フレイム・サーガ〜円環の記憶と星の声〜
黒槍 火雨
第一話
――星は回る。世界は廻る。
かつてこの星は、偉大なる神々の戦いによって滅びを迎えた。
人間よりも強く、大きく、尊く、遠い存在。神と呼ばれる者達が何のために争ったのか……今となっては誰の記憶にも、記録にも残されていない。
自然そのものであり、星の化身とも呼べるほど強大な神々の力により、あらゆる文明と生物が星から消え去った。それが星の『意思』によるものなのか。滅亡は必然だったのか。それは誰にもわからない。
だが確かなことがひとつ。かつて無へと還ったこの星は、また世界の運営を再開したのだ。
星に満ちる神秘のエネルギー……エーテルの力により、星の至る所で再び命が芽生えた。大地には草が、山には森が、海には生命が生まれ、やがて動物と人間と、ありとあらゆる生命体が、命の
かくして世界は廻る。いつの時代も星は回り続ける。滅びにより迎えた新たな歴史を
パタン。
古びた本が閉じられ、年季の入った木製のテーブルに置かれる。
大樹をくり抜いて作られた家の中には、丸い窓ガラスを通過して柔らかい朝日が差し込んでいた。レンガ造りのかまどの上では鍋がぐつぐつと沸騰しており、今にも吹きこぼれそうになっている。
椅子の背もたれに寄りかかっていた少女が、大きく伸びする。若芽色のロングヘア。グリーンの差し色が入ったベージュのローブを羽織った彼女の名はメリル。ぐつぐつと煮える鍋の音に湯を沸かしていたことを思い出したメリルはハッとして立ち上がり、テーブルに立てかけていた奇妙な形状の杖を手に取る。年輪が幾重にも広がる床をとたとたと歩き、その杖――木を削り出して作られた棒状の先端に、深い翠の輝きを放つ水晶のような鉱石が取り付けられたステッキ――を、薪も無いのに勢いよく燃えているかまどの炎に向ける。
燃えているのは炎のように赤いエーテルの結晶体、炎の属性を持つエーテリウムだ。杖の先端につけられた翡翠色のエーテリウムが強く光ったかと思うと、その輝きに呼応するようにかまどの中のエーテリウムから炎が消えた。
湯の沸いた鍋を持ち、茶葉の入ったカップに注ぐ。湯気と共に立ち昇る甘い香りを楽しみながら、テーブルの上のパンをつまむ。少し遅めのモーニングだった。
「今日もいい天気だなぁ。森のみんなも元気そうだね」
丸い窓の外では、木の枝の上で三羽の青い小鳥たちが楽しげに舞っていた。メリルはそれを眺めながら微笑み、カップに手を伸ばす。
だがその時。三羽の小鳥が突然、羽ばたいた。
小さな影が空へと駆け上がる。急かされるように、慌ただしく。
「……?」
メリルが再び窓の向こうを見ると、森の奥から大勢の小鳥たちが一斉に飛び立っていた。
けたたましい鳴き声が木々の間をこだまし、ざわめく葉音が重なる。静寂だった森に、不穏な波紋が広がる。
「森が騒がしい……何かあったのかな」
ただならぬ気配に、メリルは杖を手に取って立ち上がる。玄関近くのフックにかけてあったマリンキャップを取り、緑の髪にかぶる。ロングブーツの踵が床を鳴らし、メリルは勢いよく扉を押し開けた。
大樹の根本に備えられた玄関扉を出たメリルは、暖かく穏やかな木漏れ日に包まれた。だが目の前を走り抜けていく森の小動物たちの様子は、決して穏やかと呼べるものではなかった。
メリルは動物たちが一方向に走っていくのを見て、彼らの流れに逆らうように森の奥へと駆け出した。気の遠くなるような年月を経て育った、天をつく巨大樹が立ち並ぶこの森の名はグラシアフォレスト。それ一枚で雨を凌げるほど大きな葉が舞い散り、人間の胴体の何倍も太いツタが天から垂れ下がる様子は、初めてこの森に入る者にまるで自分が小人になってしまったかのような錯覚を与える。
