のカップをユーリの前に置くと、好奇心で輝く顔をユーリに向ける。先ほどまで座っていた椅子に座り直すと、目を輝かせてエリシアはスーインに向き直った。
「姉様。ユーリが来たことだし、これから先の作戦会議、しましょう?」
さ、作戦会議?
思いもよらぬ言葉に、ユーリはそろそろ思考が追い付かなくなりそうな気がしてくる。
そんなユーリを見やったスーインは軽くめまいを感じ、思わず片手でこめかみを押さえた。
「ユーリ、あまり深く考えるでない……さて、そこのような書状が、昨日の宴の間に届いておったのだ」
というと、スーインはテーブルの上に置かれた書状を目で示す。
「拝見しても?」
スーイン、エリシアが重々しくうなずく。
手に取らなくてもわかる、水の国のものではないことが。
「火の国の書状ですか?」
「察しがいいの」
そっと書状を手に取り、静かに書状を開く。読み進めるうちに、ユーリの手が震え、その震えを受け取った書状がかさかさと音を立てる。
「こ、これはつまり……」
「属国になれ、と言っているのだろうの」
「まさかっ。
天の
エリシアの悲鳴のような声を受け、スーインは静かに口を開く。
「かの国は、進歩的になりすぎて、そんな天理などないという急進派が大多数になった、ということだろうの」
「殿下……どうされるおつもりで?」
「そんなの、聞くわけないじゃない!」
ユーリの問いに、スーインではなく、エリシアが荒々しく答える。
「まぁ待て、エリシア。聞かぬは道理じゃが、正式にこう来てしまった以上、天理ゆえ無理と、木で鼻をくくるような対応はできん」
「でもそれ以上、どういう対応を…?」
「使節団を受け入れよう。断るとしても、やつらの要求が法外で、天理に背いていると、知らしめないとならん。そうして、民の気持ちを火の国から離反させるのじゃ」
「そんなにうまくいくでしょうか?」
「民の気持ちより、身中の蟲の方が問題よっ」
「エリシア……それでは、民の気持ちを無視しているように聞こえるぞ。王妃になるのだから気をつけよ。つまり、民の気持ちの掌握はできるが、政権内部の膿をどうにかする方が優先だ、と言いたいのだな?」
「姉様…はいそうです。言い方には気をつけます。誇り高き水の民が属国を受け入れるはずがございません」
スーインはわかった、という目線を送ると言葉を継ぐ。
「内部の蟲は……どんな悪さをしているのだと思うのだ、エリシア」
「火の国と内通しているのだと思います」
「では、内通すると、“蟲”にはどのような益があるのじゃ」
「それは……」
エリシアが言葉に詰まる。
そうなのだ。
おそらく第二王女に毒を盛ったとみられるゼスリーアがカギを握っていると思われ、その彼女が火の国と内通していると考えるのは、筋が通る。
「ゼスリーアが火の国と内通してたときに、どんな見返りがあるかは想像しにくいのですが……」
けれど、人は必ずしも理屈や損得だけでは動くわけではない。それは、ユーリが一年前の事件で思い知ったことだ。わざわざユーリに手を伸ばし、王太子の座から引きずり下ろす愚行に出た侯爵家当主。なにもしなくとも王太子の座は弟に移るものなのに。
あの執拗な敵意は、損得などではなかったのだろう。とにかく「女が権力の座にいること」が許せなかった、ただその一点のみの、伝統にのっとった――滑稽であまりにもむなしい――妄執。
つまり、人は
「エリシア様、ゼスリーア様って、とにかく権力を握りたいタイプの方ですか?例えば、アスリーア様を差し置いてでも王后になりたい、と願ってしまうような」
「そうよ、そんなひと。……ユーリ、あなたゼスリーアを知っているの?」
「いえ、存じ上げません。『よくいる権力大好き』の性格類型から推測しただけですが……ただそうすると、大して得も動機もないけど、ゼスリーア様が火の国と内通した可能性もある、とは考えられませんか?」
「ユーリ、説明してみよ」
スーインの目の力が強くなる。
「いえあの」
スーインの強い目に押されて、口の中がカラカラになった感覚を覚えるが、ユーリは深呼吸して言葉をつなげる。
「単純に、『王后になりたい』という、ゼスリーア様の気持ちを火の国側が操っているだけってことはあるのではないかと……そうしますと、ゼスリーア様としては、王后になれるという得がありますし……その得をもたらしてくれるなら、水の国のものでも火の国のものでも別に誰でもよい、という論理は、ゼスリーア様の中では通るのではないか、と思うのです」
