第3話 女戦士ウルフヒルド

谷あいに寄り添うように、こぢんまりとした石造りの家々が肩を並べていた。

夕暮れの柔らかな光が屋根瓦に当たり、赤茶けた色合いがどこか懐かしさを感じさせる。

山風が花咲く小道を吹き抜け、遠くで羊の鈴がチリンと鳴った。



村の中央にある広場に、ひときわ賑やかな声が響く。そこには、石と木で構築された年季の入った酒場があった。

外壁の板は風雨にさらされて灰色がかっていたが、温もりのある灯が窓から漏れ、近づくだけで心がほっと緩んだ。


「ギシィ」と重くきしむ木の扉を開けると、むわりと温かい空気と共に、香ばしく炙られた獣肉の匂いが鼻をくすぐった。

炉端で焼かれる鹿肉の串焼きがじゅうじゅうと音を立て、たっぷりのローズマリーと野生のニンニクがほのかに香るスープが、大鍋で静かに煮えていた。


店内には木製のテーブルがいくつも並び、木製の分厚いエールジョッキを片手に、労働を終えた村人たちが笑い声を上げていた。

大麦色の髪を三つ編みにした陽気な農婦、鼻の頭を赤く染めた羊飼いの親父、背中に擦り傷を負ったまま笑っている木こり...

誰もがこの酒場を、まるで自分の家の居間のようにくつろいでいた。


「ほらよ、あんたも一杯どうだ」


奥のカウンターからどっしりとした体つきの店主が、笑いながら声をかけてきた。白い髭にはスープの香りがしみついているようで、肘まくりした腕には長年の鍋振りでついた火傷の跡が浮かんでいた。


「ここのエールは村一番さ。いや、この谷で一番だって言われてるぜ。秘伝のホップを使ってんだ。飲めば、足の疲れも忘れるぞ」


そう言って差し出されたジョッキには、琥珀色のエールが泡を盛り上げ、香ばしくもやさしい麦の香りが立ちのぼっていた。一口含めば、少し酸味のある爽やかな口当たりのあとに、ほんのり甘く、そして喉の奥をくすぐるようなコクが広がる。

確かに、旅の疲れがすっと溶ける気がした。


「これで1杯銅貨2枚ってのは、安いもんだろ?」

店主がウィンクしながらそう言った時だった。



店の奥の角の席で、小柄な少女が酔漢に絡まれているのが目に入った。少女は肩掛けのポーチを必死にかばいながら、困惑した表情で言い返している。酔漢は赤ら顔で笑いながらも、その手つきにはどこか陰湿なものがあった。