もっとも、生まれも育ちもこのグラシアフォレストであるメリルにとってはこの森の全てが家族であり、大地や樹木は父母同然である。この森でトラブルが起きているなら、見過ごすわけにはいかなかった。グリーンの髪とベージュのローブを揺らし、メリルは森の奥へと駆ける。
やがて巨大樹たちの間にぽっかりと空いた土地に湧き出る、清らかな泉へと辿り着いた。岸辺には水生植物が豊かに繁茂しており、普段は多くの動物たちの憩いの場になっているその泉で、メリルは騒ぎの原因を目にする。
「あれは、まさか……!」
肩で息をしながら、泉の手前で立ち止まる。
視線の先には五人の男たちがいた。くたびれた麻の服に、ガスマスクのような仮面。彼らの足元では、網に絡め取られた小さな影がもがいていた。
それは三人の小さな少女たちだった。細い手足を網に縛られて震える彼女たちは、男の膝ほどの背丈しかない。
背中から生えているのは、淡く透き通る二対の
「あなたたち、そこで何をしているの! 妖精たちを離して!」
杖を両手で握りしめてメリルが叫ぶ。一仕事終えたかのように談笑していた男たちが一斉に振り向き、顔色の窺えないマスク越しにメリルを睨んだようだった。
「チッ、この森の住民か?」
「だからさっさと引き上げようって言っただろ。欲張って三匹も捕まえなくてよかったんだ」
「見つかった以上は仕方ない。一緒に売り飛ばすか。
男たちの発言に、メリルは下唇を噛む。それは恐怖の感情ではなく、怒りの顕れだった。
「この森に生きるみんなは、私の家族なの! 寄ってたかって弱い相手を虐めるような、下衆でクズな頭の軽いブ男たちに渡さないんだから!」
毒の刃のような怒声が、グサグサと男たちに突き刺さる。
「おいおい、口悪すぎだろ……」
「好き放題に言ってくれるなぁ、オイ」
「なぁ、俺ってブ男なのか? マスクしてるのに?」
「諦めろ、お前はブサイク」
仲間に肯定されて項垂れているのが一人いるが、他の男たちは肩をすくめるだけだ。小娘一人に何ができるのかと、たかを括っている様子である。
「品のないお嬢ちゃんには、お仕置きしなきゃなぁ?」
男たちは懐から、白い金属質のバトンを取り出した。彼らがそれを軽く振ると、ブゥン……という低く唸るような音と共に、半透明の刃が空間に形成された。エーテルそのものを武具とする、エーテルギアの一つであるそれは。
(エーテルソード……てことは、こいつらやっぱり……!)
メリルは男たちの正体について心当たりがあった。彼らの得物を見て、疑惑が確信に至る。
「この森は、あなたたちみたいな人間が入っていい場所じゃない! 出て行って!」
メリルは杖を握りしめ、男たちへと立ち向かう。杖の先端、翠色のエーテリウムが木漏れ日を反射して輝き、正面に立つ男に振り下ろされる。
が、しかし。
「勇敢な嬢ちゃんだ。でも、残念だったな?」
「ああっ……!」
男は右手に構えたエーテルソードは使わず、懐から左手で取り出した筒状の兵器の引き金を引いた。発射されたのは、妖精たちを捕らえているのと同じ金属製の網だった。
冷たく重い網に絡め取られ、メリルがその場に倒れ込む。手足を動かせないほど複雑に絡み合った金属網がメリルの自由を完全に剥奪した。
「ヒーロー気取りは終わりだ、嬢ちゃん」
「俺たちには金が必要でね。
「大切な家族なんだっけか? 安心しろ、お前もまとめて売り飛ばしてやるからさ」
見下ろしながらケラケラと笑うマスク姿の男たちに、メリルは非力な自分を呪って拳を握りしめる。
(悔しい……! こんなやつらに……みんなを……)
金属網は頑丈で、身じろぎする程度で千切れる様子は無い。複数の
「さて、引き上げだ。薬で眠らせてから、目立たないように布に包んでおけよ」
