番外編:夜のカフェ、ストロベリーの記憶
涼月がひとり夜のカフェ「Kino」で過ごしながら、マサキとの最初の出会いや告白を回想するシーン
カラン、と小さくベルが鳴る音が店内に響いた。
「……閉店だよ」
そう誰に向けるでもなく呟いた涼月は、手にしたカップをカウンターに置き、椅子に深く腰を下ろす。窓の外は夜の帳がすっかり降りて、街灯の淡い光がガラスに滲んでいた。
カフェ「Kino」は今夜も静かだった。
——でも、それでいい。
ガラスのショーケースには、今日焼いたストロベリータルトがひとつ、取り残されたように並んでいる。
それを見つめる涼月の目が、ふっと細められる。
「……マサキ、今日も残ったよ。あんたがいたら、きっと嬉しそうに全部食べてただろうな」
そんな風に呟くと、自然と記憶が蘇る。
あの春の午後、最初に出会った日のことを。
あの日も、この店は静かだった。
珍しく涼月ひとりで切り盛りしていた午後。ドアを開けて入ってきた青年は、どこか陽の光をまとったような笑顔だった。
「こんにちは! えっと、ひとりです。ここ、入っていいですか?」
明るく人懐こい声。けれど、どこか遠慮がちで、言葉の端に優しさが滲んでいた。
「どうぞ。お好きな席へ」
涼月はいつも通り無表情でそう答えたつもりだったが、その時の彼はまっすぐ涼月の目を見て言った。
「……あ、なんか、いい顔しますね。店長さん?」
「は?」
「いや、ごめん。ちょっとクールな雰囲気だったから。でも今、優しい目してた。……あ、すみません、なんか変なこと言ってる?」
涼月は思わず唇の端を引きつらせた。照れてる、と自分でもわかった。
彼はそのあと、ストロベリータルトを頼んだ。
「甘いのって、時々無性に食べたくなるんですよね。これ、手作りですか?」と感激しながら。
それからも、マサキはちょくちょく店に通うようになった。
春が終わり、夏の入り口。ある雨の日、ふたりきりの店内で、彼は言った。
「俺、涼月さんの作るタルトも、コーヒーも、静かなこの時間も、全部好きです。……いや、それ以上に、あなたが好きなんです」
一瞬、鼓動が跳ねた。
「なんで俺……? そんな、俺なんて……」
「そんなこと言わないでください。……俺、本気ですよ」
マサキの真っ直ぐな目が、あの時の涼月にはまぶしかった。
言葉にできない何かが、喉の奥で震えた。
「……わかった。じゃあ、試しに……俺と一緒にいてくれる?」
それが、ふたりの始まりだった。
夜のカフェに戻ると、ショーケースのタルトはもう冷えていた。
涼月はそれをひとつ取り出し、フォークを手にする。
「……あんたの好み、移った人、今日も来たよ」
香月のことだ。
「あの子、なんかお前に似てる気がする。……いや、似てるわけじゃないのに、たまに同じ空気を感じる。やっぱりお前、何か残してったんだな」
フォークでタルトを割り、ひとくち。
甘さの奥に、懐かしさがじんわり広がる。
「……うまいな。今日も、ちゃんと焼けた」
静かな夜。
誰もいない店内に、ほんの少しだけ春の香りが残っていた。
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