第4話


 六時間目のあと、ホームルームが終わった。

「オレ、掃除当番やから、ちょっと遅れるわ」

 藤原は私の背中を突いてそう言うと、教室から出て行った。

 裏門に着いた私は、門の前の道を二~三十メートル歩いた場所で待った。この門は校舎からも部活の部室が入っている建物からも遠いので、ここを通って帰る生徒はほとんどいないけれど、念には念を入れた。

十分くらいたつと裏門から藤原らしき男子が出てきた。長身と色黒はこんな時わかりやすくて役に立つ。

藤原は左右を見て私に気づくと、まるで飼い犬がご主人様を見つけたみたいに嬉しそうに走り出した。黒くてデカいからドーベルマンみたい。

「ストーップ!」

 私が手を挙げて制すると、藤原が急停止した。なんか「おすわり!」と言いたくなってくる。

「わたしから五メートルくらい離れて、ついてきて」

 大声で指示すると、藤原が両腕を頭の上に上げて丸を作った。


 自宅マンションの入り口に着いて、私は後ろを向いた。

 五メートルほど離れたところで、藤原もきちんと立ち止まっている。

 駅前のマクドもスタバも絶対に誰かに見られる。二人で話していても誰にも見られない場所などいくら考えても思いつかず、灯台もと暗しと自宅を選んだ。いっしょに中に入らなければ、絶対に見つからない。

「私が中に入って、五分くらいしたら、三〇三を押して。開けたらエレベーターで上がってきて」

 さっき思いついた時にノートに書いておいた説明ページを、切り取って軽く丸めて、五メートル離れている藤原に向かって投げた。軽いせいか紙の玉は藤原の位置より大分逸れて飛んで行ったけれど、藤原が移動して見事にキャッチした。よしよし、お利口さんのドーベルマンだ。

紙の玉を広げて読んだ藤原が、また腕でオーケーサインを作ってみせた。

 私が自宅の玄関に入って数分たった頃に、玄関ベルが鳴った。ロビードアのカギを解除して、玄関のドアを開けた。廊下に誰もいないことを確かめて、藤原が上がってくるのを待ちながら、あいつ以外に誰も通らないことを祈る。

 エレベーターが開いて、藤原が降りてきた。

「早く! 早く!」

 私は手招きして急かした。

 初めは歩いていた藤原が、私の言う通りに廊下を走り出した。やっぱり、ご主人さまの「ダッシュ!」に従って走る大型犬みたい。

 藤原を玄関の中に入れて、もう一度、廊下が無人なのを確認してからドアを閉めた。

「あ~っ! 靴は脱がないで」

 既に片方のスニーカーを脱いでいた藤原が固まった。

「お母さんがパートから帰ってくる前に、ここで話すから」

「へ~い」

 藤原はふざけた声を出して、靴を履き直している。

 私はカバンからペットボトルのコーヒーを出して藤原に渡した。自分用のアイスティーも取り出す。両方とも、裏門前の道で待っている間に、自動販売機で買っておいた。買ったときはキンキンに冷えていたのに、今はちょっと温度が上がっている気がした。

私はドアのほうを向いて、玄関上の足マットに腰を下ろした。藤原も真似をして、私から二~三十センチ空けて隣に座った。

「どこまで話したっけ」

 カバンから筆談ノートを出して、めくりながら聞いた。

「誰かがノート貸してって言われて、彼氏が持ってるって言うたら、自慢すんなって叩かれた話まで」

「そうそう」

「いつからそんな騒ぎになってんの?」

「発端はちょうど一年前かな。入学して少しした頃、花音ちゃんが、中学からいっしょで仲良くしてた近ちゃんに、陰で悪口を言われてたのを知って、すごい怒って。この時はまだクラスのラインが出来てなくて、学年のラインですごい責めたの」

「待って。花音ちゃんて誰や? こんちゃんて?」

「ごめんごめん。中村花音ちゃんと、近藤綾香ちゃん」

「中村、近藤……と」

 ブツブツ言いながら、藤原はいつの間にか出していた自分のノートにメモしていた。

「他にも近ちゃんのことをよく思ってない子がいたみたいで、それに乗っかって、すごい近ちゃん叩きが始まって……。近ちゃんは学校に来なくなっちゃって、今もまだ不登校中なの」

