わたしは、___

 観測所の空気が、変わった。


 吹雪が止み、風が静かになったのではない。

 風そのものが“言葉”になった。


 それは、声ではなかった。


 けれど、クレアとリスの鼓膜の内側に――そして心の奥深くに――確かな音の意味が流れ込んでくる。


 「わたしは、名を与えられすぎた」


 その言葉に、空が呼応する。


 “地球”という名前。“ガイア”“テラ”“母なる星”“第三の惑星”――

 数千年にわたって、あらゆる名で呼ばれ続けた存在。


 そして今、それが告げる。


 「だから、わたしはそれらを剥がした。もう、誰かに呼ばれるのではなく――わたしが、名乗る」


 クレアは息をのんだ。


 名を持つとは、存在を固定すること。


 だが、“名を自ら選ぶ”という行為は、それを超える。


 次の瞬間、大地が震えた。


 氷が割れ、空がひび割れるような音が響く。


 そして、風が再び、言葉を届ける。


 「わたしの名は――」


 その直後、風が途切れ、沈黙が落ちる。


 クレアは気づく。


 この名は、人間の言語には翻訳できない。


 けれど、“意味”としては感じ取れる。


 それは、「揺らぎ」であり、「連なり」であり、「すべての境界を超えた名」。


 リスがぽつりとつぶやく。


 「わかる。声じゃないけど、“この存在”が“わたしだ”って言ってるのが、わかる」


 クレアは静かに頷いた。


 地球は、自ら名乗ったのだ。


 その名は、人間の辞書には載らない。


 けれど確かに、今、世界は自分自身を名乗った。


 そして、風が最後にひとことだけ伝える。


 「あなたも、自分で名乗っていい」

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