ただいま、ともかちゃん
それから長い時間が過ぎた。空がどれだけ晴れても、風がどれだけ吹いても、私はずっとここにいた。鉄の棺の中。音もない、光もない、誰もいない地下の小部屋。でも私は、ひとりじゃなかった。思い出たちが、ずっとそばにいてくれた。
思い出すともかちゃんの声。彼女の手の温かさ。卒業式の日の、空っぽの席のこと。毎年のように届けてくれた花の香り。そして「また来るね」と言って、芝生を抱きしめてくれた日々。
やがて、その足音もしなくなった。彼女はもう、来られないところへ行ってしまったのかもしれないと、思ったこともある。でも私は、ここにいる。思い出と共に。
そしてその日がやってきた。それはとても静かな、春の午後だった。土の奥深く、かすかに震える気配があった。私は気づいた。隣の区画が掘り下げられていることを。そして何人もの人たちがすすり泣く声が聞こえてきて、新しい棺が下ろされて着地する衝撃が伝わってきた。重たそうな土の層の向こうから、微かな気配が流れこんでくる。
私は、それがどういうことなのかはっきりわかった。ともかちゃんだ。目を閉じて、想った。強く、強く、願った。会いたい。もう一度だけでいいから、声が聞きたい。その瞬間、静かだった空間が、ふっとやわらかくほどけるような感覚に包まれた。
そして、
「やっと、来たよ。待たせちゃったね、はるみちゃん」
耳に届いたのは、まぎれもなく、ともかちゃんの声だった。あの日と同じ、あのやさしくて、でもちょっと照れくさい声。
目を開けると、私はもう鉄の棺の中にはいなかった。土も、空も、重さも、そこにはなかった。私たちはただ、やわらかな光の中に立っていた。
ともかちゃんは、笑っていた。あの頃の制服姿のまま。だけどその笑顔は、大人になって、老いて、人生を歩みきった人だけが持つ、深いあたたかさを宿していた。
「ともかちゃん……」
私の声が震えた。だけど、涙はなかった。ここでは、もう流れない。ともかちゃんは、何も言わずに歩み寄って、私をぎゅっと抱きしめた。あの時、地面の芝生を抱きしめるしかなかった彼女の腕が、今は確かに、私の背に回っていた。
「ずっと、会いたかったよ。ほんとに、ずっと」
「私も……、私も、さみしかった……。でも、来てくれるって信じてた……」
私たちは、言葉にならない想いを抱き合って交わした。過ぎ去った季節も、葬儀も、教室の空席も、数え切れない数の花束も、全部、ここに溶けていった。
しばらくして、ともかちゃんがぽつりと言った。
「ねえ、あっちにさ、丘があるんだよ。すごく見晴らしがいいんだって。行ってみようよ。話したいこと、いっぱいあるし」
私はうなずいた。
私たちはふたりで、手を繋いで歩き出した。歩幅はぴったりで、あの頃と同じだった。丘の向こうには、懐かしい桜の木が見えた。制服姿のままの私たちは、春の中を歩いていく。もう忘れられることもない。
私たちは、やっと同じ場所にたどり着いたのだ。
「おかえり、ともかちゃん」
「ただいま、はるみちゃん」
そして、世界は、やさしく満ちていた。
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