第23話 輪廻に還す、翠玉の瞳
セレナは前方の幻五郎に向かって歩みながら、静かに詠唱を紡ぎ始めた。
「刻よ、枝を張れ。千年の眠りを破りて目覚めよ。幹は剣に、葉は刃に。命の輪廻を断ち斬るは、古の森より生まれし我が剣。聖律第3章─刻の剣─」
『──
その声に応えるように、セレナの手の中が淡い緑色に光り始める。
やがて光が形を結び、一本の剣となって現れた。それは木でできた剣。けれど、ただの木ではなかった。緑の輝きを帯び、まるで森そのものが意思を持って剣の形を成したかのような、荘厳で神聖な気配を放っていた。
だが、その対面に立つ幻五郎もまた、にやりと笑みを浮かべながら詠唱を口にする。
「焦がし尽くせ、喰らい尽くせ、正義の仮面を。燃え盛るは、断罪の炎。灰となりて悔い改めよ。剣は贖罪の刃となりて、罪を裂く。この世界に、もはや赦しはない。聖律第3章─贖罪の刃─」
『──
詠唱とともに幻五郎の手元も光を放つ。それは、赤と黒が絡み合うような禍々しい光。まるで血と業火が混ざり合ったような色だった。そして出現したのは、漆黒に染まりながら赤く煌めく一振りの剣。見た目は美しいというよりも、不穏で不吉。それは剣というより、断罪のための処刑具のようにも見えた。
「さぁ、セレナ様。いつでもどーぞ♪」
セレナの剣は斬撃を繰り出した。しかし幻五郎には届かなかった。
木の剣が描く美しい斬撃は、幻五郎の剣に触れた瞬間、まるで灰にされたかのように消えてしまう。
幻五郎の剣は炎の魔法で、対するセレナは木の精霊。
炎に最も弱い属性であり、しかも今は冬。
自然の理に従うセレナの力は、季節の影響を強く受ける。それは幻五郎も分かっている。だからこそ余裕の笑みを浮かべながら、セレナを煽るように剣を振るっている。
「はぁ……しつこいなぁ。じゃあ、もう一回、アレいっちゃおっか」
まずい。あの魔法をもう一度食らったら、今度こそ火傷では済まない。
「焦がせ、焼き尽くせ、喰らい尽くせ。この世界の輪郭を灰に帰すは、僕の炎。炎帝の嘆き、断罪の調べ、
『──
──ゴォォォ……ッ!!
通路全体が朱く染まり、皮膚が裂けるような熱気が肌を襲う。先程と同様に、物凄い炎の奔流がこちらへと押し寄せてくる。
あ、熱い……このままじゃ、後ろで戦っているイドナ、フェルザー、マルコスも炎に飲み込まれてしまう……。
「還れ、すべては命の根へ。魔の炎も、凍てつく刃も、怒りも悲しみも。その力、緑の懐へと抱きしめん。森は拒まぬ。森は裁かぬ。ただ受け入れ、ただ巡らせる。私のうちに流れよ、その魔力。聖律第3章─生命─」
『──
炎がセレナを飲み込む瞬間、セレナは片手を前にかざして魔法を発動した。
幻五郎の灼熱の魔法が、セレナの手に触れた瞬間、まるで炎の奔流が、森に抱きしめられたように静かに、音もなく消えた。
「ごちそうさま、幻五郎。これで溜まった」
セレナの瞳は美しい翠玉のように輝きだした。
「えっ……ちょっと、それはマズい気がするなぁ……?」
珍しく、幻五郎の声に焦りが滲む。
そしてセレナはひとつ息を整え、次なる詠唱へと移った。
「もう、これ以上は苦しまなくていい。怒りではなく、終わりを告げるために、千蛇は貴方を優しく包む。深き根、深き土は、赤く温かな抱擁を与えてくれる。そして静かに、眠りが訪れる。さあ、命の輪廻に還りなさい。あなたの罪は、森が抱きしめてあげる。聖律第4章─輪廻に還る─」
『──
その名を告げると同時に、大地が唸りを上げた。
通路の床、天井、壁という壁を貫いて、無数の太い根が湧き出す。
まるで何千という蛇が一斉に目を覚ましたかのような、自然の猛威がそこにはあり、幻五郎の余裕は完全に消えていた。
「ま、まずっ」
「もう、終わりだよ。さっさと死ね」
セレナは冷たく言い放つと、両手をゆっくりと動かし始める。
まるで指揮者のように、舞台の中心で悠然と魔力を操るような仕草だった。
それに呼応するように、巨大な根が怒涛の勢いで幻五郎に迫る。
「くっ……うっ……!」
幻五郎も炎の魔法で応戦していた。
だが、セレナの魔法はそれすら飲み込む勢いだった。
その力はもう、相性が悪いだとか、季節的に不利といった言い訳では測れない次元に達していた。
無数の根が絡みつき、炎を殺し、ついには彼の四肢を拘束する。
その動きに抗う術を幻五郎は持っていなかった。
セレナが指揮を止めるように片手を高く掲げる。
それが合図だった。
──ゴゴゴ……!
通路の両側の壁が、呻くように軋みながら動き出す。
じわじわとだが確実に、その間隔を狭めていく。
そして幻五郎は壁と壁に完全に挟まれた。
「ッ……さ、さす……が……で……す……」
押しつぶされるように圧迫された中で、幻五郎は血を吐きながら笑っていた。
その瞳には恐怖よりも、どこか愉悦のようなものが浮かんでいる。
「ばいばーい」
セレナは無邪気にニコッっと笑いながら手を振った。
次の瞬間、
──バギィィンッ……!
両側の壁と壁がぶつかり合う重苦しい音が響き、通路が完全に行き止まりになってしまった。
幻五郎の姿はもうない。床に広がるのは赤い血だけ、生々しい終わりの痕跡だった。
「……ちょっと頑張りすぎちゃったかも……」
さっきまで軽やかな足取りだったセレナの動きは、ふらふらしていた。慌てて俺がしゃがみ込むと、セレナは迷いなく胸元へ飛び込んできた。
「若様〜。抱っこして♪」
そう言って笑うセレナの声は、いつも通りに明るい。
──でも。
その小さな身体には、幻五郎との戦いで受けた無数の傷が刻まれていた。腕に、肩に、足に。切り裂かれ、焼かれ、血が滲んでいる。
「……」
言葉が喉につかえた。
俺は、ただ安全な場所から見ていただけだ。仲間たちは、血を流しながら、命を削りながら戦ってくれている。その現実が胸の奥に鈍く、冷たく刺さってくる。
──情けない。俺は、情けない。
セレナの軽さを感じる腕の中で、俺の心は、ひどく重たかった。
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