クズ男くんと地雷ちゃん

 火の点いた導火線がじりじりとその長さを減らす。脳味噌のどこか、人間にとってかけがえのない、しかし忌むべきものであるとされる爆弾へ向かって。


 間に合わなくてはいけない。


 それが暴発してしまえば、人間としてホシノはおおよそ終わってしまう。導火線を必死で継ぎ接ぎ延長してきたこの数か月。延ばせば延ばすほど、爆弾の威力は増大してきた。それが齎すであろう被害は今や、この六畳一間のアパート、その四方を囲う薄い壁面を吹き飛ばし、必ずや外の世界へ至ることだろう。


 それは天照街では珍しいことではない。たいていの人はそれが爆発する前に、導火線を鎮火させるか、シェルターの中で爆発させるかをして人生の破滅を免れる。だが一部の人間──シェルターを借りる金もなければ鎮火する理性もない、いわゆるクズと呼ばれるべき人間は、外に出て盛大にその爆弾をぶちまけて、何人かを巻き込んでから人生の終焉へと至る。


 だからホシノは特技を駆使して、十分な金銭を用意した。


 後は、時を待つのみ。


「…やっと来やがった」


 外界とのつながりを断絶するには心もとない鉄板を叩く音がやや強いということに、爆発寸前の男は鍵を開けた後に気づいた。その悪寒。大外から回ってきたノーマークの馬が、本命を差しにかかる瞬間──鳥肌が裏返るような後悔。ホシノは血走った瞳で、自分の手がドアノブを回す光景をゆっくりと、眺めていた。



 その衝撃にホシノの顔面はクッションのように凹んだ。ずどむ、と鈍い音を立てて、男の鉄拳、腰から肩に伝わり腕を通して拳から放出された右ストレートは、猛烈な勢いでノーガードの顔面に埋め込まれた。





 渾身の右ストレート。タケオカはなぜか素直に扉を開けてきたクズ野郎の顔面に、問答無用で拳を叩き込んだ。この取り立てをしくじればタケオカの首が飛ぶ。なぜ俺がこんなクズ野郎のせいで死ななければならない。タケオカは思いっきり腰を入れて、怒れる一撃を振り抜いた。





 交通事故ってこんな感じか?


 避けようのない暴威が俺の顔面へと衝突した。あまりの衝撃に意識が一瞬、飛ぶ。鼻の骨が折れたかもしれない。いや、折れた。確実に。俺を殴った男。金剛仁王像のような顔をした黒スーツの男。ああちくしょう、そういうことか。





 兄貴分のタケオカがいきなりぶん殴ったので、イナツグは驚いていた。「テメエのやり方はヌルすぎる。俺が本物のヤクザを見せてやる」タケオカが数分前そう言っていたことを思い出す。弱者を踏みにじる圧倒的な暴力。イナツグは感極まって、債務者が後ろざまに吹き飛ばされるさまを見ていた。





 打倒されたホシノはテレビのリモコンに頭をぶつけた。その拍子にスイッチが入り、場違いな情報番組のBGMが修羅場に放映される。


 みなさんこんばんは。ニュースインフォマートアマテラスの時間です。


 昨夜未明、中層第三区のラブホテルで惨殺事件と思われる現場跡が発見されました。


 被害者は身元不明の男性であり、犯行に及んだのは男性が利用した風俗サービスの女性であると推定されています。


 天照警務部はこの件に関して「屑が屑を殺したのであるから、結果的に治安はよくなっている」とコメントしており、被害者の身元は「そのへんの誰かだと思う」としているとのことです。なお、容疑者は未だ特定されておりません。


 ここで紹介したいのが『ヴァーチャルリアリティエロスVR400』!危険の伴う性風俗サービスの時代はもう終わりました。ユーフォリア・コーポレーションが最先端技術を駆使して制作したこのVRゴーグルは従来の体験を遥かに上回る……


「金返さんかいコラァ!」


 仁王ヤクザの怒声がやけに気になる番組の音声をかき消す。大気も震える熟練のがなり。ホシノはぷっと血の混じった唾を吐いて、よろめきながら身を起こす。


「金はねえ、一銭もな」


「アア?」


「すいませんがその、金はもうありません」


 ホシノは震える声で言い直した。


「タケオカさん…たぶんこいつデリヘル呼んでますよ」


「アア!?」


 仁王の隣にいた細身眼鏡の言葉。それがずばり正解だったので変な汗をかいたホシノを、仁王ヤクザが瞠目して威圧した。細身眼鏡はじろりと部屋の中を見渡しながら、冷淡に言葉を続ける。


「部屋がやけに綺麗です。こんなカスが部屋を片付けるっつったらそれしかないでしょ。大方、ウチに借りた金で性欲ぶちまけるつもりだったんでしょうね」


「アー…」


 タケオカと呼ばれたヤクザは、彫像のような顔をぐるりと動かしてその腕をゆっくと白いジャケットのポケットに捻じ込んだ。


「臓器全込みで仏換金のレート、今どうなってる」


「秋霜が部位パーツ集めてますから、普段の相場よりやや高めかと」


「クズ売って十万ちょい。ついでに嬢も攫って…悪くねえ」


「え」


「死ね」


 銃口がこちらを向いていた。


 ぱぁん。


 どたっ。


「あ、兄貴…」


 突然の出来事に狼狽えていた細身眼鏡は「テメエ」と啖呵を切ろうとした口に拳銃を捻じ込まれてくぐもった銃声と共にその躰をびくんと震わせた。醜く穴の開いたうなじから、煙が上がっていた。


 ホシノは玄関先に悪魔を見た。


 男二人の死体の先。


 痛々しい程に『カワイイ』を押し出した衣服。雄の劣情を誘う胸の膨らみ。計算され尽くした大腿の絶対領域。その貌の下分を覆うマスクのすこし上。柳暗花明ともいうべき、闇の中で仄かに煌めく瞳だけが、ホシノに恐怖を感じさせた。


 その悪魔のような女に向かってホシノは、ポケットの中でぐしゃぐしゃになっていた五万円を差し出して、言った。


 ──抜いてください。


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