第10話

 学校を出た私は、そのまま帰りのバスとは逆のバスに乗っていた。

 その先にあるのは駅。博くんの学校がある方角。なぜか、足がそっちに向いていた。

 会いに行きたいのか分からない。でも、そっちに向かっていて。



 会ってどうするのだろう。

 会って、何を言いたいのだろう。



 話の途中でキスをされて、そんなこと、どうでもよくなっていて。

 でも愛理に言われて不安になって。先輩の言葉に怒って出てきて。



 私がひとりで行く先は、もうそこにしかなかったのかもしれない。

 今の時間なら、まだ学校にいる筈。まだグラウンドで、サッカーをしている筈。

 でもバスを降りて、桜ヶ丘高校に向かう道の途中で、思い返していた。

 行ってどうするのって。

 桜ヶ丘の制服を着た子がいっぱいいる中で、私は彼と会うことも出来ないんじゃないかって。

 そう思ったら、足は止まってしまっていた。




「瑠璃」

 声をかけられて振り返る。そこには真由美先輩が立っていた。

「……先輩」

「どうしたの。彼に会いに行くんじゃないの?」

 笑った顔がとても安心させてくれる。

「瑠璃」

「真由美先輩。どうしてここに……?」

「う~ん。なんかさ、マサに会いたくなって。あいつのサッカーしてる姿、久しぶりに見たいなって」

 そう言う真由美先輩。でも私は分かってる。真由美先輩は、私を追いかけてきたんだ。

 あんな風に大声で宮下先輩に怒鳴って、部活を放り投げて出てきた私を心配して、追いかけてきてくれたんだ。

 そう思うと、涙が出そうになる。



「行こうか」

 私の肩に手を置くと、真由美先輩は言う。

「え」

「桜ヶ丘高校に」

「でも……」

 私はどうしたらいいのか分からなくて、ただ黙っていた。

「ほら。早くしないと置いていくぞ」

 その笑顔はとても優しくて優しくて。

 私が彼に会いに行けないのではと思って来てくれたのかも……、なんてことを思った。

「ありがとう……」

 小さな声で私は言うと、先輩の後を追うように歩いて行く。

 下校する桜ヶ丘の生徒がチラホラと見える中、私たちは桜ヶ丘高校の第2グラウンドまでやって来た。


 桜ヶ丘高校は大きい。

 グラウンドが2つある。

 校舎に併設されているグラウンドとは別の場所に、第2グラウンドがあって。そこでサッカー部やラグビー部が、練習をしているのだ。

 グラウンドのフェンス越しに、サッカー部の姿が見える。その中にグラウンドを走る集団。

 その中にひとり。姿を見つけては、じっと見てしまってる私がいる。博くんの真剣に走ってる姿は、久しぶりに見た。

 あんな風に走っていたんだった。

 もうずいぶんと見ていなかった姿だった。



「真由美!」

 フェンスの方へ走って来た人がいた。その人のことを見る、先輩の顔がとてもキレイで、この人がマサさんなんだって思った。

「マサ」

「どうしたんだよ」

「ちょっと。あんたのバカ面して走ってる姿を、見てみたくなったの」

「バカ面で悪かったな……っと、こっちの子は?」

「私の後輩よ」

「へぇ」

 そう言って私をじっと見る。

 その姿がとても素敵で。真由美先輩が言ってるように、バカやってる人とは思えなかった。

「初めまして。高山正輝です」

 礼儀正しい。

(やっぱり聞いたイメージとは違う)