「こんなに大漁になるとはな。運搬用にエーテルバギーでもレンタルしてくるんだったか」
「その金がねぇからこんなことしてんだろうがよ」
「ちげぇねぇや、ハハハッ」
一人の男がポケットから何かを取り出す。その手に握られているのは、淡く青く光る薬液の詰まった注射器だった。
「安心しろよ。痛くないって」
男が細い首筋に針先を押し当てる。
妖精の頬に、涙が伝った。
「誰か……!」
メリルはもはや、天に祈るのみだった。
「みんなを助けて!」
その声は、天に届いたか。
横たわるメリルの目の前、木々の隙間から陽の差し込んでいる地面に、徐々に影が出来上がる。それと同時に、遥か頭上から何か聞こえてきた。
「――――…………ぁぁぁぁああああああああッ!」
それは、人の叫び声だった。
次の瞬間、空から何かが一直線に墜落する。
ドッゴォォォォッ‼︎
大地が爆ぜ、木々が震え、衝撃波が土煙となって周囲に広がる。メリルは思わず目を閉じ、男たちも「な、なんだ⁉︎」と後ずさった。
メリルが恐る恐る目を開けると、土煙が晴れたそこには、ぽっかりと人型のクレーターが出来ていた。理解が追いつかず呆然としていると、そのクレーターから人間が這い出てきた。
「あー、いってぇ! 死ぬかと思ったぁ!」
痛いと言いつつ何事もなかったかのように立ち上がったのは、メリルと歳の近そうな少年だった。地面が陥没するほどの衝撃で落下してきたにもかかわらず、無事どころか元気そのものな少年の姿に、メリルは目を疑って五回くらい瞬きした。
燃える焔のように逆立った真紅の髪。黒いヘアバンドと半袖の黒いチュニック。肩に羽織ったボロボロの外套。腰に幾重にも巻かれたベルトには、小さなランタンが揺れている。童顔のため幼く見えるが、身長からして歳の頃は15歳前後といったところだろうか。
「あンの馬鹿ワイバーン! 人をあんな高いところで振り落としやがって! 覚えてろよーッ!」
少年は上空に広がる青空へ向けて、三下の捨て台詞のような苦情を言い放った。彼の遥か頭上には、白い雲を切り裂いて飛翔する巨大な魔獣――エーテルの過剰摂取により巨大化した爬虫類の一種、ワイバーンが両翼を広げて飛び去っていく姿があった。
「余計なモノが背中に乗ってたら、そりゃあ振り落とすでしょう。無理やり飛び乗った
淡々とした調子で話す、爽やかそうでどこかトゲのある男の声がどこからか聞こえてきた。しかし不思議なことに、エンと呼ばれた少年以外に人影は見当たらない。
「くそー、飼い慣らしたら旅が楽になると思ったんだけどなー。
「飼い慣らせる要素がどこにあったんですか。あのワイバーンからしたら、知らない人間に無賃乗車されただけですよ」
「餌でもあげればよかったか? でも食い物なんてないぞ?」
「ワタシがワイバーンなら、アナタを餌にしているところですよ。比較的温厚な魔獣でよかったですね」
少年を嗜めたのは、どうやらベルトに括り付けたランタンのようだった。金属製の四角いランタンの中には、蝋燭も無いのに小さな赤い炎が灯っている。男の声はこの炎から聞こえているようだ。
空から落ちてきた少年と、人語を介するランタン。奇妙な二人組(?)の登場に、その場の誰もが硬直して唖然としていた。
「えっと、あなたは……? というか、すごい高さから落ちてきたみたいだけど大丈夫なの?」
網の中で這いつくばりながら、メリルが少年を見上げて尋ねる。服についた砂埃を払う彼は、メリルの存在にようやく気付いたようで。
「ん? 俺か? 俺の名前はエンだ! 見ての通り平気だから心配しなくていいぞ。よくあることだしな!」
「よくあることなんだ……」
ニカッと笑って胸を張る少年に、メリルは驚きで顔が引き攣るのを感じた。
