【番外編】家事代行先の無口なお姉さん、推しVtuberでした。

星宮 嶺

番外編その1

 この話は「家事代行先の無口なお姉さん、推しVtuberでした。」の番外編です。


 テイストがだいぶ違うので本編の途中には入れずに切り離して投稿しています。


 本編フォローワー様100人記念に書かせていただきました。


 本編をお読みでない方は本編の方を読んでからお読みください。


 この話は「夢」かもしれないですし「妄想」かもしれません。はたまた「未来」なのかもしれません。

 

 普段とは違う二人の関係をお楽しみください。





 透子は高級マンションのエントランスで、ピンポンといつものチャイムを鳴らす。しかし、応答はない。慣れた手つきで暗証番号を入力する。ピッ、という電子音と共にオートロックが解除される。もう何度目か、慣れた道のりを歩き部屋の前に立つとバッグから取り出した一本の鍵をドアノブの下の鍵穴に差し込んだ。カチャリ、と小さな音を立てて鍵が開く。


「柚月さーん? 入りますねー」


 声をかけながらドアを開ける。玄関には、以前のような靴の散乱はなく、きちんと整頓されている。これも、透子が根気強く片付けを続け、柚月が少しずつ意識を変えてくれた成果だ。


「柚月さーん? 起きてますかー?」


 スリッパに履き替え、再び声をかけながらリビングへ進む。部屋の中は静かで、物音ひとつしない。リビングも綺麗に片付いており、ローテーブルの上には読みかけの本が一冊だけ置かれている。


(やっぱり寝てる…)


 確信をもって、廊下を進む。奥の部屋――以前は「入らないでください」と言われていた、柚月の配信部屋の前を通り過ぎ、その隣にある寝室のドアの前で立ち止まる。


「柚月さーん、寝てるんですかー?」


 少しだけドアをノックしてみるが、やはり返事はない。透子は小さくため息をつき、そっと寝室のドアを開けた。


 部屋の中は薄暗く、カーテンの隙間からわずかな光が差し込んでいるだけだ。その光の中に、ベッドの上で丸くなって眠る柚月の姿があった。掛け布団に顔を埋め、すやすやと寝息を立てている。


「柚月さーん。もうお昼ですよー」


 透子は苦笑しながらベッドに近づき、柚月の肩を優しく揺さぶる。


「んん……あとごふん……」


 お約束のように返ってくるその寝言に、透子の頬が緩む。


「だめですよ、五分じゃ起きないの知ってますから。ほら、起きて。美味しいご飯作りますから、それまでにちゃんと起きてくださいね」


 透子は根気強く声をかけ続け、柚月の身体を少しずつ起こさせる。柚月はまだ眠たげな目で透子を見上げ、ふにゃりと笑った。


「……はるのさん……」


「はい、春野です。さ、顔洗ってきましょ」


 なんとか柚月をベッドに座らせ、体を起こすところまで見届けた透子は、「起きてくるの待ってますね」と声をかけ、寝室を出て勝手知ったるキッチンへと向かった。


 今日のメニューは、柚月が以前配信で「一度食べてみたい」と話していた、あの伊勢うどんだ。透子はこっそり通販で取り寄せておいた。


「さてと、伊勢うどん、伊勢うどん……」


 カバンの中から伊勢うどんのパックを取り出す。湯を沸かし、麺を茹でる。太くて柔らかい麺が、ぐつぐつと音を立てながら鍋の中で踊る。


 茹でている間に、薬味のネギを刻み、丼を二つ用意する。一つは柚月用、もう一つは自分用だ。最近は、二人で昼食をとるのが当たり前になっており、二人で食卓を囲むのが透子の楽しみの一つになっていた。


