第五話 私の絵(朝比奈るい)

「…… はあ」


 文学部とSNS研究部の提携が晴れて決まった日の夜、私は自分の部屋でため息をつく。

 動画撮影の後、間宮と久遠が残って後片付けをするようだったが、私は用事があるといって、先に帰宅させてもらっていた。


 ……私は、明日からどうしようか、迷っていた。


 「一回だけ」と言って始まった、間宮への協力。

 約束通りにするならば、明日から私がアドバイザー部に行く必要は、なくなる。

 

 ただ、この数日間は、自分でも意外に思うほど、と楽しく、充実していた。

 何より、昨日の最後、霧島さんと本条さんの放っていた光は、見惚れるほど美しかった。

 まるで、美しいルビーが朝焼けに照らされて、さらに深く、赤く輝いているようだった。


「……でも、やっぱり怖い」

 独り言を呟く。


 私の部屋は、「とても女の子の部屋とは思えない」と母に言われるほど、シンプルな部屋だ。

 共鳴視で見える色——赤も青も灰色も見たくなかった私が選べる色は、基本白だけだ。

 まるで病院みたい、と言われたこともある。


 ただ、一つだけ、絵が壁に飾ってある。


 真っ白な部屋の中で、灰色で塗りたくられたそのキャンバスは、少し異質だった。

 その色は禍々しく、私はそれを見る度に、息が詰まりそうになる。

 

 でも、これは私にとっての戒めの証。その苦しさこそが、私の罪滅ぼしだ。

 

 その絵を眺めながら考える。


 ……一体、何が違うんだろう。


 おそらく、私が「視ている」ものは、昔から何も変わっていない。

 人と人との関係が生み出すその光は、時に赤く、青く揺蕩うように、そこに存在していた。


 ただ、間宮と行動を共にするようなってから視えるようになった光の輝きは、今までとは次元が異なるものだった。


 『見る前に跳べ』一昨日、間宮が本条さんに対して放った言葉は、彼としては場を盛り上げるために、深く考えずに放った言葉だとは思う。

 ただ、私は、自分が言われたようなような気がして、少し恥ずかしくなってしまった。


 間宮を見ていて感心するのは、その行動力だ。

 もちろん、M&Aなどの仕組みをよく勉強していることもすごいとは思う。だが、知識はあくまで知識でしかない。

 やはり、彼が色々な問題を解決して「成果」を出している源は、ひとえにその行動力にあると思っていた。


 そして、きっとそれが、私に一番足りていないものなんだろう。




 ——自分の持つ能力に気づいた小学生の私だったが、その能力を使う機会はほとんどなかった。


 基本的に、唯我独尊な子供の世界では、強い色の光を見ることは、ほとんどなかった。

 せいぜい赤色を見て仲良が良さそう、灰色を見て喧嘩中かな、とかを把握し、人よりも敏感に空気を読んで、行動できる程度の使い方しかしていなかった。


 ただ、私だけに見えている色の世界を、何かで表現できないか、そう思った私は、中学で美術部に入ることにした。


 美術部は、私から「視て」、いい意味で「青」が清々しい空間であった。


 基本的には個人作業になるので、共鳴そのものが起きる場面がほとんどない。

 一方で、ギスギスしたりもしないので、灰色に燻むこともなく、とても安定していて、私にとって、とても居心地がいい場所だった。


 私は、そんな部内の情景を「視て」、絵に落とし込むことをルーチンワークとしていた。

 何か目的があったわけではない。何となく、「私にしか見えない風景」を何かに落とし込んでみたかった。

 例えば「青」は「青」でもその色味や光り方で様々な色に見える。私はそれが人と人との関係性の幅広さのように思え、出来るだけ工夫して様々な青色をキャンパスに描くことに挑戦していた。


「すごいわね。同じ青にここまでいろんな種類があるなんて。これは空を描いているのかしら? それとも、何かあなたの心象風景?」


 黙々と青を描きながら、いつの間にか2年生になっていた私に、当時の部長が話しかけてきた。

 彼女は私の絵を、単純に見えるがメッセージ性の強い、現代美術的な抽象画のようなものと捉えてくれたらしい。

 それを切っ掛けに、絵を描く技術そのものは素人同然だった私に、色々と教えてくれるようになった。

 私も、共鳴視で見るもの以外にも、色々なものを描けるようになってくることが楽しくなり、そんな部長に懐いていた。


――ただ、時々描く、部室の様子を描いた青い絵が少しづつ、燻んでいったことには、その時は全く気づいていなかった……。


 今思えば、その頃から、部長の私への肩入れを、よく思わない子たちがいたのかもしれない。

 でも私は、それすらも“ただの青色の変化”だと信じ込んで、見て見ぬふりをしていた。



 3年生になった時、その部長の推薦で、今度は私自身が部長になることになった。


 部長に教えてもらった絵画の技法と、何より私にしか「視る」ことが出来ないモチーフがあることは、当時の私を自信づけていた。

 また、自分の能力を上手く使えば、この部活をもっと良くすることが出来るのではないか、そう無邪気に考え、私なりに部長としての仕事を頑張るつもりだった。


 ある日、美術部の顧問が私たちに告げる。

「みんな、聞いてくれる?

 明日から夏休みだと思うけど、それが終わった9月に実施される文化祭に向けて、そのポスター作成の依頼が来ています!