「自慢げに話すことでもないですよ、まったく。誰も巻き込んでないのが不幸中の幸いです。それよりそちらの方、何かあったのですか?」
レイ、と呼ばれていたランタンが尋ねてきた。どこに目や耳を持っているのかわからないがメリルの姿を目視しており、普通に会話が出来るようだった。
メリルはハッとして、妖精たちを助けようとしていたことを思い出す。
「そ、そうだった! あの子達を……! うぅ、動けない……!」
メリルが金属網の中でもがいていると、エンがスタスタと歩いてきて目の前でしゃがんだ。そして頑丈な網を両手で掴むと、ギリギリと金属が軋む音が響き――
「おりゃっ!」
まるで綿でも裂くかのように、軽々と金属網を引き千切ったのだった。
「エェーッ⁉︎」
「嘘だろ⁉︎ 馬が引いても千切れない金属網だぞ!」
驚愕の声を上げたのは五人のならずものたちだ。顔を覆っているマスク越しでも口があんぐりと開いているのがわかる。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう……」
メリルは差し出された手を取って立ち上がる。よく見ればその手は古傷だらけでゴツゴツとしており、前腕には
「それより、あの子達を助けなきゃ!」
「あの子達って、あそこで捕まってるちっこいやつらか?」
エンが妖精たちを指差したので、コクンと頷くメリル。
「この森に住むみんなは、私にとって大切な家族なの。それなのにあいつら……! 妖精狩りは何年も前に禁止されたはずなのに!」
杖を握りしめ、五人の男を睨み付けるメリル。それを聞いたエンは「そっか」と言って、メリルの前に背を向けて立った。
「さっき空から落ちる時、聞こえた気がしたんだよな。みんなを助けて、って声がさ」
「やれやれ。また無鉄砲な人助けですか、エン。やりすぎないように気をつけてくださいね」
外套をバサっと脱ぎ捨てたエンに、腰元からレイが呆れたような声をかけた。しかしその言葉は止めようとするものではなく、むしろ後押しするような口振りだった。
「お前、名前は?」
「私は……メリル」
メリルが名前を答えると、エンは五人組を見据えたまま力強く言う。
「安心していいぞ、メリル。俺がみんなを助けてやる!」
自信満々。気合十分。
パシン! と、彼が右の拳を左の掌に押し当てた。
「オイ、どうする?」
「そんなの決まってんだろ?」
「得体の知れねぇガキだが……邪魔するんなら容赦しねぇ」
マスク越しに顔を見合わせた男たちが、エーテルソードを手にして立ち並ぶ。
「大人をあまり舐めるなよ、ガキ」
ドスの効いた声と共に、不気味なマスクがエンを睨み付ける。
それに対してエンは臆した様子もなく、両手を拳に変えて咆哮する。
「燃え上がれ――
直後、エンが両脇に構えた拳から、真っ赤な炎が出現した。
「両手から炎が⁉︎」
すぐ後ろに立つメリルは、その炎から感じる熱量に思わず身構えた。近づくだけで肌が焼けそうな超高温の炎が、火柱の如く立ち昇っている。
その様子を見た男たちが、何かに気付いたように息を呑んだ。
「真っ赤な髪……炎を纏う拳……。コイツ、まさか!」
「西に遠征した兵団二十人を相手に暴れたっていう……」
「ウェスタンスミスの異端児、
ご名答とでも言うように、エンは白い歯を見せて不敵に笑う。
「――覚悟しろ。歯を食いしばれ。俺の炎は、当たると痛いぞ!」
エンが腰を落とし、燃える右拳を引いて中段に構えた次の瞬間。
「
数メートル離れた男たちに向けて正拳突きを繰り出したかと思うと、拳から灼熱の炎が一直線に放たれた。地面を焦がしながら直進する炎が、轟音と共に一人の男へと叩きつけられる。
「なっ……うわああああああああっ⁉︎」
