外へ

「そうと決まれば、早速街に繰り出そうぜ」


 死神はシャツの第一ボタンを外し、砕けた口調で語りかけてきた。

 その豹変ぶりにオリヴィアが目をしばたかせていると、「オールSは確定したも同然だからな」と、死神に満面の笑みを向けられた。

 今までのぎこちない敬語は、全て自分の評価を上げるための嘘だったのだと気づくと、彼女も釣られて敬語を外した。


「え、今から? こんな夜中に出歩くなんて……」


「いい子ちゃんかよ。君十六歳だろ? もう十分成人だって」


「誕生日は明後日よ。まだ成人じゃないわ」


「あ、そっか。それはめでたい。じゃあ早めの誕生日プレゼントだな」


 死神は手袋を嵌めた手で再び懐からレジュメを取り出すと、本当だ、と小さく呟いた。

 オリヴィアは幼少期の黒歴史の書かれた情報が、第三者の手にあることが恥ずかしく、いてもたってもいられなかった。ベッドから降りて、死神の手からレジュメを奪い取ろうとしたが、実際に掴んだのは空だった。


「別に恥ずかしいことじゃないだろ。妄想の一つや二つ誰だってするし、君のはまだ可愛いもんだよ」


「関係ないわ。その秘密は墓まで持ってくの。お父様やお母様にも、妹にも伝えてないんだから!」 


 腕を死神の頭上に伸ばされると、オリヴィアには到底届かなかった。背伸びをしてもせいぜい死神の二の腕に巻かれたアームバンドに触れるくらいで、古紙に擦りさえしない。

 それでも彼女は諦めきれずに手を伸ばし続けたが、力を振り絞ってジャンプしたところで、発作の咳が出た。

 オリヴィアはその場に座り込むと、口元を押さえて発作が治るのを待った。


「あーあ無理するから」


 立っていたはずの死神の声がやけに近く感じた。投げられる言葉が心配の声ではないことに、火にかけられた鍋の湯のように沸々と怒りが湧き上がったが、それを言葉にするにも咳が邪魔して上手くいかなかった。

 オリヴィアはえずいて涙目になりながら顔を上げると、ぼやけた視界に死神の顔が映った。膝を抱えた死神の手にはもう紙はなかった。


「あなたが、意地悪するから」


 オリヴィアは目の前の死神を呪うように睨んだが、相手は特に気に留める様子はなかった。

 ひゅうひゅうと、肩を上下させて自身を落ち着かせると、オリヴィアは深いため息を吐いた。


「不便な身体だな」


「ええ、とても」


 オリヴィアはぶっきらぼうに言い放つと、立てた膝に力を入れた。

 ふん、と苛立ちを隠せずに思い切り立ち上がると、慣れないことをしたせいか、立ちくらみがした。

 オリヴィアはそのまま前方に体重を傾けて、次に来るであろうリノリウムの床との衝突に目を閉じたが、覚悟した痛みは来なかった。


「あれ……?」


 目を開けると、頭一つ分先に地面が見えた。


「思いの外、重いんだな」

 

 自分の身体が死神の肩に担がれているのを理解したのは、その配慮の欠けた発言が耳に届いてからだった。


「ちょっと、なにするの!?」


 地面から体が遠ざかっていく。オリヴィアは死神に担がれたまま、足をばたつかせた。

 周りに同室の人間がいないにも関わらず、彼女の性格ゆえか声を抑えたトーンで死神に言葉を投げた。

 

「こうでもしないと、君外でないだろ」


 抱えられたオリヴィアからは死神の表情は見えないが、その声色から心底めんどくさそうな顔をしているのは、容易に想像できた。


「出たくないんじゃなくて、時間を考えてって言ってるの! 私、まだ未成年なのよ」


「関係あるか。そんな価値観だと死ぬまで恋なんてできねーぞ」


「うっ」


 死神にとっては何気ない一言だったのかもしれないが、オリヴィアにとっては胸に深く突き刺さる一言だった。春が訪れたばかりだというのに、心に雪が染み込むような、そんな切なさを感じた。

 視界が潤む。わかっていたのに、覚悟だってできていたはずなのに、いざ死を受け入れられるかと言われれば難しかった。

 それでも、ここで泣き崩れて残された時間を無駄にするわけにもいかなかった。

 オリヴィアは覚悟を決めるように拳を握ると、ネグリジェの袖で涙を拭った。


「……いいわ。わかったわよ。それで恋がわかるなら、あなたに賭けるわ」


「ん?」


「最期のチャンスだもの。好き放題生きてやるわ」


「そんな決意も、この体勢じゃ締まらないな」


 前言撤回。こんなやつに恋を教わらなければならないことに、オリヴィアは眉根を寄せた。

 藁にもすがる思いだったが、選択を間違えたかもしれない。

 そんなことを考えながら、なすがまま死神に身を任せた。

 

