第二章:アルカディア魔法学院
アルカディア魔法学院は、マギステリウム王国の首都アルカディアの中心に聳え立っていた。七つの塔が王冠のように円を描き、その中央にある最も高い「星の塔」は雲を突き抜けるほどの高さだった。建物全体が淡い青色の石で造られており、無数の窓から漏れる魔法の光が夕暮れ時には幻想的な光景を作り出す。
ミーシャは学院の正門前で馬車を降り、荷物を手に取った。
「これが魔法学院…」
予想以上の壮麗さに息を呑む。しかし彼女の目を最も引いたのは建築美ではなく、建物全体を取り巻くマナの流れだった。無数の複雑なパターンが建物の周囲を螺旋状に巡り、塔の先端で収束している。
「素晴らしい…まるで巨大な生命体のよう」
魔法によって制御されたマナの流れは、生物の循環系や神経系に似た構造を持っていた。ミーシャはノートを取り出し、急いでスケッチを始めた。
「転入生ですか?」
突然声をかけられ、ミーシャは我に返った。目の前には緑色のローブを着た年配の女性が立っている。
「はい。ミーシャ・ルミナリアと申します。今日から入学することになりました」
「私はオフィーリア・グリーンリーフ。入学管理を担当している教授よ。ロバート・ホークアイ師から連絡は受けていたわ。珍しい転生者だとか」
「はい…」
「さて、まずは適性試験を受けてもらいましょう。どの学部に所属するかを決めるためのものよ」
オフィーリア教授に導かれ、ミーシャは石畳の中庭を横切り、エメラルドグリーンの扉のある建物へと向かった。中に入ると、大小さまざまな部屋が連なる廊下が現れた。壁には動く肖像画や、不思議な光を放つ魔法器具が飾られている。
「ここで少し待っていてください」
オフィーリア教授は一つの部屋の前で立ち止まり、扉をノックした。「適性試験の準備をしてきますので」と言い残し、廊下の奥へと歩いていった。
ミーシャは待っている間、周囲のマナの流れを観察した。廊下全体に均一に配置された魔法のパターンが、何かの情報を伝達しているように見える。彼女が前世で研究していた量子ビットの振る舞いにも似ていた。
「情報を伝達するマナの回路…これは研究価値がある」
ミーシャが小声で呟いていると、突然背後から声がした。
「何が研究価値があるのかな?」
振り返ると、十代後半か二十歳前後と思われる男子学生が立っていた。端正な顔立ちと黒髪、そして鋭い金色の瞳が特徴的だ。高級感漂う深紅のローブを着ている。
「ああ、すみません。独り言です」
「君は新入生?その髪と瞳の色は珍しいね」男子学生は興味深そうにミーシャを見た。「僕はマーカス・ブラッドストーン。上級魔法理論学部の学生だ」
「ミーシャ・ルミナリアです。今、適性試験を受けるところです」
「そうか。どの学部を希望しているの?」
「まだ決めていません。でも…」ミーシャは少し躊躇った後、続けた。「魔法のパターン構造について研究したいと思っています」
マーカスの目が輝いた。「おや、それは興味深い。大抵の新入生は派手な攻撃魔法や実用魔法に関心があるものだけど」
会話が進む中、廊下の奥からオフィーリア教授が戻ってきた。「お待たせしました。準備ができましたよ」
「では、試験頑張って。また会おう、ミーシャ」マーカスは軽く手を振り、立ち去った。
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適性試験の部屋は円形で、床には複雑な魔法陣が描かれていた。壁には様々な魔法器具が並び、天井からは水晶のシャンデリアが吊り下げられている。
部屋の中央には白髪の長い老教授と、数名の審査官らしき人々が待っていた。
「ミーシャ・ルミナリア」老教授が彼女の名を呼んだ。「私はマクシミリアン・アークライト。魔法学院長だ」
ミーシャは緊張しながら一礼した。
「さて、適性試験を始めよう。まずは基本的なマナ感知から」アークライト学院長は手を翳すと、空中に七色の光の球を浮かべた。「これらの魔法球のマナパターンを解読してみなさい」
ミーシャは深呼吸し、集中した。光の球の中に渦巻くマナの流れを視認する。一つ一つの球に異なるパターンがあり、それぞれ別の魔法属性を表しているように見えた。
「火、水、風、土、光、闇、そして…中央のは複合型でしょうか。七つの属性が螺旋状に組み合わさっています」
審査官たちがざわめいた。通常、初心者が複合型の魔法構造を見抜くことはほとんどないという。