 麺が茹で上がり、湯切りをして丼に盛る。パックに入っていた真っ黒なタレを、それぞれの丼に回しかける。


「はーい、伊勢うどんできましたよー!」


 声をかけると、リビングの方からパタパタとスリッパの音が聞こえてくる。洗面所で顔を洗ってきたのだろう、少しだけ目が覚めた様子の柚月がキッチンにやってきた。


「おはようございます、柚月さん」


「……おはようございます、はるのさん」


 まだ少し眠たげな声だが、以前のような無口で警戒心のある様子はかけらもない。完全にオフモードの、素の柚月だ。


「絶対寝てると思ったから、寝起きでも重くないようにうどんにしたんですよ。前に配信で、伊勢うどん食べてみたいって言ってましたよね?」


 そう言いながら、透子は二人分の伊勢うどんをテーブルに置く。


「あ、ほんとだ! 伊勢うどんだ!」


 柚月が目を輝かせる。しかし、丼を見た途端、首を傾げた。


「あれ? 汁、入ってなくないですか?」


「あはは、それが伊勢うどんの特徴なんですよ。タレは下の方に入ってるから、よく混ぜて食べてください」


 透子がそう説明すると、柚月は言われた通り箸で麺とタレを混ぜ始める。混ぜるほどに、真っ黒なタレが麺全体に絡みついていく。


「うわ、本当に真っ黒だ!」


 その見た目に、柚月が思わず声を上げる。


「これ、薄めなくて大丈夫なんですか? めっちゃ濃そうなんですけど」


「大丈夫大丈夫。見た目の割にそんなに濃くないから。さ、食べましょ」


 透子に促され、柚月は少し恐る恐る、伊勢うどんをすすった。


「 見た目の割に全然濃くない!」


 意外そうな表情で、柚月が透子に報告する。


「でしょ? ちょっと甘めのタレで、麺が柔らかいのが特徴なんです」


 透子も自分の丼の伊勢うどんをすすりながら相槌を打つ。二人で静かに、しかし温かい空気の中でうどんを食べ進める。


「なんか、思ってた味とは違ったけど……でも、美味しい」


 柚月が満足そうに呟き、透子もそれに同意するように頷いた。


「ごちそうさまでしたー」


「ごちそうさまでした」


 食べ終わった二人は、同時に手を合わせる。透子は自分の丼と柚月の丼を手に取り、キッチンへ向かった。


「洗い物、やっちゃいますね」


 透子がシンクに食器を置くと、柚月もその後ろをついてキッチンへやってきた。


「私も手伝いますよ」


「いいですよ、柚月さんはゆっくりしててください。私の仕事ですから」


 そう言って優しく笑う透子に、柚月は「はーい」と返事をした。しかし、リビングに戻るわけではなく、キッチンの入り口にもたれかかり、透子の手元を見つめている。


「春野さんに、次は何作ってもらおうかなー」


 楽しそうな声に、透子の心も弾む。


「何か食べたいものありますか? 地方の美味しいものとか、気になってるものとか」


「んー、ジンギスカンとか!」


「あー、ジンギスカン! いいですね! それなら通販で美味しいお肉取り寄せて、家でやりましょうか?」


「え、家でできるの!?」


 柚月が目を丸くする。


「できますできます。ホットプレートとかあります?」


「あ、あるかも……探してみます!」


「じゃあ、美味しいジンギスカンセット、通販で頼んでおきましょうか? ふるさと納税とかでもありますよ」


「あ! ふるさと納税で頼もうかな! それならなんか、お得な感じするし!」


 柚月が楽しそうにスマホを取り出し、「ジンギスカン ふるさと納税」と検索し始める。透子はそんな柚月を見守りながら、洗い物を手早く終わらせた。


 洗い物が終わると、次は掃除の時間だ。透子は掃除機を取り出し、リビングから掃除を始める。柚月はまだスマホでジンギスカンを探している。


「あ、柚月さん。このクッション、前になかったですよね?」


 掃除機をかけていると、透子はソファーに置かれた新しいクッションを指差した。それは、朝比奈柚葉の可愛らしいデフォルメイラストが印刷された、グッズだった。


「あ! これ! そうそう、次の生誕グッズが届いたんですよー!」


 柚月はそう言いながら、そのクッションをぎゅっと抱きしめる。


(うわー! かわいい! 本物が本物のグッズ抱きしめてる……!)


 透子は内心で大興奮しながら、思わず口走ってしまった。


「うわ、かわいい! これ、持って帰っていいですか!?」


 柚月は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに笑った。


「え、いいですけど……もう一個、配信部屋にあるし」


「やったー! ありがとうございます!」


 透子は掃除機を止め、そのクッションを手に取ると、自分のバッグに大事そうにしまった。


「ちゃんともう一個、買っておきますからね!」


「えー、別に買わなくてもいいのに」


 遠慮する柚月に、透子はドヤ顔で言い放つ。


「何言ってるんですか! 推しにお金払うのは当然でしょ!」


 その言葉に、柚月はまたしてもきょとんとした顔をした後、吹き出した。


「あははは! はるのさん、ほんと面白い!」


 二人で笑い合いながら、掃除は進む。透子はいつも以上に丁寧に、柚月の部屋を磨き上げた。推しの空間を綺麗にする、これ以上の喜びはない。


 全ての作業を終え、玄関で靴を履きながら、透子は柚月に向き直った。


「それでは、本日の作業はこれで終了です。来週も火曜日の十三時に来ますね」


「はい! 待ってます!」


 柚月は玄関のドアを開けて、透子を見送ってくれる。その表情は、初めて会った頃の無口で警戒心に満ちたものではなく、心から信頼し、次の訪問を楽しみにしているのが伝わってくる、柔らかな笑顔だった。


「気を付けて帰ってくださいね!」


「ありがとうございます!」


 透子は手を振り、マンションの廊下を歩き出した。柚月はドアの前で、透子の姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。


(あー、今日も最高だったな!)


 マンションの外に出て、透子は大きく伸びをした。推しとの距離がこんなにも近くなるなんて、家事代行の仕事を始める前は想像もしていなかった未来だ。


 足取りも軽く、透子は次の仕事へと向かった。心の中には、推しの笑顔と、来週への期待が満ち溢れていた。

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