「なるほど。我々が少々考え過ぎなのかもしれないのだな。
単純に彼女が王后になれるだけでも得、と考えるべき、か」
「姉様……それに、それってすごくゼスリーアらしく聞こえるわ……」
ゼスリーアらしい、というのはつまり、自分の利益のためなら多少の不正にも手を染め、目的を達するということかしら?それは、アスリーアの語った「ゼスリーア像」とも一致するかもしれない、と考えたユーリは、一歩考えを進める。
「不確定な事実と、憶測で仮説を立ててしまいますけど……
仮にです。ゼスリーア様がご懐妊されているとします。そうしますと、ゼスリーア様は『自分の子を玉座に』とお考えになられるはず……だとしますと、アスリーア様所生のお子様方は『邪魔者』になりますので、排除しようとして、毒を盛ったと考えられないでしょうか」
「……まさか」
「……でも、ありえる」
筆頭貴族の一員として、王室を守ることは義務。害することなど考えるはずもない。それが筆頭貴族の常識……
だが、あのゼスリーアなら、「自分が世継ぎを生むのならいいでしょ」というとんでもない理論でその義務を乗り越えてくる、ということもあり得ることだ。
だからこそ、筆頭貴族の娘として育ったスーインとエリシアの声が、相反する言葉を紡ぎだし、部屋の中に反響させた。
「そのために影光草という毒の使い方を教えられて、引き換えに火の国に宴の情報などを漏らしている、と考えることもできますけど……でも、火の国側は、なんでわざわざゼスリーア様と通じるんでしょうね。セザリアン様ではなく……やっぱりそこは、わからないです」
「いや良い、ユーリ。よい推測であると思う。われらは、もしかしたら考えすぎるのかもしれん。火の国が何を考えているかは、想像しすぎてもよくない。ひとまず置いておこう。
――状況証拠的には、ゼスリーアと火の国のラインが一番きな臭い。昨日の宴に火の王が来たことも、ゼスリーアに聞いて現れた、と考えるのが妥当だろう」
冷め始めたお茶を一口、スーインはゆっくりと飲み、スーインは独り言のようにつぶやく。
「普通、王は益にならぬことを危険を冒してまでしないものだ……だが奴なら……」
飲んだカップをソーサーに置き、そのソーサーをテーブルに置く。
となりでエリシアが妙に苦い顔をしていることにユーリは気がついたが、それが何を意味するかまではわからなかった。
「まあよい。
エリシア。では、証拠集めを任せよう。ゼスリーアを見張るのだ。ただし証拠を取るのは暗衛に任せよ。ロン直下に限らず、サラ配下に助けを求めても構わん。サラには言っておく。
そのかわり、お前自身はアスリーアと友好関係を築け。得意だな?」
エリシアが重々しく頷くのを見届けると、次はユーリに向き直る。
「そなたは、火の国の使節団を迎える準備と、属国拒否を通すための条約案を考えよ。イフラームが手伝えるはずだ。
それから、アスリーアとの政治向きの連絡役を務めよ」
「承知つかまつりました」
身が引き締まる思いで返答すると、ユーリは立ち上がった。
「では、さっそく始めますね。明日にはイフラーム様に原案をお見せできるようにします」
颯爽と雪の王女は部屋を出ていった。
**
「元気ね、ユーリ」
それをそなたが言うか。そう思ったが、口には出さずにスーインはお茶を飲む。
「仕事をしていないと駄目なタイプだな……ま、我ら姉妹、みんなそうであろ?」
エリシアは、くすっと笑う。
「そのとおりね」
「それにしても左大公家、どこまで知っているのかしらね。わたくしは、ゼスリーアの暴走と見るけど」
「そうだろうて。さすがに、王子を害するなどは、あの左大公が許すはずがない」
その王子の生母が右大公家出身の姫ならば、黙認するだろうがの。という物騒なセリフは、かろうじて飲み込む。
「だが……セザリアンは知っているかもしれぬな。知ってて、ゼスリーアに加担した可能性は、否定しがたい」
セザリアン。非常に優秀で……でも残念ながら、優秀以外にとりえのない男。
ほんの少しの機転と想像力があれば、誰も敵わない存在になれたであろうに……
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