『魔剣フィークンスヴェルズ・深い森の果てへ』
たま、
第1話 鍛冶師シグルドの旅立ち
北の半島に吹き荒れる冷たい風は、工房の熱気を一瞬でさらっていくけれど、俺が叩く鉄だけは、まるで生き物のように赤々と燃えている。
海鳴りの聞こえる小さな村、森の入り口にある石造りの鍛冶工房。
朝焼けと共に火を起こし、夕焼けが空を染めるまで、ここが俺の世界の全てだ。
古代ゲルマン、ノルド族の男シグルド。
妻子はいるが、まだ若さは残っている。細身ながら日々の仕事で筋肉が力強い。
灰色がかった金髪を後ろに束ねている。
12の時に村の腕利きの鍛冶師に弟子入りし15年が経った。
師匠の娘フリーダは同い年で幼馴染。そして、いつしか互いの愛に気づき結ばれた。
師匠夫婦は数年前に旅先で亡くなってしまい、シグルド夫婦が工房を営んでいる。
そして、今日も村人たちが使う鍬の刃を鍛える。
槌を振り下ろすたびに鈍い鉄が徐々に鋭い形を現し、土を耕し作物を育む力となる。
完成した鍬を受け取った農夫たちの 晴れやかな笑顔を見る瞬間が何よりの喜びだ。
時には若い兵士が故郷を守るための剣を依頼してくる。
彼らの真剣な眼差しに応えようと全身全霊で鋼を打ち研ぎ澄ます。
その剣が戦場で輝き、誰かを守る力になるのだと思えば胸の奥が熱くなる。
苦労だってある。
思うように火力が上がらず、鉄が言うことを聞かない日もある。
朝から晩まで槌を振り続け、腰は悲鳴を上げ、煤けた顔からはしょっぱい汗が流れ落ちる。
冬の寒さは骨まで染み渡り、夏の暑さはまるで火山の中に閉じ込められているようだ。
それでも、努力の結晶である道具たちが誰かの役に立っている。
その実感こそが、この仕事を続ける何よりの原動力だ。
鍛冶場は熱いが、俺の胸に宿る喜びと、この生まれ育った土地への思いが俺を生かしている。
妻フリーダの柔らかな眼差し。
「ふふ、あなたの槌音は心地良いわ」
彼女のお父さんは腕の良い鍛冶師で、いつも鉄を打つ音を聴いて彼女は育った。
気づけば、彼女は水差しと布を持ってそばに立っていた。
煤で汚れた俺の顔を、まるで花びらをなでるように拭ってくれる。
彼女は娘時代より少しふっくらとしてきた。愛おしい...
フリーダという名前には「平和」という意味がある。
親はその子への願いを込めて名を贈る。
そして、息子ゴドウィン。照れ屋で、はじけるような笑顔。女の子のように綺麗な顔立ちの美少年で、幼い頃のシグルドにそっくりだ。
ゴドウィンには「神に愛されたる友」という意味が込められている。
シグルドは「勝利を守る者」。
ある夕暮れ、空が赤く染まり始めた頃のことだった。ゴドウィンが森の方から駆けてきた。
「父さん、見て! 見つけたんだ!」
小さな手には、霜の結晶のように複雑で繊細な模様の浮かんだ、白い小石が握られていた。俺は槌を置き、しゃがんでその宝物を手に取った。
「ほう...これは、まるで氷の花だな。どこで見つけた?」
「森の小道の脇だよ。小川の岸辺で光ってたんだ! お守りにする!」
誇らしげに胸を張る息子の顔を見て、フリーダと顔を見合わせて笑った。どこにでもあるような石でも、彼にとっては世界の宝だったのだ。
それが、最後の平穏だった。
ある夜...
風は凪ぎ、夜空は星明りに静まり返っていた。なのに、あの異質な気配が、突如として工房と家を包み込んだ。
犬が吠え、鳥が一斉に森から飛び立ち、空気が震えた。気配に気づいて外へ出たとき、もう遅かった。
森の影から異形の者たちが現れたのだ。
蒼白く光る肌、夜の湖面のような瞳。風のように音もなく動き、人の姿をしていながら、この世のものとは思えない気配。
その瞳が俺を一瞥した。冷たく、感情のない視線。月光をはじく蒼銀の衣をまとう丈高いシルエット。
「おい! やめろッッ!!」
叫びは虚しく、目の前に燃え盛る炎が立ち上がり、工房が、家が、全てが焼かれていく。
俺は自ら鍛えた鉄の斧を振りかざし異形の者の一人に打ち掛かった。何か光る欠片が飛んだ。
しかし、当てたはずの斧の刃には手応えは無かった。
「化け物か!?」
ひときわ背の高い男が錫杖を横薙ぎに振り、俺は大地に打ちつけられた...
