第6話 仮面の下の探索

サイファー家の屋敷は、まるで牙をむく獣のように街を見下ろしていた。石造りの尖塔が空を突き、鉄の装飾が朝日を冷たく反射している。ヴィオレット・ド・ポイズンは、新たな「檻」の中で目を覚ました。


部屋は広く、天蓋付きのベッドを中心に、高価な家具が規則正しく配置されていた。窓からは庭園が見渡せるが、窓枠の意匠は格子のようで、まるで檻の中から外を見ているようだった。


「お嬢様、おはようございます」


侍女のメリッサが静かに入室し、カーテンを開け切った。ヴィオレットはベッドから起き上がり、窓の方へ歩み寄った。


「薬草園は?」


「東側の小庭にございます。ただ、執事長のクロード様の許可がなければ…」


「分かっている」


ヴィオレットは短く答えた。前世では一度も足を踏み入れることができなかったサイファー家。今度は違う。内側から、すべてを知り尽くしてみせる。


「朝食はどうなさいますか?」


「夫と一緒に取るわ」


その言葉を口にする瞬間、ヴィオレットは自分自身に驚いた。「夫」——アシュトン・サイファー。契約上の夫であり、復讐において利用すべき駒。なのに、その存在を意識すると胸の奥が微かに熱くなる。


二人の会食はサイファー家の小食堂で行われた。アシュトンは既に席に着き、書類に目を通していた。白金の縁取りの眼鏡が朝日に輝いている。


「おはよう」彼は眼鏡の奥から視線を上げ、淡々と言った。


「おはようございます」


ヴィオレットは紅茶を注ぎながら周囲を観察した。壁には歴代サイファー家当主の肖像画。どの顔も冷たく、傲慢だ。唯一、アシュトンに似た若い女性の肖像だけが柔らかな微笑みを浮かべていた。


「あの方は?」


「母だ」アシュトンは短く答え、話題を変えた。「今日から屋敷の案内をする。君の行動範囲を決めておく必要がある」


「檻の大きさを教えるということですね」


アシュトンは一瞬表情を硬くしたが、すぐに冷静さを取り戻した。


「安全のためだ。父上は危険な研究もしている。君にとっても無用なトラブルは避けたい」


「あら、私を案じてくださるの? 契約書のどこに書いてあったかしら」


「条項十七、相互の安全確保と保護義務」彼は即座に答えた。「私は契約を守る」


その真剣な眼差しに、ヴィオレットは言葉を失った。彼は前世で彼女を裏切った冷酷な男と同じ顔をしているのに、目の奥に宿る何かが違っていた。


朝食後、アシュトンは約束通り屋敷案内を始めた。二人は広い廊下を進み、次々と部屋を見て回った。書斎、客間、音楽室。すべてが豪華で、すべてが冷たかった。


「ここは?」ヴィオレットは閉ざされた扉を指さした。


「東翼だ。立ち入り禁止」アシュトンは即座に答えた。


「何があるの?」


「父上の私室と実験室」彼は眼鏡を直しながら付け加えた。「君も毒物学者の娘だ。理解してくれると思うが、研究には秘密が付きものだ」


ヴィオレットは微笑んだ。「もちろん。でも、好奇心も研究者の資質です」


二人の散策は薬草園で終わった。ここだけは屋敷の冷たさから解放されたような暖かさがあった。


「ここは自由に使っていい」アシュトンは意外な申し出をした。「毒物学者の娘として、君の知識は貴重だ。薬草の栽培に関する助言を期待している」


ヴィオレットは目を細めた。「ありがとう。でも好意には裏がある。何を求めているの?」


「情報だ」アシュトンは率直に告げた。「父上がいつも訪れる医師について知りたい。その名はグレゴリー。皇帝の首席医師でもある」


ヴィオレットは内心で笑った。情報収集の許可を得るとは、思った以上に話が早い。


「交換条件ね。私の知識と、あなたの情報。公平な取引かしら?」


「そう思うなら」


アシュトンが踵を返した時、ヴィオレットは彼の背中に問いかけた。


「なぜ私を信用するの? あなたの父は私の敵。私はあなたも敵と見なしている」


アシュトンは振り返り、珍しく微笑んだ。「敵の敵は味方だからね」


その日の夕方、ヴィオレットは薬草園で青薔薇の苗を見つけた。誰の手によるものか、彼女の家の象徴である青薔薇が、このサイファー家の檻の中にも花を咲かせようとしていた。彼女はその葉に触れ、微かに微笑んだ。


「今度は、すべてを変えてみせる」

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