 実行委員会としては、お祭りを盛り上げるために、少し工夫したいと言うことで、合作、かつ、コンペ形式でやりたいんだって。みんなどうかな? やってみたい?」


 具体的には、美術のメンバーで二人一組を作って、作品を出展し、最終的には、生徒アンケートで、最終的なポスターを決定するということだった。


「やります!」

 私は真っ先に声を上げた。正に、私の能力が活かせる企画だ。

 私が部長になったその年に、こんな話が舞い降りるなんて、天啓かと思ったくらいだった。


 ……ただ、その思い込みに頭が一杯で、その時の他の部員たちの空気には全く気づいていなかった。


 翌日、私は、部員たちの前で張り切って、文化祭ポスター作成のペアの組み合わせを考えていた。


「ちょっと、そこに立ってもらえる?

 うーん、田中さんは山本さんとじゃなくて、井尻さんと組んでもらった方がいいかも。

 え? 絵の方向性? 大丈夫、大丈夫、私のことを信じてくれれば、絶対上手く行くから!」


 共鳴視で部員たちを『視』ながら、私はパートナー分けを進めた。

 部員同士を隣に並べて、赤い色がかすかに見える組み合わせを作っていけばいいだけ、そう考えていた。


 ……本来のこの部のベース色は青だったはずなのに、「何がなんでもこれを成功させないと」と周りが見えなくなっていた私は、いつの間にか、それがことに、全く気づいていなかった。



 翌日、部室には誰も来なかった。私はパートナー同士で打ち合わせでもしているのかな、と気にも留めなかった。


 その翌日も、その次の日も、誰も来なかった。


 その代わり、「退部願」と書かれた紙だけが、いつの間にか机の上に置かれていて、少しづつ増えていった。


 ……気がつけば、美術部は私だけになっていた。

 

 私は焦った。夏休み中だったので、他の部員と学校で会う機会もなく、皆、電話にも出てくれない。

 あまりの事態に、半ばパニックになった私は、顧問に相談することも出来ず、気がつけば、一人で絵を描き始めていた。


 ……正直、その絵を描いている時のことはほとんど記憶にない。

 ただ、今思えば無意識に、最後の部活の「景色」を描いていたのだろう。

 

 

 ――描き上がったのは、燻んで汚れた「灰色で塗りつぶされた絵」だった。



 休み明け、私は顧問の先生に、自分が描いた絵と部員たちが書いた退部願、そして、私自身の退部願を無言で提出した。

 顧問も、いきなりの事態に状況が掴めず、私に色々と問いかけたような気がするが、よく覚えていない。


 私は何も答えずに、ただぼんやりと黙ってその言葉を聞き流していた。


 先生の机の上に置かれた私の絵が目に入る。灰色ばかりを塗り重ねたそれは、誰にも届かない私の気持ちの残骸だった。


 それは、まるでゴッホの『星月夜』のように渦巻いている。

 ゴッホの不安や息苦しさを表したあの絵は、それでも星や月といった光と混じりった夜空だった。

 私の心を表したその絵には、何もない。ただ、灰色だけが、ぐるぐる、ぐるぐる……。


 気がつけば、視点が傾き、私はそのまま気絶して保健室に運ばれていた。


 ……もちろん、そんな絵が、文化祭のポスターに使われることはなく、その年のポスターは文字だけの寂しいものになった。


そして私は、人と関わることを避けるようになり、私の心を、深いところに閉じ込めた。



 ――ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ


 どこからか、音程もリズムもなく、ただ空気が溢れているだけの壊れたオルガンのような音が聞こえる。

 ……そう思って、我にかえると、それは自分の呼吸だった。


 この時のことを思い出すと、よく起きる発作だった。私は机の中に入っていたビニール袋を口にあて、落ち着くまで、机の上に突っ伏して、何も考えないようにした。


 苦しい、苦しい、苦しい、くるしい、クルシイ……


 でも、あの暑い夏の日に、たった一人、暗い部室で絶望しながら絵を描いていた時の苦しさに比べれば全然マシなのが、皮肉だった。



 ――少し呼吸が落ち着いたので、顔を上げる。……灰色の絵は見ないようにした。


 もう一度自分に問いかける。


 ……何が、違うんだろう。

 

 思い浮かぶのは、ESS部の一件の時に、間宮に言われた一言だ。


 『お前を信じているんだから、当たり前だろう』


 そこで、気づく。


 美術部の時は、私のことを「信じ」てくれる人が、どこにもいなかった。

 私自身、自分のことしか考えず、他の部員のことを誰も信じていなかったので、当たり前だ。

 その結果として、自分の「共鳴視」も、人も、どちらも信じられなくなった。


 間宮は、私のことを無条件に「信じ」てくれる。

 いや、私だけでなく、おそらくは、他の人のことも「信じ」ようとしている。


 もちろん、彼なりの打算とか、目論見はあるのだろう。

 だけど、普段はあれだけ理屈っぽい彼が、理屈抜きで「信じよう」とするのは、多分、「信じたい」という彼の願望に基づいている、そんな気がした。


 ……だから、揺るぎがないのだ。


 そして、私も、私を信じてくれる彼を、信じ始めている。


「……結局、それが違いなのかな」

 私はそう呟く。

 なぜかすっきりとした気持ちになって、少しだけ笑みが溢れた。


 ――もう、「みている」だけは終わりにしよう。


 そして、あることを思いついた私は、机の引き出しの奥から、美術部時代に使ったスケッチブックを取り出した。

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