意識を取り戻した時には既に手遅れだった。
暖炉の火が飲み込んだのは、ただの木と石ではない。
フリーダの優しい笑顔も、ゴドウィンの照れた姿も、全て灰の中に沈んでいた。
焼け跡に膝をついたとき、灰の上にきらめくものを見つけた。
それは、あの晩ゴドウィンが見せてくれた白い小石ではなかった。
羽根のように薄く、だが冷たい金属のような感触のある破片。月光を受けて青白く光っていた。
「あいつらは何者だ?」
言葉が口をついて出たとき、自分でも気づかぬうちに、全身が震えていた。
胸の奥に、炎のような怒りと、氷のような悲しみが交じり合って渦を巻いていた。
村人たちは「何もしてやれなくてすまない」と口々に詫びて悔いた。
彼らはなぜかこの惨劇に気が付かずに寝入っていたのだ。
しかし...俺は、あの異形の瞳を、この目で見たのだ。
俺は愛する妻フリーダとまだ幼かった息子ゴドウィンの焼け焦げた骸を弔った。
村人たちは何かと気遣い励ましてくれた。
しかし俺は彼らにしばしの別れを告げ、生まれ育った村を後にした。
「ゴドウィン、フリーダ...俺は、必ず、お前たちの無念を晴らす」
もう泣くことはなかった。涙は炎とともに既に焼き尽くされていた。
誰に教わったわけでもないのに、不思議と足は自然と北を目指していた。
地図を持たず道標も無く、ただ風の匂いや雲の流れに導かれるように、俺は山脈の方へ、古の森へと進んでいた。
朝露に濡れた草を踏みしめながら歩くと靴の中がじんわりと冷たくなって、やがて指先がじんじんと痺れてくる。
でそれも陽が昇ればポカポカとした春の光が肩を押し、濡れた靴も気がつけば乾いている。
足元には黄色いタンポポや名も知らぬ小さな白い花が咲いていて、時おり蜜を吸うために近づく蜂の羽音がどこか愉快だった。
ゴドウィンとフリーダの最期...あの姿、残酷な運命を想うと、哀しみの泉の底に沈み、前へと進む力を失ってしまう。
日々の中に励みを見つけて、きっと無念を晴らす。
あの夜に落ちていた青白い羽のような欠片をシグルズは握りしめた。
旅の最初は苦労も多かった。朝、焚き火の火が湿気でなかなかつかず、指にマメを作りながら木を擦ったこともある。
前日の残りの干し肉がカビていて、腹をさすりながら道端の野イチゴでしのいだ日もあった。
でも、不思議とそういう事が辛いとは思わなかった。
むしろ風の匂いが日ごとに変わっていくのを感じながら歩く日々は、かつて鍛冶場で汗を流していた時には味わえなかった新しい世界との出会いだった。
とある草原の丘に、羊たちの鈴の音が風に揺れていた。
その中に混じって、ぎこちないフルートの音色が流れてくる。音程はあちこち外れているが、不思議と耳に残る。
音のする方へ目をやると、ひとりの少年が腰を下ろしていた。麦色の髪が陽を浴びて光っている。羊飼いだ。
古びた木のフルートを吹きながら、こちらに気づいてにっこり笑った。
「よそ者だな」
少年のまなざしが俺の手に向けられた。
節くれだったゴツい指。あちこちに刻まれた古傷。
「その手、職人だったんだろ」
少年はそう言って、フルートを膝に置いた。目を細めて、何かを確かめるように俺の手を見つめている。
「昔はな」
俺はその言葉とともに、自分の手のひらをしげしげと眺めた。
かつては鉄を打ち刃を研ぎ何かを形にしていたこの手が、今では旅路の杖ほども働いていない。
「今は何だろうな」
声に出してみても、はっきりとした答えは浮かばない。
少年は俺の手を見つめたまま、しばらく何かを考えているようだった。
羊の鈴の音が風に運ばれて、小さく揺れていく。
「じゃあさ、今は何になろうとしてるの?」
思いがけない問いかけに俺は少し笑ってしまった。
「さあな。何かになろうとしてるのかどうかも、わからん」
少年は空を見上げて、まぶしそうに目を細めながら言った。
「父ちゃんがよく言ってた...道を歩いてるとさ、何かを見つけちまうんだって。まだ何を探してるか分からなくても、思いがけないもんに出くわして、そっちの方が大事だったりするんだって」
その言葉に、胸の奥が少し暖かくなった。
何者かになろうとして旅をしてるわけじゃない。けれど、歩き続けるうちに、何かが見えてくる...
「いい父ちゃんだな」
俺がそう言うと、少年は少し照れたように笑った。
風が走り草原が波打つ。羊たちがこちらをじっと見ていた。
木漏れ日の下で、昼寝をしたこともあった。
柔らかな陽射しが揺れる木の葉の隙間から、肌にそっと触れてくる。
草の匂いに包まれながら仰向けになると、空には薄い雲が流れていく。
鳥のさえずりが風に乗って耳に届く。樹々が話しているようにも思えた。
世界が息をしている。そう感じた。
そこには、何かがある。
俺の足が向かう先、北の山脈のはるか向こう。
人の世の森のもっと奥深く。
この世の理から外れた何かがいる。
けれど、今はまだその姿も見えない。
焚き火の匂いや夜の風の音、出会った誰かとの何気ない言葉が、
少しずつ俺に世界をわからせてくれている気がする。
たぶん、全ては無駄じゃない。
歩くことで、俺が出会うべき事に近づいているのかもしれない。
一歩、一歩。
その先に、たしかに辿り着くべき場所がある気がする。
そう思えた。
旅は既に運命の路を進み始めていた...
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古代ゲルマンの男と異界の物語の始まりです
週1話くらいのペースで続きを上げていく予定です
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