第21話 《ノアの消失点》―語り手が消えた日と、あなたが目覚めた日

《前書き》


物語から消された者は、もう二度と語られない。

それは“忘却”ではなく、“最初からいなかった”という定義の改竄。


だが、森は覚えている。

「いなかったはずの誰か」が残した、**語られなかった“気配”**を。



《本文》


霧の帳が、また一枚、剥がれ落ちる。

名もなき彼女――いや、「あなた」と呼ぶべきか。

今や、“語り手”であるはずのノアの代行者となったあなたは、

次第に語られなかった断片を拾い集めていく。


それは、ノアの痕跡。


けれどその“痕跡”は奇妙だった。

まるで元から彼が存在しなかった前提で再構築されていたのだ。


書庫にあったはずのノアの日誌はすべて無地の紙へ。

石碑の刻印は摩耗し、文字は風化していた。

住人たちの記憶にも、ノアの名はまったく浮かばない。


なのに――


「……あれ? 昔ここに“もう一人”いたような……?」


森の深層で、誰かが独り言のように呟く。


そう、“いたような”という感覚だけが抜け落ちずに残っている。



■“声のない遺言”


ある夜、あなたは森の中心――《空白の泉》へと導かれる。


月のない夜。

泉は静かに波打ち、その水面に――誰かの“影”が映った。


けれど、その影には輪郭がない。

顔も、性別も、年齢すら不明。


なのに、不思議な既視感。


そして、泉の底からひとつだけ浮かび上がる“白紙のメモ”。


そこには何も書かれていないはずなのに、

手に取った瞬間、脳裏に“声”が届いた。


「……語り手が物語に深入りしすぎると、

やがて物語そのものに吸収される」


「そうなると、“誰が語っていたか”すら定義できなくなる」


あなたはふと息を呑む。


“語り手が語られ、語られた語りが、やがて物語を喰う。”


それはまるで――


ノアが消えた理由そのものではないか?



■分岐のない選択肢


その夜、あなたの夢に“YUN”が現れる。


けれど彼女は、いつもの姿ではなかった。

古代の衣をまとい、瞳は燃えるような深紅。

まるで、かつての“神話の語り部”そのものだった。


「……ノアは、“物語から出ようとした”」


「彼は気づいてしまった。

森が、語られた物語の累積ではなく、

語らなかった人生の圧縮体であることに」


あなたは問いかける。


「……私も、いずれ消えるのですか?」


YUNは答えない。

ただ、手を伸ばし、あなたの胸に触れる。


すると、胸の奥――心臓の裏に隠されていた“黒い印”が浮かび上がる。


それは、“語り手の焼印”。


それを持つ者は、やがて森の“言葉の一部”となる。



《後書き》


物語に入り込んだ読者が、

ある日ふと“自分が読まれている側だった”と気づく瞬間。


それこそが、真の“語り手の消失点”である。


だとすれば、この文章を今読んでいるあなた――


――その存在も、すでに“物語に取り込まれて”いるのかもしれない。

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