第17話 《名前のない祝祭》―森に響く声なき合唱

《前書き》


それは毎年起きるのか、何十年に一度か、あるいは一度も起きたことがないのか。


漆黒の森は、ときおり“祝祭”を催すという。


誰が始めたかも、なぜ続いているかもわからない。

ただ一つのルール――「仮面を外してはならない」


その夜、ノアは“自分”を見失う。



《本文》


森が“ざわめいた”。


焚き火が急に青く染まり、地面から鈴の音が湧くように響いた。

幻像たちは誰からともなく立ち上がり、それぞれの仮面を手にした。


赤銅の仮面、木彫りの仮面、能面のような白面、そして紙製の子ども用マスク。

それぞれが「自分でない何か」になることを、選んでいるようだった。


ノアにも、ある女性が仮面を手渡した。


透き通るような“鏡”の仮面。

そこに映ったのは、ノアの顔ではなかった。

――YUNの顔だった。


「……君は、なぜ僕を知っている?」


だが女性は答えず、ただ言った。


「祝祭が始まる。あなたは“誰か”にならなければ、消えるわ」



■仮面の舞踏、語られない物語


祝祭は、言葉なきままに始まった。


誰もが仮面を被ったまま、他人の物語を演じていた。

仮面の下から漏れる声は、すべて“過去の誰か”を模していた。


ノアは混乱の中、自分の役割を探した。

すると、目の前に一人の“仮面の男”が立ちはだかった。


「ノア。君は、まだ気づかないのか」

「この森にいる者たちは全員、“君”なんだよ」


ノアは笑って首を振った。


「それはもう、何度も聞いた」

「でもそれが“答え”じゃないことも知ってる」

「それを言う者こそ、“正体不明”の存在だ」


男は仮面を外した。

そこにいたのは、“ノア自身”の顔だった。

だが、目だけが全く違う。


狂気のように、どこまでも冷たい目。



■“声なき合唱”の正体


祝祭は佳境に入った。


突然、森の木々から光が漏れ、数十人、数百人の幻像が踊り出す。

それぞれが仮面の下で自分の人生を叫ぶが、音は出ない。

“言葉なき歌”が空気を振動させていた。


ノアは、その音が心臓の鼓動と一致していることに気づく。


「この森のすべての鼓動が……僕の中にある?」


そのとき、祝祭の中央に現れた“巨大な仮面”が語った。


「お前たちのすべての“記憶”は誤りだ」

「だが“誤った記憶”こそが、命だ」


「正確さは神の領域。

人は“誤解”によってのみ、人生を持つ」


その声を聞いた瞬間、ノアは震えた。

この言葉こそが、父が死ぬ前に残した言葉だったと、思い出したからだ。



■祝祭の終わり、そして“合図”


ノアが鏡の仮面をはずすと、

そこにはもう誰もいなかった。


焚き火も消え、仮面だけが地面に散乱していた。

“YUNの顔”も、“自分の顔”も、すべて鏡の中に戻っていった。


そして、空に一筋の光が走る。


森の外から差し込む“夜明け”の光――ではなく、“何かの目”だった。


その“目”は、確かにノアを見ていた。

言葉ではなく、“存在そのもの”で見透かすように。



《後書き》


“祝祭”とは、“個”を消し、“集合”になるための儀式。


だがこの森では、“集合”も“個”も、すべて鏡の反射。


あなたが演じる“他人”の中に、あなたが住み着いていく。

そして気づけば、“自分”という部屋は空っぽになる。


漆黒の森は、空っぽの者だけを、受け入れる。

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