第6話 猜疑
亡者は閻邏殿で生前の行いを裁かれる。此岸と彼岸の間には大きな河が滔々と流れている。亡者たちは渡し舟に乗せられて彼岸の閻邏殿へ向かうのだが、無数に詰め込まれて重く、河の真ん中まで来て舟は沈み始める。舟を軽くしなければ、閻邏殿に辿り着けない。亡者たちは舟上で争いを始め、負けた者は河に落とされる。そうして勝ち残ったものたちに、どのような裁きが下されるものだろうか。
などという民間伝承を思い出しながら、汐は参謀会議に臨席していた。浚は自ら作戦指揮に関わることを望むため、将軍たちの意見は聞くが、側近の参謀職のようなものは設けていない。特定の臣下と近づきすぎると、父の二の舞になるからな、言っていたことを汐は覚えている。それでは友人もできないのではなかろうか、と自分の卒長たちの悪態が頭をよぎる。
浚帝、炊大将軍、万旗将の洌准将と洳准将、そして親軍使司である自分、兵屯を担当する主計大使が金蘭殿の奥の間で一同に会している。親軍は皇帝を護衛するか、直接の指揮で働く役割を負っている。そのため親軍使司は准将格であり、作戦参謀に参加しなくてはならない。気が重い。尤も勅命に逆らうことなどできないのだが。
「親軍を増やすおつもりはございませんか」
「無い。この度は機動性が重要だと考える」
洌准将の進言を浚帝は一言で返す。春則離宮に追い詰められ、淳帝は自刃した。淳帝を支持していた勢力は四散したが、境界の西天山脈一帯に潜伏し、浚帝への不満分子を糾合している。またエルヴェニ大公国と結んで支援を受けているという情報もある。エルヴェニ大公国は、北方地域に支配を拡大している新興国である。
「あの地域は渓谷ごとにまつろわぬ民がおります」
兵が入りにくいことと、大国間の緩衝地帯でもあるため、無名無法の豪族による支配が混然としている。洌准将がこちらを睨める。西方異民族出身の汐が親軍を率いることに懐疑的なのである。洌准将は戦績もさることながら珀族の名家の血筋であり、忠誠心と義侠の凝り固まったような人物だ。汐は敬意を払っているつもりだが、ことあるごとに圧力をかけられるので、できれば関わり合いになりたくない。
「在地の小豪族どもは協力することが難しい。長年小競り合いを繰り返しているからな。そこへ帝国全土から新開派の有象無象が集まってきても、統率の取れた軍団をつくるのは無理だろう」
洳准将が淡々と答える。一見柔和そうな百戦錬磨は、懐に入ってきたものには寛容だが、邪魔者を追い落とすのに全く躊躇がない。
「強力な指導者が必要だろうね」
髭を撫でつつ炊大将軍が言う。二人の准将と並ぶと小柄な好々爺に見えてしまうが、なめし革のような身体と精神の持ち主である。洌准将が訝しげに問うた。
「そのような情報が」
「知り合いに頼んで調べてもらったら、どうやら正統な後継者を名乗る者が、エルヴェニから檄をとばしているようだ」
「ありえませんでしょう、我々は徹底的に」
洌准将は口をつぐんだ。誰に利用されるか叛逆する可能性のある近親の皇族は抹殺された。淳帝の第一息女は、まだあどけない四つであったことを思い出し、汐は冷や汗を隠した。命じたのは浚帝であった。
「本物かどうかというのは関係無い。事実ヒトとモノが集まっているならば問題だ」
藍鷲城にやって来たときから、浚のこの冷たく澱んだ気質が漏れ出すことを、汐は危ぶんでいた。表面的にはそつがなく、言動は激しいが、人を従わせるだけの実力がある。しかし何か、底知れぬ暗い沼が、心の内に口を開けている気がするのである。それは皇帝のありようとして、良いものであるのか。将軍たちは視線を交わす。
「引き続き調査させましょう。大使、地図を」
炊大将が卓上に地図を広げさせ、洳准将が相手軍の配置について説明を始めた。
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