「次は、実際に魔法を発動してみなさい。このクリスタルに向かって、あなたの得意とする魔法を」
ミーシャの前に透明な結晶が置かれた。彼女はしばらく考え、手をかざした。前世の研究で培った情報処理の概念を思い出しながら、マナに働きかける。
マナが彼女の指先から流れ出し、結晶へと向かう。通常の魔法使いならば、特定の属性の魔法を放つところだが、ミーシャは違った。彼女はマナの流れそのものを分析し、その構造を変化させた。
結晶が淡く光り始め、内部で複雑なパターンが形成される。まるでDNAの二重らせんが三次元に拡張したような構造だ。
「これは…」アークライト学院長が驚きの声を上げた。「マナ構造解析?しかも初学者とは思えない精度だ」
ミーシャは説明した。「私にはマナの流れが情報パターンのように見えます。このパターンを解析し、再構築することで、マナの性質を変えられるのではないかと考えました」
審査官たちは小声で議論を始めた。ミーシャの手法は従来の魔法理論とは一線を画すものだった。
「最後の試験だ」アークライト学院長は深刻な表情で言った。「この古代魔法文字を解読してみなさい」
壁に投影された複雑な文字列。一見すると判読不能な記号の羅列だが、ミーシャはその中にパターンを見出した。
「これは…単なる文字ではなく、マナの流れを記録したものですね。縦に読むと魔法の構造が、横に読むと発動条件が書かれています。立体的に見ると全体で一つの魔法式になる」
完全な沈黙が部屋を支配した。
「驚くべきことに」アークライト学院長が静かに言った。「その通りだ。これは古代の魔法研究者が残した三次元魔法記録。通常、解読には何年もの訓練が必要とされる」
オフィーリア教授が口を開いた。「これは通常の適性試験の範囲を超えています。特別研究生としての資格があると判断します」
「同意する」アークライト学院長は頷いた。「ミーシャ・ルミナリア。あなたを魔法理論研究学部の特別研究生として受け入れよう。指導教授は…」
「私が引き受けよう」
新たな声が部屋に響いた。扉が開き、一人の中年男性が入ってきた。白髪と鋭い灰色の瞳を持ち、古典的な黒のローブを身につけている。厳格な表情からは、並々ならぬ知性と威厳が感じられた。
「レオンハルト教授」アークライト学院長が驚いたように言った。「珍しいな。あなたが自ら指導を申し出るとは」
「この適性試験の様子を観察していた」レオンハルト教授と呼ばれた男性は、冷静な目でミーシャを見つめた。「彼女のマナ解析手法は…興味深い。私の研究にも新たな視点をもたらすかもしれない」
ミーシャは緊張した。レオンハルトという名前は、旅の途中で耳にしていた。マギステリウム王国最高の魔法理論学者であり、厳格な教授法で知られる人物だ。
「レオンハルト・グリムヴァルト教授のもとで学べるとは光栄です」ミーシャは丁寧に頭を下げた。
「明日から私の研究室へ来なさい。星の塔、第七層だ」レオンハルト教授はそれだけ言うと、部屋を後にした。
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その夜、ミーシャは与えられた学生寮の部屋で、今日の出来事を整理していた。窓からは学院の中庭と、夜空に浮かぶ二つの月が見える。
「地球とは違う月…本当に異世界なんだ」
机の上には、今日の適性試験で見たマナパターンのスケッチが広げられていた。ミーシャは前世の研究ノートを思い出しながら、新たな理論を構築しようとしていた。
「マナの流れは情報の流れ。その情報を解析し、再構築できれば…」
ミーシャは小さな実験用の魔法具を操作した。ロバートから譲り受けた簡素な道具だが、彼女の目的には十分だった。指先から放ったマナを結晶に通し、その変化を観察する。
「やはり…マナパターンは遺伝情報に似た構造を持っている」
深夜まで実験を続けたミーシャは、ようやく疲れを感じて窓際に立った。学院の塔々が月明かりに照らされ、幻想的な光景を作り出している。
「レオンハルト教授…どんな人なのだろう」
明日から始まる本格的な魔法研究に、期待と不安が入り混じる。しかし、科学者としての好奇心が彼女を突き動かしていた。魔法という未知の領域を、情報生命科学の視点から解明する。それは前世でも叶わなかった夢のようなチャレンジだ。
「さあ、新しい研究の始まりだ」
ミーシャは深呼吸し、明日への準備を始めた。