 ——その数秒後、院外で甲高い声が響き渡ったが、近くに森のある立地ゆえ、鹿の鳴き声だと特に騒ぐ医者も患者もいなかった。


 * * *


「ありえない。本当にありえない!」


 多くの町人で賑わう繁華街で、オリヴィアだけが不満の声を漏らしていた。


「二階から飛び降りるくらい、なんてことないだろ。小さいときに誰だってやる」


「三階よ! あなたはそうだったかもしれないけど、私は違うわ!」


 オリヴィアは甲高い声で、隣を歩く死神に猛抗議した。

 オリヴィア自身も何が起こったか定かではなかったが、死神が入ってきた病院の窓から、担がれたまま飛び降りたのだということは推測できた。

 気がついたときには露に濡れた雑草に足がついていたが、その間の記憶が曖昧だった。

 ただ、「そんな大声出すもんでもないだろ」と、あっけらかんとした死神の様子に鉄拳を振るったことだけは覚えていた。


「あんまはしゃぐとまた体調崩すぞー」


「あなたに言われなくたってわかってるわよ!」

 

 行き交う人々がニヤニヤしながら、痴話喧嘩を見るような目で振り返っては、通り過ぎていく。

 面白くないオリヴィアは、頬を膨らませた。


「しっかしあれだな、君、思ったより表情豊かだな」


「え?」


 死神に言われて初めて、今日はやけに頬の筋肉に力が入っている気がした。


「資料に載ってた顔は暗かったからな」


 オリヴィアのあの写真がいつ撮られたかは知らないが、自分自身でも確かにひどく疲れた顔をしていたように感じていた。

 もしかすると、ノンデリな死神とはいえ、願いを叶えてくれるという期待と、無理矢理にでも外へ連れ出してくれた事実に、心が浮ついているのかもしれない。あまり認めたくはないが。


「それに、書いてある性格以上に好奇心旺盛で、積極的だ。育ちの良いお嬢様かと思えば、結構狡猾でどこで覚えたかわからん交換条件を持ち出してくるし、譲らないところはとことんこだわるし」

 

 悪戯っぽく笑う死神の手元には資料があって、自分がどんな人間か筒抜けなのだと感じると、オリヴィアは俯いて諦めるようにため息を吐いた。


「何よ。私はあなたのこと何も知らないのに……あ」


 オリヴィアは顔を上げて、隣を歩く死神をまじまじと見つめた。


「どうした?」


「まだ聞いてなかったわ、あなたの名前」


「名前? 聞いて何になる」


 オリヴィアは、名前くらい教えてもらえて当然だと思っていたため、瞼を半分下ろしてめんどくさそうな表情を向けられたことに驚いた。


「恋愛小説の主人公は、まず相手のことを知ろうとするの。名前、年齢、出身、趣味。許嫁や戦略結婚みたいな特殊な場合もあるけど、基本は相手の名前を知らないと恋に発展しないわ」


 名前を知らぬまま、お互いに惹かれ合う作品もあるが、今のところこれといって死神にときめく要素がなかった。そもそもときめくという感情さえ、彼女にとって不明確なものだった。

 恋をする云々の前に、知らないことが多すぎる。だからこそまずは一つずつ、相手のことを知ろうとした。


「恋する乙女の動作を模倣したって、君が本当に心動く相手じゃないと、それは恋とは言わないんじゃない?」


「じゃあ恋ってなんなの? あなたが私に教えてくれるんでしょ。それに……私ばっかり、あなたのことを知らないなんて不公平よ」


「そっちが本音だな。回りくどい言い訳せずに、最初からそう言えよ。素直な方が可愛げあるぜ」


 死神の言う可愛げとは具体的に何か分からず、オリヴィアは声に出して反芻した。

 いつか読んだ本に「素直なところが好き」とヒロインを評する王子様がいた気がするが、やはり素直は現実でもチャームポイントたり得るようだ。

 

 ——もう少し素直になれたら、恋がわかるのかしら。


 ごめんなさい、ごめんなさいと謝る母親の姿が記憶の奥底に居着いて離れない。ある種彼女にとっての呪いであった。

 オリヴィアは、誰も心配させたくなくていつも大丈夫なふりをしてきた。本音を伝えると、周りに気を使わせてしまうと物心ついたときから感じていた。

 そんな生き方をしたせいか、素直になれと言われても、染みついた癖を治すのは難しかった。

 それでも、それでも残された日数が少ないのをわかった上で、仕方がないと妥協していいものなのだろうか。

 少しだけ、もっと率直に感じたことに正直に、心の思うがままに従ってみてもいいのかもしれない。

 好き勝手生きるとは、そういうことなのではないか。恋を知るのに受け身でいるだけだと、一生理解できないのだろう。物語の主人公たちも、決断して、成長して、みんなハッピーエンドを掴み取っている。まずは、自分自身から変わらなければ。

 オリヴィアはぐるぐるとそんなことを考えていると、耳に優しい声が届いた。


「エトワール。それが俺の名前だ」


 死神の方へ顔を向けた。繁華街のライトに照らされ、彼のピアスがキラリと光った。

 それだけでない。月を背にした彼の絹糸のような髪が夜風に靡いて、一層輝いて見えた。

 死神だと名乗った先刻とは少し雰囲気が違うように感じた理由を、オリヴィアはその場でうまく言語化できなかった。

 オリヴィアは胸の奥が疼くような、少しくすぐったい感じがしたが、そんなところに手が届くはずもなく、ただ空気を吸いこんで代わりにこう答えた。


「綺麗な名前ね」


 エトワールの性格は置いておいて、オリヴィアは心の底からそう感じた。星の意味を持つその名が彼の雰囲気とよく似合っていた。

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