俺はエールのジョッキをテーブルに置いて席を立ち、ゆっくりとその席へと向かっていった。



「やめろ!」


俺は間に入り、腕を掴んで引き剥がした瞬間、逆に殴りかかられた。

だが、その拳が届く前に、黒いチュニックを着た長身の女が現れ、一瞬のうちに酔漢を床に叩きつけた。


「もう十分だ。今度手を出せば、腕が失くなるぞ」

その声に、酒場中が静まり返った。



「タチの悪い荒くれ者相手に手を出すとは。毎度そんな事に首を突っ込んでいたら命がいくらあっても足りないぞ。

無謀か、勇敢か。どちらにせよ、気に入った! 酒を1杯おごる価値はあるな」

その女...ウルフヒルドは、笑いながら俺の前に酒杯を差し出した。


「ウルフヒルド、『狼の戦乙女いくさおとめ』か...そのままの名前だな」

「ふん♪これでも昔は可憐な少女だったのだぞ」



食卓には、炙った獣の肋肉がこんがりと香ばしい焦げ目をまとい、表面には山野で採れたハーブのソースがとろりとかけられていた。

つけ合わせには、根菜と木の実を潰してバターと混ぜた素朴なペースト。

熱い鉄鍋からは茸と塩漬け肉を煮込んだスープが湯気を立てていた。

どれも手作りの温もりが感じられ、旅の疲れがじんわりとほどけていくようだった。


「この肋肉、まるで昔、南の大平原で獲った大牙猪を思い出すな...」


向かいの席で女戦士ウルフヒルドが骨つき肉にかぶりつく。

太陽のような赤金色の髪は後ろで束ねてある。

意外に整った顔立ち。綺麗な眼差しをしている。

くたびれた黒いチュニック。毛皮のマントは隣の椅子に掛けてある。

何度も縫い直された旅装束の隙間からは古傷の刻まれた腕が見えていた。

だがその目は朗らかで、笑えば店の中が一段明るくなるような豪快さがあった。


「大牙猪? それはまた大層な獲物だな」


「いやあ、大変だったよ。村の作物は荒らすわ、怪我人も出るわと、なんとかしてくれないと頼まれてね。三日も湿地の中で獣道を追ってな。最終的には泥沼で転げまわって、やっとのことで仕留めたんだ。

皮を剥ぐ前に村の子供たちが集まってきてね。目をキラキラさせて、『かっこいい! おねえちゃん!』って。

嬉しくなってな、村の連中にも分けて一緒に食ったよ」


そう言って豪快に笑う彼女の口元にはソースの跡がついていた。


「大勢で一緒にか。楽しそうだ」


「ああ。パンや温かい蜜酒を振る舞ってもらった。それがまた涙が出るほど美味かったんだよ...ああ、後で村の婆さんが残りの肉を干し肉にして持たせてくれて、それがホクホクと香ばしくてな。それを齧りながら、また次の土地へと旅したんだ」


彼女はそんなふうに、世界を渡り歩いてきたのだろう。屈強でありながら、どこか人懐こく、そして出会った子供たちや人々の営みを大切に思っているようだった。



テーブルの上のエールジョッキが触れ合い、かすかな音を鳴らす。泡立つ琥珀色の液体を一口含むと、麦とハーブの香りがふわりと鼻を抜けた。疲れた体を励ましてくれるような優しい味。村の酒としては上出来だ、と主人も胸を張っていた。


周囲の席では、旅商人たちが荷車の苦労話を語り合い、羊飼いたちがどの草原が一番草が良かったかを熱心に言い争っていた。

笑い声と湯気、料理の香り、そして人々の命の営みが柔らかく酒場の空気に混じっていた。


俺とウルフヒルドは打ち解けていった。



手にしたエールの杯をテーブルにゴトリと下ろしてウルフヒルドがつぶやいた。

「私は戦いの中で弟を失った。野盗に村を襲われた。弟はまだ5つだった...」

拳を握り締める彼女の目に怒りと悔しさが滲んでいた。


「私は、もう誰も無駄に死なせたくない。そのために剣を振るっている...お前はこれからどうする?」

「わからない。でも、終わらせるために旅を続ける。何が世界を動かしているのか、なぜあんな事が起こったのか。これから見つけるんだ」


俺はエールの泡を見つめた。


ウルフヒルドは、フフッと笑って肘をついた。

「そいつはいい。まだ知らないってのが旅の一番いいところさ。だから、乾杯だ。未来のまだ見ぬ景色に」


「乾杯」

二つのジョッキが再び鈍い音を立てた。


ウルフヒルドはしばらく黙っていたが、やがて懐から短剣を取り出し、俺の前に置いた。

「この短剣は『ビュースティングル(蜂の針)』私がそう名付けた。

『深い森』に棲むもの...この世ならざる者に効く刃だ。

『深い森』から流れる川で獲った大きな魚が呑み込んでいた。

細くて小さな短剣だが、『深い森』から時々現れ出る魔獣達をどういうわけかわからんが容易く討つことができる。

不思議なことに人を傷つけることはない。使い方を誤るなよ。どうか、必要にならないことを願う」


その言葉の裏にある優しさが胸に残った。



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週1話くらいのペースで続きを上げていく予定です

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