その火炎放射を受けた男は体が炎上するのではなく、爆発のような轟音と共に後方へと吹き飛んだ。まるで飛んできた鉄柱が衝突したかのように、人間の体が炎の塊に突き飛ばされるという光景。ノーバウンドで泉の中央まで吹き飛んだ男は、水面に落下して大きな飛沫を舞い上げた。
「な、なんだぁ⁉︎」
「炎で……殴ったのか⁉︎」
四人の男が、拳から伸ばした炎を手繰り寄せるエンを見て狼狽する。炎は再びエンの拳を包む程度の大きさに戻り、彼の両手で轟々と燃えている。
「今のは、一体……?」
「エンの操る炎は少し特殊でしてね。
メリルの問いかけに、彼の腰にぶら下がるランタンから回答があった。
「拳に纏えば手甲に、伸ばせば棍棒に、放てば砲弾に。自在に形を変えて燃える特性を持ちながら、鋼のように重くて硬い、実体のある炎。それがエンの操る炎のエーテル……
「説明ご苦労! 俺もよくわかってねーから助かるぜ!」
「なんで自分の能力を把握していないんですかねこの人は……って、うわぁ」
レイの言葉の途中でエンが駆け出し、腰にぶら下がったランタンが大きく揺れた。敵陣の懐へとわずか数歩で距離を詰めたエンが、燃え盛る右拳を振り上げる。
「は、はや――⁉︎」
「
鉄拳炸裂。
エーテルソードによるガードをかいくぐり、布製のマスクに弾丸のような勢いで拳がめり込む。命中した場所が一瞬で黒焦げになり、頬骨が砕けるような鈍い音が鳴り響いた。
「ぐっ、ハァ⁉︎」
衝撃で足が浮き、空中で回転しながら吹き飛んだ男が、背中から地面に落下。そのまま気絶したようだ。
あっという間に二人もノックアウトしたエンだったが、そこは敵に囲まれたド真ん中。男たちも流石に黙ってはいない。
「クソッ、舐めやがって!」
「挟み撃ちだ! 避けてみやがれ!」
エーテルソードを水平に構えた二人の男が、エンの両サイドから斬りかかる。高速で振動する半透明の刃が、エンの首と胴体をそれぞれ狙って振り抜かれた。
「危ない!」
それはメリルが叫ぶと同時だった。
硬質の物体同士が削り合うようなガリガリガリという音が鳴り響く。エンの身体のパーツは一つも飛ぶことなく、燃える両拳が高速振動する左右の凶刃を受け止めていた。
「なっ――」
「――にぃッ⁉︎」
「うらぁッ!」
エンが力任せに拳を払う。甲高い金属音が森に響き、エーテルソードが男たちの手から弾き飛ばされた。持ち主を失ったためかエーテルソードはその半透明の刀身を失い、白い柄の部分だけが地面に虚しく落下する。
エンは両脇にいる丸腰の男たちに向けて、炎が燃え上がる両手をそれぞれ向ける。
「
「ひっ……!」
「
「ぎゃああああああああッ⁉︎」
今度は左右に一直線の炎が奔る。鋼鉄の如き質量を持つ熱線を胴体に打ち付けられ、二人の男が反発した磁石のように飛んでいく。
「つ、つよい……一体何者なの……?」
あっという間に四人の男を蹴散らしたエンを見ながら、両手で杖を握ったまま立ち尽くすしかないメリル。下手に近づけば巻き込まれるのは明白な暴れっぷりだった。
「こ、これが……
最後の一人はその実力差に怖気づき、弱々しく後ずさる。その時、彼の足が何かに当たった。
「……あ?」
マスク越しに視線を落とす男。そこにいたのは、今も網に絡め取られてうずくまる、三匹の妖精たちだった。
「う、動くな
「――――! ――……ッ」
男は一匹の妖精が捕まっている金属網を鷲掴みにし、エーテルソードの切先を小さな顔の前に突きつけた。妖精は人語を介せないようで、言葉にならない泣き声を上げて大粒の涙を浮かべている。
「その子を離して! 卑怯者! 人間のクズ!」
「何とでも言いやがれ! このまま見逃せば、残りの二匹は置いていってやる。コイツだけでも貰っていくぜ!」