「マサ。あんたの後輩に、この子の彼氏がいるみたいだよ」

「……っ!せ、先輩っ!」

 先輩の言葉に私は慌てた。

 だってイキナリそんなことを言われたら、逃げ場がなくなるじゃない。


 会いに来たわけじゃない。

 ただ、足が向いてしまっただけなの。


「へぇ。どいつ?」

 マサさんはそう言うと、こっちを見る。

「え」

「ほら。瑠璃。どこにいるの?」

 真由美先輩まで面白がってる。

 私は仕方なく、彼を指差す。その先にいたのは筋トレをしている博くん。

「へぇ。博か」

 そう言うなり、グラウンドの方へ叫んだ。

「博ー!!」

 その声に振り返る、博くん。

 その顔は驚いていた。声の主を通り越して、私の姿を見つけたからだろう。

「驚いてるな、アイツ」

 笑ってるマサさんは、面白いオモチャでも見つけたかのようだった。

 走ってフェンスの方へとやって来る、博くん。その顔はとても驚いていて、私はどうしたらいいのか分からなくなっていた。



「……どうして?」

 彼は私に言った。私は微かに笑うことしか出来なかった。

「お前、オンナいたんだな」

 バシッと、マサさんは博くんの背中を叩いた。

「痛いっすよ、マサ先輩」

「お前、オンナいるなんて生意気だっ」

 豪快に笑いながら私を見る。

「しかもかわいいし」

 そう言われたのは初めてかもしれない。

「マサさん。それよりこちらは先輩の彼女ですか?」

 博くんは真由美先輩のことを言う。それを聞いて、真由美先輩とマサさんが同時に言った。

「んなわけねーだろ」

「そんなことあるわけないじゃない」

 ふたりは言う事も同じだった。

 タイミングも言う事も同じで、このふたりは息が合ってると思った。

「博くん。私の先輩なの」

「そうなんだ」

「うん」

「で、俺の幼馴染みだ」

 博くんの隣でマサさんは言う。

 そう言うマサさんは気付かないのかな。真由美先輩の目線に。気持ちに。

「で、どうしたんだ?」

 博くんは私に言う。

「私が瑠璃の彼が見たかったのよ」

「もうっ。先輩っ」

 先輩は優しい。自分がここに連れて来たかのように言ってくれた。

「マサ。練習、何時まで?」

「ああ。まだ少しあるけど」

「終わったら一緒にご飯食べに行かない?」

「え」

「瑠璃と彼のことも聞きたいし♪」

 悪戯っ子のような目で私を見る。

 そしてマサさんも火がついたかのように笑う。

「そりゃ、聞きたいな」

「でしょ」

 このふたり。

 やっぱり同じ時間を共にしてきたふたりだ。こういうとこ、宮下先輩も真由美先輩も一緒。一緒になって、バカやって来たっていう話は本当だ。

「じゃ、待ってろよ」

「オッケー」

 真由美先輩は勝手に話を進めていた。



「先輩……」

 私はフェンス越しにマサさんを見つめる先輩に言う。

「なんであんな事」

「いいじゃない。あんた、本当は彼とちゃんと話がしたかったんじゃないの?」

 この人はなんでそう言うことが分かるのだろう。


 話、したかった。

 ちゃんと話しておきたかった。

 でも怖くてそれが出来ないでいた。

 宮下先輩に言われたこと、愛理に言われたこと。

 それがとても痛かったから。


「彼となんかあったんでしょ」

 私の顔を見ないでそう言った。その言葉で自然と涙が零れた。止めようとしても溢れてくる。そんな私の肩を抱くように、先輩は私を落ち着かせようとしてくれていた。

「話してごらん」

 その言葉に甘えてしまう。先輩には関係のない話。でも聞いて欲しかったのかもしれない。



 私は先輩に話をしていた。

 ただ、聞いて欲しかったのかもしれない。



 あの繭子って子のこと。

 彼女はただの友達なのか。

 愛理はあの子は博くんが好きなんだと言った。

 博くんとあの子がどうなるのかなんて分からないって。

 宮下先輩はあんなこと、言った。

 やめてしまえって。

 でも、私は彼を信じたいんだって。



「でも、信じてるんでしょ」

 先輩はそう言った。真由美先輩の顔を見ると、優しい顔をして笑っていた。

「あなたが信じてるなら、それでいいじゃない」

「……先輩」

「だってそうでしょ。あなたの好きな人だもの。あなたが信じなくて、誰が信じるのよ」

 確かにそうだ。

 私の好きな人。私が信じてるんだから。

「でもね、愛理の言葉も分かるのよ。人の気持ちって分からないもの」

「先輩」

「だから付き合ってるからって、それで安心しちゃダメってことね」

 真由美先輩の言葉に頷いて、私はグラウンドを走る博くんを見た。そしてグラウンドの隅にいるあの子を、見つけてしまった。ジャージ姿の繭子は、サッカー部のマネージャーをしているんだと思った。



「先輩。あの子……」

 真由美先輩に繭子のことを話した。グラウンドにいる繭子の姿を見て、先輩は私の肩を叩く。

「信じていればいいの。もっと自身を持って」

 その言葉は優しく、私を勇気づけてくれる。


 私はこの人のようになれるだろうか。

 憧れの先輩。

 真由美先輩のようになりたい。




     🌸 🌸 🌸 🌸 🌸




 17時を過ぎて、博くんとマサさんが私たちがいるところまでやって来た。博くんに至っては、マサさんに連れてこられたって感じで。私も真由美先輩に捕まってるって、感じだったけど。



「おぅ」

 マサさんは博くんの肩を掴みながら、こっちに歩いて来ていた。そのふたりの後ろから、繭子がこっちを見ていた。

 その繭子に気付かないフリをした。


 

 あの子の目線が痛かった。

 あの子の私を睨む目が痛い。あの子にとって私は邪魔な存在。なんでこんなところまで来るのよ、という顔をしていた。

「もっと自身持って」

 繭子の目線に気付いた真由美先輩は、小声でそう言ってくれた。だから私は顔を上げて、博くんを見たんだ。



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