ゼロ時間
NIREI[どうなんだァ、秋霜の仕事は]
yng[楽ではないが、悪くない]
NIREI[そうか。感謝しろよ、俺に]
yng[お前は仕事の内容を知っていたのか?]
NIREI[アア?知るわけねえだろ。俺はただのリクルーターだ]
yng[成程。また、店に顔を出す]
NIREI[金貯めてからにしろよ。テメエのやつれた顔なんざ、見ても嬉しかねえ]
ニレイとのチャットを終えて、私はデスクチェアに凭れかかった。隣室のリビングからは、少女たちの朗らかな笑い声が聴こえてくる。ミツキのオーダーとなってからの二日間。時間としては僅かだが、私にとっては濃密に過ぎた。掌を握り、開く。そこには軋みも、歪みもない。秋霜の義体は完璧だ。
どたどたと走る音が聞こえ、書斎の扉が開く。顔を出したヒナカが、笑いながら言う。
「ミツキがシャワー壊した!」
「ちょ、ちょっと!いけません!」
ヒナカに追いついたミツキは、私を見て申し訳なさそうに惑う瞳を向ける。寝巻姿のふたりは揃いのバスタオルを首にかけて、身体を寄せ合い書斎を覗いていた。
「ばかぢからだよ。ばっかぢから」
「ち、違う。違います!」
「…構わない。この家も随分古い」
「やっさしいんだから」
「…すみません」
「暫くしたら、引っ越そうと思う」
「えっ、なにもそこまで」
「いや。三人で住むのなら、もう少し広い家が必要だろう。上層に住めば、秋霜の施設にも通いやすい」
「上層…」
ヒナカがぽつりと呟いた。そうだ。数日前の私たちには、望むべくもない場所。この仕事を受けた時から思っていた。上層に行けば、文字通り世界が変わる。
「学校はどうすんの」
「エアロを買って通ってもいいが、秋霜の私立学院に編入することもできる。…その場合、ミツキと共に通うのもいいかもしれないな」
「学校!わたし、行ってみたいです」
ミツキがきらきらした目で私とヒナカを交互に見つめる。ヒナカは、どこかぎこちない微笑みを浮かべていた。
「そう、だね。たのしいかも」
「きっとたのしいですよ」
ノーティスの通知音が鳴る。送信元は、秋霜。
「…私はもう少し仕事をしている。先に寝ておいてくれ」
「はい。おやすみなさいませ。ヤナギさま」
「おやすみ、父さん」
無理しないでね。去り際に、ヒナカはそう言った。
秋霜からの連絡は、作戦行動の指示だった。『箱入り』の初陣。私とミツキにアサインされたのは、所属不明マキナの抹殺指令。
いきなりマキナとの戦闘とは、秋霜は『箱入り』の性能に余程の自身があるようだ。だが私としても、ミツキの調整は十全に行っている心算である。彼女には私の兵士としての経験を、余すことなく詰め込んでいる。
動員するのは『叢雨』という秋霜の対マキナ部隊と、我々『箱入り』陣営。標的が個人のマキナとしては、過剰とも言うべき戦力である。データには標的の行動と、空撮と思しき画像が添付されていた。
画像の方は画質が荒く、ノイズも酷いため大方のシルエットしか確認できない。ユーフォリアの量産をベースとしていることから『地雷』と名付けられたそのマキナは、成程、脅威といえる戦果を挙げていた。一夜にして秋霜の下部組織を壊滅。追いすがる機械兵士を抹殺し、同日、天照彼岸に補足されるもそれすら全滅させている。
作戦開始時刻は今夜のゼロ時。きっかり二時間後。寝室のミツキには、後でお詫びのスイーツを買わなければならない。
◇
Saru-monger[秋霜が動いた]
端末にチンパンジーからの連絡が入る。中層四区の川沿い、欄干橋の下。ネオンの光が水面に揺れるそこで、オレとサクライ、そして神様というミツキコトリノは標的を追跡していた。作戦は、秋霜が奴らを襲撃するのに乗じての暗殺。チンパンジーは闘鶏會のコネクションを利用して、秋霜の動きを虎視眈々と追っていた。出来るサル野郎だ。
Saru-monger[『叢雨』が動員されるとのこと。詳細?]
Blue=tree[秋霜お抱えの対マキナ部隊だ]
Saru-monger[ハッカー逆探知の可能性を危惧]
Blue=tree[今更だろうが。天才なんだろ、お前]
Saru-monger[物理入力では限界あり。危なくなったら離脱OK?]
Blue=tree[勝手にしろ]
ますます意味のわからない野郎だ。直結入力もできないサルの体で、考えることはいっぱしのハッカーしてやがる。秋霜の作戦開始は後一時間後、ゼロ時ちょうど。戦略は組んだが、不安要素は後を絶たない。
「お前、信じていいんだよな」
ミツキコトリノ。寂しげな表情を浮かべるこいつが、一番の不確定要素だ。なにぶん、オレは神を信じたことがない。
「はい。信じてください。アオキさんも、サクライさんも」
「おれは信じてます!」
サクライがその美貌に喰いついて、やけに意気込んで言う。馬鹿が。
「ありがとうございます。神通力とは、神さまの力ですから。信じてくれる人がいるほどに、強まるのです…」
神通力。オレの撃った銃弾をぐしゃぐしゃにした力。信じられないが、信じるしかない。結局のところ、オレたちの切り札はこいつなのだから。
◇
一般的には伏せられているが、中層に聳える秋霜のオフィスビルはその遍くが駐屯地である。上層より飛来したエアロが代わる代わる離着陸を繰り返し、純白の戦闘服に身を包んだミツキの黒髪を揺らす。兵士がそれぞれ資材の運搬に動く中に、『叢雨』と思しき一団の姿も確認できた。
秋霜とのリンクが接続されると、視覚インターフェースにミツキの心拍数、動作出力、武装情報が表示された。義体技師が私の足元でデバイスを操作し、チューニングを開始する。
「マキナへの指示はこの場から、ニューラリンクを通して遠隔で行います」
ニューラリンク。マキナとオーダーを繋ぐ、シンクロ機能。視覚、聴覚、痛覚。リンクの精度を上げる程、リスクとリターンが比例して上昇する。対マキナ戦となれば、ある程度のフィードバックは想定しておく必要があるだろう。
視覚野の数字が23:30を刻む。作戦開始まで、あと、三十分。
「初めての実戦だな」
私はミツキに語りかけた。つめたい夜風に吹かれた彼女の貌から、数時間前の幼気な笑顔は消滅していた。
「大丈夫です。わたしを、信じてください」
◇
ホシノとテラーミーネは歓楽街から離れた、人気のない旧市街にいた。中層と下層の境界に位置するその階層は、今や廃棄物集積場として利用される、死んだ街である。シキシマは、そこで待機するよう二人に命じた。
シキシマとの待ち合わせはゼロ時ちょうど。あと二分。ホシノは、崩れかけの建物をぼんやりと眺めていた。
「その中、隠れてたら?」
テラーミーネが銃器の点検をしながら言った。
「崩れるかもしれない」
「確かにね」
「君の傍が一番安全だなァ」
「そ」
ホシノはちいさく微笑んだ。
ゆらり。物陰から一人の男が現れた。黒いロングコートに、スキンヘッドの長身。男はゆっくりとテラーミーネに歩みより、その目の前でホシノを見た。
「お前がホシノだな」
時計がゼロ時を刻む。男は、その懐から拳銃を抜いた。
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