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翌朝、ミーシャは早めに起き、星の塔へと向かった。螺旋階段を上っていくと、マナの濃度が徐々に高まるのを感じる。第七層に到達すると、重厚な黒檀の扉が現れた。「レオンハルト・グリムヴァルト魔法理論研究室」と金文字で書かれている。
ミーシャは緊張しながらノックした。
「入りなさい」
中に入ると、広大な円形の部屋が広がっていた。壁一面が本棚で埋め尽くされ、天井まで届く梯子が数か所に設置されている。部屋の中央には大きな作業台があり、複雑な魔法実験装置が並んでいた。窓からは学院全体が見渡せる。
レオンハルト教授は作業台の前に立ち、何かの実験をしていた。振り返ることなく話し始める。
「時間通りだな。良い心がけだ」
「おはようございます、教授」
「まず言っておく。私の研究室では三つのルールがある」レオンハルト教授はようやくミーシャの方を向いた。「一、常に疑問を持つこと。二、仮説は必ず実験で検証すること。三、決して魔法の本質を見失わないこと」
「はい」
「さて、昨日の適性試験でのあなたのマナ解析法に興味を持った。もう一度見せてもらおうか」
教授はテーブルの上に七色の魔法球を並べた。ミーシャは前日と同様に集中し、マナパターンを解析し始めた。昨日よりも詳細に観察できる。
「各球体のマナパターンには固有の振動数があります。その振動数同士が共鳴することで、複合的な魔法効果が生まれるようです」
「ほう。振動数と共鳴か」レオンハルト教授の眉が少し上がった。「面白い視点だ。従来の魔法理論では属性相性による反応と考えられているが…」
ミーシャは大胆に続けた。「もし許していただけるなら、私の理論を実演してみたいのですが」
「どうぞ」
ミーシャは魔法球に近づき、指先からマナを流し込んだ。彼女は魔法球内部のマナパターンを、自身の理解に基づいて再構築していく。しばらくすると、七つの球が互いに引き合い、複雑な幾何学模様を形成し始めた。
「これは…」
レオンハルト教授が驚きの表情を見せた。球体が作り出したのは、マギステリウム王国の古代魔法研究で知られる「七元星図」—高度な魔法理論を表す図形だった。通常、この図形を作り出すには何年もの訓練が必要とされる。
「どうやってこれを?」
「マナパターンを情報構造として捉え、その振動数を調整しました。前世…いえ、以前研究していた理論に基づいています」
「前世?」レオンハルト教授の目が鋭くなった。「あなたは転生者だな」
「はい。別の世界で情報生命科学という学問を研究していました」
「情報生命科学?」
「生命の持つ情報構造を解析する学問です。DNA、RNA、タンパク質など、生命を形作る情報の流れを研究していました」
「それで魔法のパターンが見えるのか…」レオンハルト教授は考え込んだ。「興味深い。魔法と生命、その共通点を見出そうというわけだな」
「はい。マナの流れは生命の情報構造に似ています。だから私は『魔法オーミクス』という研究を提案したいと思います」
「魔法オーミクス?」
「オーミクスとは、生命の全体的な情報構造を解析する学問の総称です。魔法オーミクスは、魔法の構造を同様の視点から解析する学問になります」
レオンハルト教授は長い沈黙の後、珍しく微笑んだ。「大胆な提案だ。学院の保守派からは非難されるだろうが…」
教授は窓際に歩み寄り、学院の景色を見つめた。「私も若い頃は既存の理論に挑戦し、新たな視点を提案した。だが時に、新しい視点は危険を伴う」
振り返り、ミーシャを厳しい目で見つめる。「あなたの『魔法オーミクス』の研究を認めよう。だが、その責任も自分で負うことになる。準備はいいか?」
ミーシャは迷いなく答えた。「はい、教授。この研究に命を懸けます」
「よろしい。明日から本格的な研究計画を立てよう。今日は学院の図書館で基礎文献を調べなさい。この許可書で禁書区画にも入れる」
レオンハルト教授は羊皮紙に何かを書き、印章を押した。
「ありがとうございます」
ミーシャが部屋を出ようとしたとき、レオンハルト教授が最後に一言付け加えた。
「ミーシャ・ルミナリア。あなたの研究は、この世界の魔法観を変えるかもしれない。だが同時に、予測できない結果をもたらす可能性もある。常にその覚悟を持つことだ」
重みのある言葉に、ミーシャは静かに頷いた。
魔法学院での新たな一歩が、今始まったのだ。
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