鶏口となれど牛後となることなかれ

 窮鼠猫を嚙む、って言うよなァ。


 追い詰められたネズミは捕食者のネコに一矢報いようとして、思わぬ反撃を繰り出すことがある。だから捕食者は常に油断してはならない。ヤクザは弱者を貪る捕食者だ。だからこそ、オレは窮鼠に噛まれるリスクを常に考えておく必要があった。

 

 予報も無しの集中豪雨がとうにガタが来た事務所の窓ガラスを突き破る勢いで打ち付けている。天照街の気候は人々が暮らしやすいようクラウドにコントロールされてるはずだが、下層の貧民地帯は『天蓋』が数年メンテナンスされてねえから、完全に終わっている。


 天照街下層第一区十六番ブロックに位置する廃墟同然のビル。これが今のオレたち『闘鶏會』に与えられた本拠地。天照黎明期に栄華を誇っていた闘鶏會は、マキナ産業筆頭企業である秋霜が裏社会を仕切るようになってから衰退の一途を辿っている。

 

 決定的だったのは、頭の死亡。


 秋霜のやり方はあまりにも搾取的だった。だから闘鶏會はすぐに反旗を翻した。古く縁故のある組と結託して、兵隊揃えて、ハジキを集めた俺たちは、企業とヤクザの激しい抗争が始まるもんだと息巻いてた。


 そんなオレたちに差し向けられたのは、ただひとりのマキナ。


 血気盛んな益荒男どもが、鬼のように恐ろしかった頭領が、小娘の姿をしたそれにたやすく殺されてゆく様を見て、オレは理解した。


 オレたちは、窮鼠なのだと。



 ◆



「終わってやがる」


 取り立てから帰ってきたタケオカが、そのスキンヘッドをタオルで拭きながら言う。サクライがアタッシュケースの中身を検め、電卓を弾く。


「全然足りませんね」


 秋霜は傘下の組織に、毎月上納金を要求してくる。その額が高ければ高いほど待遇は良くなり、ある程度のランクに到達すると秋霜のマキナを保有する権利さえも与えられる。逆に、上納金が少なければフットカット式に組織は解体され、構成員は跡形もなく皆殺しにされる。一見実力主義に見えるこのシステムは、だが格差社会を体現したようなもので、今の闘鶏會のように構成員も少なければ財源も乏しい組織はただ緩やかに扼殺の一途を辿るしかない。


「あと何件残ってる」


 タケオカがその金剛仁王像のような厳めしい貌をさらにしかめて言った。タケオカは優秀なヤクザだ。頭領が健在であれば今頃、若頭として組を率いていた筈だ。オレとサクライは野良のハッカーやゴロツキを利用した電子犯罪をメインに集金を行っているが、彼はいにしえのヤクザスタイルを貫き通すかのように、闇金を主軸に立ち回っている。


「一件…。ホシノとかいうクズ野郎ですね。僕が何度か連絡をしていますが、反応はありません」


 タケオカの背後に控えていたイナツグが言う。まだ若いイナツグはタケオカの漢気に惚れて、弟分として行動を共にしている。タケオカはちっ、と舌打ちして、踵を返した。


「テメエのやり方はヌルすぎる。俺が本物のヤクザを見せてやる」


 タケオカが去り際に放った一言に感銘を受けたらしいイナツグは、その眼をきらきらと輝かせて兄貴分の後を追った。そして事務所には、オレとサクライの二人が残った。


「実際、このままだと終わりですよね」


 軋む丸椅子に腰かけて、サクライがぽつりとこぼした。そう、終わりなのだ。タケオカがその任侠でどれだけ金をかき集めたとて、今の闘鶏會はまさに首の落ちたニワトリでしかない。頭のない状態で必死に走り回る、ただ死んでゆくだけの存在。その確定的な未来を回避するには、頭を挿げ替える必要がある。生きてゆくために肉体を機械に置換する。それはこの天照街で、もっともありふれた行為じゃないのか。


「これを見ろ」


「…なんですか、これ。研究機関AIAS?」


 ノートパソコンの画面を見たサクライは、見慣れないその情報をじっと眺める。


「ハンドルネーム『HH』、憶えてるか」


「えっと、確か秋霜の直依頼のときに使ったカス札のハッカーですよね。ユーフォリアのデーモンに脳焼かれて即死した」


「ああ。そん時はただ都合のいい三流野郎だと思ってたが、コイツがなかなか面白くてな。この野郎何を思ったか知らねえが、上層のドライブに記憶痕跡をアップロードしてやがったんだよ」


「はあ?カスのハッカーがドライブ?んなもん不可能でしょ」


 サクライが嘲笑交じりに言う。つられて俺も、くくくと笑みがこぼれる。


「普通にしてたらなァ。この野郎、イカサマをしてやがったんだよ。普通の案件じゃねえ。完全に捨て駒扱いの依頼を何件も受諾して、切られる前に逃げてやがったんだ。そうなりゃ当然、報酬は有り余る。それに多重アカウントで保険会社と契約しまくるなりすれば、まあ非現実的じゃねえ」


「へえ。でもそんな、ドライブ使ってたなんて情報よく見つかりましたね」


「ああ。死体漁りをしたからな。秋霜とユーフォリア関係で使った捨て駒、そいつらのログを全部漁ってたら偶然見つかった」


「…なんでそんなこと」


 そこまで言って俺は、にやりと笑ってみせた。


「秋霜のマキナを、攫う」


「は」


「このデータは研究機関AIASっつう、秋霜お抱えの特務研究部門のモンだ。当然社外秘で、情報が漏れるなんてこたあ在り得ねえ。死ぬ前にHHが受けてた運び屋の仕事ン中に、偶然このファイルが紛れてやがったんだよ。大方、ログ消す前にトンズラこいたから痕跡が残ってたってとこだろうが」


 ごくり、サクライが生唾を飲み込む音が聞こえる。


「コイツは『箱入り』っつう、秋霜が秘密裏に開発してる完全オーダーメイドマキナのデータだ。素体にクローム埋めんじゃなくて、ハナから人造人間を作ってんだよ。んでどうやら、こいつは雛鳥みてえに最初に起動した人間をオーダーとして認識するらしい」


「ってことは、まさか…」


「そうだ。俺たちは今から秋霜本社に乗り込んで、この『箱入り』を攫う。秋霜の特別製マキナが手に入りゃ──オレらは無敵になれる」

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