「えーっ? ちょっとそれは、ひどいな」

 顔を上げた藤原は眉間にシワを寄せた。

「それからかな……。みんな、噂話とか悪口、自慢話に敏感になって。もし失言しちゃったら、学年ラインで叩かれる流れができてしまって、今度は自分が標的にされるって思ったら、うかうか会話ができなくなっちゃった感じ。それでみんな学校では、スマホのAIとチャットし始めて、一人一人にマイAIができて……」

説明していると、いろいろと思い出して気が重くなってきて、私は大きな溜め息を吐いてしまった。

「それって男子もおんなじ?」

 藤原はノートを太腿の上に置いて、ペットボトルの蓋を開けた。コーヒーを一口飲む。つられて私もアイスティーの蓋を開けた。

「まさか男までそんなにびくびくしてんの?」

 藤原からコーヒーの匂いが漂ってきた。

 私はアイスティーを飲み込んでから、口を開いた。

「国公立の大学を受けるつもりの男子は別だけど。校則違反したら内申書に響くから、堂々と会話してる」

「それ以外は?」

「前に揉めた男子二人がいて、一人が学年のラインでぶちまけたら炎上したからね」

「そうか」と言って藤原はまたコーヒーを飲んだ。

「それにしても中村さん、やらかしてくれたなあ」

 藤原はペットボトルを振って、残った中身をわざと泡立て始めた。

「でも、花音ちゃんの気持ちもわかる。私も小六のとき、仲良かった友達に、実は悪口言われてるって知って、すごいショック受けたことがあったから」

 藤原はペットボトルを振るのを止めて、自分の横に置いた。

「どうしたん? そのとき」

「そのころはまだ怖いもの知らずだったから、直接、その友達を問い詰めた」

「へえー、やるやん」

 ニヤニヤした藤原が私の顔を覗き込んだ。

「ほんで?」

「面と向かって言い合ってたら、だんだん、その子が誤解してるってわかってきて」

「仲直りできたんか?」

 私は頷いて、アイスティーに口を付けた。

「そやろ? やっぱり面と向かって話さんとあかんわ。スマホとかAIとか使うて、本心が伝わるわけない。顔見てしゃべったら、きつい言葉とは裏腹に悩んでる顔してるな、とか、逆に優しい言葉かけられても、顔見たら嫌味やったってわかったりするやん?」

「そうかも」

 確かに、思っていることと言うことが、いっしょだとは限らない。

 以前、お母さんに叱られて理不尽だと思った時、お母さんなんか大嫌いって言ってしまったことを思い出した。

 あの時、お母さんにもっと怒られると思って覚悟したのに、予想外の展開になった。

お母さんは怒るどころか涙ぐんで、私を抱き寄せたのだ。

 何でそんなことになったのかわからなかったけれど、私がお母さんを悲しませたことだけは理解できたから、もう嫌いなんて心にもないことは絶対に言わないと決めたのを覚えている。

「おい、聞いてるか?」

 肩を突かれて私は我に返った。

「え? ……なに?」

「近藤さんって子は中村さんのこと、どんな悪口を言うたん?」

 そういえば、内容を知らないことに私は気づいた。

「さあ……。そこまでは知らない」

「ええっ? 何を言うたか知らんのに、悪口言うたことになってんの?」

「私はクラスが違うから知らないけど、同じクラスの子たちは知ってると思うよ」

「ほな、本人に聞きに行こう」

「何を聞くの? 私がラインで聞いてみるけど?」

 私がスマホを持つと、藤原に手で押さえられた。

「あかんあかん、直に会わんとあかんて、さっき言うたとこやん」

 藤原に急き立てられて、私は立ち上がった。

「じゃあ藤原は先に出て、ロビーの椅子に座ってて。私がロビーを通り過ぎたら、また五メートル離れてついてきて」

「へーい」

 ふざける藤原の背中を押して、玄関から外に出した。


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