「ブサイク!」
「だから顔はほっとけ! マスクしてんのになんでブサイクってわかるんだ!」
メリルの罵倒にも動じず……いやだいぶ効いているみたいだが、男は妖精を離さない。エンは拳の炎を消さず、男から数メートルの位置で立ち止まっている。
「これはまた随分と古典的な。エン、どうします?」
「うーん、そうだなぁ。あの妖精、何て言ってるんだ?」
「いやワタシに聞かないでくださいよ」
腰元のランタンの中で炎が揺れ動き、淡々とした調子でエンと会話している。その間も捕まっている妖精は、鳥の声とも虫の声とも異なる、甲高い耳鳴りのような声で泣き続けていた。
「……助けて、って叫んでるよ」
「メリル、お前あいつの言葉がわかんのか?」
「私は人間と妖精のハーフなの。だからあの子たちの悲鳴が、恐怖が、痛いほどにわかる……!」
ぎゅっ、と杖を握りしめて歯噛みするメリル。森のみんなは家族という言葉は誇張表現などではない。同じ森に生まれ、共に生きてきた一族なのだ。その家族をあんな風に扱われ、怒りと悔しさを飲み込めという方が残酷だ。
「――助けて、か」
エンが拳の炎を消した。しかし、それは男の言いなりになって諦めたという表情ではない。瞳には闘志を感じさせる覇気が宿っており、力強いその眼差しは……小さな妖精に向けられていた。
「約束したからな。もちろん助けてやるさ。でも……お前は泣いてるだけでいいのか?」
「――、――……?」
人語を介せずともエンの言葉を理解しているのか、網の中で泣き喚いていた妖精が涙で濡れた顔でエンを見た。
「助かりたいなら、悔しいなら、自分でもなんとかしようと挑戦してみろ。怖くて辛くても……泣いてるだけじゃ何も変わらないんだぞ?」
「――――!」
その言葉は、小さな妖精の心に届いたか。
網ごと鷲掴みにされ、男の顔の高さまで持ち上げられていた妖精は、眼下に残された二匹の妖精と目を合わせた。三匹は意を結したようにコクンと頷き、大きく息を吸うと、
「「「Laaaaaaaaaaaaaaaaaaaa‼︎」」」
大自然の中に、美しいソプラノボイスが響き渡った。その声に呼応するかのように森が揺れ、大地がざわめき始める。
直後、男の足元からしなやかな植物のツタがニョキニョキと生えたかと思うと、まるで生き物のように彼の足に絡まり始めた。
「な、なんだこりゃ! 何をしやがった⁉︎」
ツタは足元から胴体まで伸び、あっという間に男の体をがんじがらめにしてしまった。慌てた男はエーテルソードを振ろうとするが、腕にまで巻き付いた緑色のツタがその動きを封じ込める。
「妖精は森から産まれた存在……森があの子達の声に応えて、助けようとしてるんだよ!」
メリルには森の意志を感じ取ることができた。大切な家族を奪おうとする人間への怒りを。そして、妖精たちを守ろうとする愛情を。
男は慌てた様子でもがくが、もはや一歩も動けない。そして、つい開かれた左手から妖精の入った網が滑り落ちた。
「し、しまった……!」
「あっはっは! やればできるじゃねーか、ちっこいの!」
大口を開けて呵呵大笑するエンが、再び拳に炎を纏う。炎は徐々に燃え広がり、彼の右腕を包み込んでいく。
「燃えてきたぜ! 約束通り、人助けの時間だ!」
エンが口角を吊り上げて不敵に笑った次の瞬間、右腕の炎が唸るような音を上げて噴き上がったかと思うと、彼の右腕を軸にして巨大な円柱状の炎が形成された。メラメラと燃える炎の塊は、全長二メートルに達するか。肘の後ろから突き出るほどの火柱に包まれた右腕は、例えるならば――燃え盛る杭打機だ。
「焼き砕け!
炎の杭と化した右腕を振りかぶり、エンが地面を蹴る。一気に距離を詰め、その必殺の一撃を叩き込む!
