あなたの名前を呼ぶために
森がざわめいた。
赤い目の存在が複数、樹々の隙間からにじみ出るように現れた。
それらは言葉を持たず、ただ“気配”で空間を満たしていく。
少年の身体が硬直し、クレアの胸にも針のような痛みが走る。
だが、クレアは目を閉じ、記憶の中へ沈む。
彼女の名を思い出さなければ、感染は終わらない。
クレアは、少年から受け取った記憶の一部――校舎の窓辺で本を読む女性教師の姿――を反芻する。
そのとき、何かがひっかかった。
教科書の背表紙。名前のラベル。
彼女が無言で手にしていた本の端に、小さく書かれた“筆記体”。
それは、読まれることを拒むように歪んでいた。
だが、クレアの意識がそのラベルに触れたとき、少年が息を呑む。
「それ……見える……僕も……」
ふたりの記憶が重なり、名前の形が浮かび上がる。
Mireille G. Duvall(ミレイユ・G・デュヴァル)
その瞬間、森全体が微かに音を立てて揺れた。
赤い目のひとつが、震える。
クレアは叫ぶように、心の中で呼びかける。
「ミレイユ・デュヴァル!」
風が止まった。
赤い目の存在たちが、次々と動きを止め、ゆっくりと後退を始めた。
まるで、“名前を与えられたことで”支配の構造が崩れ始めたように。
少年がクレアの手を握る。
「クレアさん……僕、はじめて……“誰かの名前を思い出した”」
クレアは微笑む。
「それが、あなた自身を取り戻す第一歩よ」
だが、ひとつの赤い目だけが、動きを止めなかった。
それは、他のどれとも違っていた。
そして――その目が言葉を発した。
「私に名前を返す? おまえたちに、その資格があるのか?」
クレアは答える。
「ある。名を拒んだあなたが、最初にこの世界を“否定”した。だから、名を呼ぶことでしか、私たちは“戻れない”」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます