甘い旅のあとで④

 カップの中で冷めていくお茶を見つめながら、もえは小さく息を吐いた。

 苦みとともに蘇った記憶は、懐かしさよりも、少しばかりの痛みを伴って胸を締めつける。


 高校時代に付き合っていた彼は、当時“スイーツ男子”と呼ばれるジャンルの筆頭だった。流行を追っていたわけではない。心から甘いものが好きで、甘味の魅力を真剣に語る人だった。


 初めて一緒に行ったのは、小さな路地裏のパンケーキ屋だった。

 二人で同じ皿を分け合いながら、ふわふわのパンケーキを口に運んだとき――彼が言った。


「こういうの、さ。ひとりで食べるより、誰かと一緒のほうが甘く感じない?」


 もえはそのとき、ああこの人と一緒なら、もっといろんな味を知れるかもしれないと思った。

 それからというもの、週末ごとにスイーツを食べ歩き、ふたりだけのランキング表を作った。

 味だけじゃない、見た目や空気感、混んでいるかどうかまで評価して。手書きのノートは何冊にもなった。

 笑い合って、撮った写真はたった数枚。でもそれで十分だった。思い出はすべて、あの味に染み込んでいた。


 ――だから、彼が突然「筋トレ始める」と言い出したとき、もえは理解できなかった。

 最初は軽い冗談かと思った。でも次に会ったときには、プロテインを片手に公園の鉄棒で懸垂していて、その目は本気だった。

 当時ふたりはSNSなんてやっていなかった。写真も、特別な記録もなかった。けれど――筋トレを始めてからの彼は違った。

 筋肉の輪郭を強調した自撮り、使用中のプロテインのレビュー、そして謎に光沢を放つ腹筋のアップ写真。誰に見せたいのか分からない“自慢の肉体”を、やたらとネットに上げるようになっていた。スイーツ関連ではなく代わりに「今日のルーティン」や「胸筋経過報告」なる動画が並ぶようになった。


「……チョコの食レポを私にしていた人が、今はささみの塩加減語ってるとか、どこの筋肉バラエティよ……」


 動画越しにダンベルを担ぐ彼を見ながら、もえは何度かため息をついた。


「筋肉に目覚めるのはいいけど、スイーツへの裏切りが酷すぎる……」

「プロテインのほうが筋肉を鍛えるには効率いいし、健康的だし。スイーツはもう卒業かな」


 いつかまた食べ歩こうね、という約束も、評価表のノートも、彼にとっては“終わった過去”になっていた。

 残されたもえは、悔しさと寂しさをどうにもできなくて、あえてスイーツにのめり込んだ。SNSに写真を載せ、ハッシュタグを工夫し、レビューを添えた。

 甘くて可愛い世界に没頭することで、自分の価値を塗り直そうとした。


 ――でも、味がしなくなっていた。


 きらびやかなスイーツの山も、目を引くカラフルな器も、どこか薄っぺらく感じてしまう。

 写真には笑顔が写っていても、その場にいたのはいつも自分ひとり。


「ほんとは、誰かと食べたかっただけなんだよね……」


 ぽつりと漏れた声に、ミルフィが首をかしげた。


「にゃ? なにか言ったにゃ?」


 もえはゆっくりと首を振り、目を閉じた。


「ううん、なんでもない。でも――ありがとう。ここに来てよかった」


 少し間を置いて、もえは静かに言葉を続けた。


「……たぶんね、私は“スイーツが好き”って気持ちに、いろんなものをくっつけすぎてたんだと思う」

「映えるかどうか、誰かに見せるかどうか、どれだけ話題になるか。いつの間にか、“甘さ”そのものより、“意味”とか“戦い”みたいなものが先に来てて……」


 彼女は苦笑いを浮かべた。


「でも、本当は――ただ、美味しいねって言い合いたかっただけなんだよね。誰かと一緒に、笑って食べる、それだけで十分だったのに」


 その声には、名残のような寂しさと、それを見つめなおした安堵が混ざっていた。

 もう一度目を開いたとき、彼女の表情には、微かに穏やかな光が宿っていた。

 その変化に気づいたのか、ミルフィが小さく笑った。


「もえ、今の顔……ちょっとお腹空いた人の顔にゃ」

「え、そんなに?」

「にゃふふ。じゃあ、ラストにぴったりの一品、いくにゃ!」


 そう言ってミルフィが案内したのは、街角にひっそりとたたずむ屋台だった。派手さはないが、香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。

 屋台の主は恰幅のいい老紳士。笑顔で差し出してきたのは、薄く焼かれたクレープのような菓子で、ふわりと湯気が立っている。ほんのり焦げ目のついた生地の中には、とろけるような黒糖クリームと、やさしい甘さの豆花が包まれていた。


「“ふくみ包み”って名前にゃ。甘さは控えめだけど、口に入れると……なんか、あったかくなるにゃ」


 もえは両手でそっと受け取り、ひと口かじった。

 その瞬間、胸の奥にふわりとあたたかい風が吹いた気がした。味というより、優しさを食べているような不思議な感覚。


「……美味しい」


 小さな声でそう呟いたもえの目に、ほんのりと光がにじんでいた。


「これ、好き……」


 ようやく、心の底から「美味しい」と言えた。

 甘さが心に届いた瞬間だった。


 * * *

 夕暮れどき、三人は宿へと向かった。デザランティアの宿は街並みに合わせたお菓子の家風で、壁はビスケット模様、扉の取っ手はマカロン型。だが見た目に反して設備はきちんと整っており、落ち着いた空間が広がっていた。


 もえはチェックインを済ませながら、ふと思った。

(誰かと一緒に「美味しいね」って言える食事、今夜はきっと……)


 心からおいしいと感じる理由がわかった今、ふたりと囲む食卓がどんなものになるのか、少し楽しみになっていた。


 夜、部屋に届けられた夕食を見て、もえは一瞬目を丸くした。

 ハート型のデミグラスソースがかかったロールキャベツ、苺のように赤く艶やかなトマトソースパスタ、チョコムースそっくりのマッシュポテトに、プリン型に盛られたご飯。どれもこれも、見た目だけなら完全にスイーツ。


「……デザート、じゃないよね?」

「ふふーん、正解は“普通の料理”にゃ! ずっと甘いもの続きだったにゃ? こういうのが逆に新鮮で面白いにゃ~」

「確かに……ここまで徹底されると逆にありがたいかも」


 ミルフィが満足げに胸を張り、フィリアは苦笑しながらも席についた。その手には、ほんのり嬉しさがにじんでいた。


「この旅で初めて、甘くないものに出会えましたわ……胃が救われるとはまさにこのことです」


 普段は表情の変化が少ないフィリアが、どこかほっとしたように微笑む。甘い空気にさらされ続けてきた彼女にとって、この“普通”の夕食は、まさに癒しだったようだ。


 料理をひと口、ふた口。どれも優しい味付けで、胃にすっと馴染む。

 スプーンやフォークが小気味よく皿を鳴らすたびに、食卓には柔らかな笑い声がこぼれていった。


 会話の内容は、旅の話、スイーツの思い出、そしてミルフィの冒険的な食レポ失敗談。


「昔、カレーに綿あめのせて大惨事になったにゃ〜!」

「想像するだけで甘くて辛くて……混乱するね」

「それをメニュー化しようとして止めたの、私ですわ」


 もえは声を上げて笑った。お腹も心も、あたたかく満たされていく。

 スイーツじゃない。でも、笑い合って食べるそのひとときは、もえにとって間違いなく“満たされる時間”だった。


 * * *

 食後、ふと窓の外を見ると、空には星が瞬いていた。

 もえは静かに思った。


「……明日は、もっと美味しいって言える気がする」


 理由なんていらない。ただ、そう思えたのだった。

 ふと、あの筋肉バカのことを思い出した。

 甘いものを否定して去っていった彼に、この旅のスイーツを食べさせてやりたい


――そんなことを思いながら、もえは小さく笑った。




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