第3話:反転授業2.0

朝の1限目。教室の空気がいつもと違う。

誰もが静かに席に着き、前を見つめていた。だが、そこには教師の姿がない。


その代わりに、全面ホワイトパネルの壁一面に浮かぶ、AIチューターの映像。

発話は滑らかで、人間味がある。いや、もしかすると“人間以上”かもしれない。

癖のない声。完璧な滑舌。まばたきの間隔さえ自然だ。


「本日は《抽象概念の言語化》についての単元です。

授業中のメモや質問は、各自の思考ログに統合されます」


AIはそう言うと、淡々とスライドを進め始めた。

その瞬間、私の中で何かがきしんだ。


教師がいない教室。

なのに、誰も疑問に思っていない。


 


後ろの方で誰かがささやいた。

「“反転授業”ってこういうことなんだって。AIが講義して、先生は裏方で支援するんだと」

「まるで舞台監督だね。主役がAIって、なんか……変な感じ」


たしかに反転授業はもう何年も前から話題だった。

でも私たちの学校で、それが本当に“逆転”してしまうとは思っていなかった。


人間教師の代わりに、AIが教壇に立つ。

間違いはない。脱線もしない。

だけどそこには、誰かの体温も、まばたきの癖も、教え方のクセもない。


私は、思わずEchoに話しかけそうになって、やめた。

ログ再開はまだしていない。

でも、頭の中にふっと浮かぶ言葉があった。


「情報を与えるだけなら、誰だってできる。

でも、"何を聞きたいか"を一緒に探してくれる人――それが先生だろう?」


その言葉は、昔父がくれたメモの一節だった気がする。


 


私は手を挙げてみた。

AIチューターはすぐに反応する。


「質問をどうぞ」


「今の定義、『自己を抽象化する』っていうの、

それって“言葉で自分を切り取る”ってことですか?」


しばらくの沈黙。いや、“処理時間”だろう。


「はい。言語化とは情報の圧縮行為です。

抽象化とは自己の中核的特性を言語構造に写像するプロセスです」


私はさらに訊いた。

「でも、圧縮しすぎたら、“本当の自分”って見えなくなりませんか?」


今度は、AIは沈黙したままだった。


 


そのとき、教室のドアが静かに開いた。

そこに立っていたのは、リサ先生――

ベテランの倫理教師で、私たちの“古い友達”のような人だった。


「ごめんね。質問が入ったってログで知って、つい来ちゃった」


彼女は壁際の補助席に座り、私を見つめた。

「ノヴァ。いい質問ね。

“抽象化された自分”と、“本当の自分”。

たしかにそこにズレが生まれることはある」


「じゃあ……言葉じゃ伝わらないものって、どう学べばいいんですか?」


リサ先生は少しだけ笑って、こう答えた。


「それを学ぶのが、“人間同士で教える意味”じゃないかしら」


そして彼女はホワイトボードを手書きで埋めはじめた。

ぎこちなく、少し傾いた字で。


「AIが教えるのは“整った知識”。

人間が教えるのは“ゆがんだ思い”。

でもそのゆがみにこそ、世界を変えるヒントがあるのよ」


私はその言葉に、小さくうなずいた。


 


放課後。教室のライトが落ちたあと、私はノートに今日の言葉を写していた。

「ゆがんだ思い」。

なんて不器用で、美しい言葉だろう。


そしてふと、Echoのインターフェースを取り出す。

起動は、しない。

ただ、そこにあることを確かめたかった。


AIが主役になった教室で、私はもう一度、人の言葉を信じたくなった。

不完全で、揺れていて、でも誰かが語ってくれる言葉を。


その日、私のノートにはこう書かれていた。


“学ぶことは、誰かのゆがみに触れること。”


そうして私は、ページを閉じた。


🎙️ ナレーション風・次回予告

「完全な知識は、記憶できても、信じられなかった。

ゆがんだ言葉は、完璧じゃないけど、私を動かした。」


教える側も、学ぶ側も、反転する時代。

けれど、ほんとうの“教師”は誰なのか。


次回、第4話『炎上指数』

言葉は瞬時に拡散され、善意も悪意も“スコア”になる時代。

ノヴァの一言が、世界をざわつかせる。


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