「
直撃。
巨大な炎の杭が、鐘撞きのように男の顔面へとぶち込まれる。黒いマスクは一瞬で焼失し、その素顔を鋼のような炎が殴り抜く。
そして、ダメ押し。
「――
打ち付けた炎を捻じるように半回転。それを合図に炎の杭が射出され、爆炎を巻き上げて男を吹き飛ばした。
「う、うわああああああああ⁉︎」
顔面から焦げ臭い煙を上げながら水平に飛んだ男は、数メートル先の巨木に背中からめり込むようにして衝突し、
「つ……つよすぎ、る……」
折れた前歯の隙間から言葉を漏らして意識を失った。
右腕の炎をかき消したエンは網に囚われたままの妖精たちの下へと歩み寄り、またその馬鹿力で金属の繊維を引きちぎっていく。
「よし、もう大丈夫だ!」
はにかみながらそう言うエンの周りを、妖精たちが笑顔でくるくると飛び回る。やがて三匹揃ってお辞儀をした後、透き通る翅をはためかせて泉の奥へと飛んでいった。
「もう捕まるんじゃねーぞっ」
飛んでいく後ろ姿を見送りながら大きく手を振るエン。空から落ちてきた突然の助っ人に理解が追いついていないメリルだが、一件落着したようなのでほっと胸を撫で下ろす。
「あ、ありがとう……! みんなを助けてくれ、て?」
ばたーん。
メリルが礼を言い終えるよりも早く、エンが背中を地面に預けて大の字に倒れ込んだ。
「ちょっ……大丈夫⁉︎」
メリルが咄嗟に駆け寄り、膝をついて顔色を窺うと。
「はら、へった……」
「……え?」
ぐぅぅぅぅぅぅぅぅ。
静けさを取り戻したグラシアフォレストに、大きな腹の虫がご陽気に鳴り響くのだった。
**
白亜の城。
……と呼ぶにはいささか無機質が過ぎる、鋼鉄とガラスで組み上げられた巨大な建造物の一画。室内で家庭菜園が出来るのではと思えるほど日当たりのよいガラス張りの部屋で、一人の少女が東にそびえる巨大樹の森を眺めていた。
濡羽色の長髪。雪のように白い肌。袖の長い墨色の着物に、薄紅色のミニスカート。華奢と言う言葉を体現した小柄な少女は、その艶やかな唇を動かし、呆れるほど天井の高い室内に言葉を紡ぐ。
「――感じるわ。あなたの鼓動を。きっとそこにいるのね……」
しなやかで透き通るような手を伸ばすも、触れられるのは青空との隔たりを作っている頑丈なガラスだけ。少女はゆっくりと、深い海のような紺碧の瞳を閉じる。
廊下の方から足音が聞こえてきた。瞼を持ち上げ、腰まで届く長髪を揺らして振り向く。その視線の先には、見上げるほど大きな金属の扉。硬い床を力強く鳴らして部屋の前を通り過ぎていくのは、統率の取れた複数の足音だった。
「……………………」
無機質な足音が遠ざかっていく。少女は目を伏せ、再び巨大なガラス窓へと振り返る。彼らがどこへ向かうのか、少女には心底どうでも良いことだった。
否。少女にとって、ただ一つのモノを除き、それ以外の全てはどうでもよかった。
少女が愛するのは、この星だけ。
自然を、生命を、世界を乗せて回る、青く美しい星。
「どうか、救いを……この声が届くなら――」
それはかつても紡いだ言葉。どこの誰に向けたものでもない、けれど聞き入れてくれた者がいた、溢れ出る本能のような懇願。
顔を上げ、ガラス越しに果てなき空を見つめる。その一面の青も、この星からしか見られない景色。海も、大地も、大空も、全てはこの星の一部であり、この星が生きているからこそ見られる景色に他ならない。
「星は回る。世界は廻る――」
円環はここに在り。
少女は永遠を謳い、世界は未来へと進む。
果てなき旅路の幕が、今上がる。
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