第12話 それぞれの覚悟と決断

駿也は悩んでいた。

ざわざわと、草木の葉のなる音がしていた。

珍しく、里久から離れ、ひとり神社に来ていた。

生きている時に里久と出会ってからも、死んでから里久といる時も、自分はなんて問題作かのようになってしまうのだろ、と。

生きてた時の最後は、車に跳ねられた交通事故。

そして、やっと好きな人の死んでからでも一緒にいられるかと思えば、少し高望みしただけで現実を突きつけられる。

分かってはいる。

そういう風に世界はできているし、誰でも、そんな風にできていると。

それならば、何故こんなふうに思うのだろうか。

今でも十分に幸せなのに、普通に生き、普通に愛せたら良かった、と。

いくら自分が悪霊でないとはいえーーー否。

本当に悪霊ではないと言えるのか。

駿也には、正直すぎる感情がある。

愛し、怒り、時には嫉妬し困らせ……愛が重すぎるとも言えた。

それは、悪霊の一歩手前ではないか、と。

里久が、この先も駿也と一緒にいて、無事かどうかなど、気付かないふりをしていた。

『潮時なのかもしれない……。』

ずっとずっと一緒にいたい。

でも、触れることも叶わない。

触れたら、里久を死に向かわせることになる。

今まで心を誤魔化してきていたが、堪らなく寂しいし、苦しいのだ。

里久を愛するということが。

でも、離れたくはない。

(どうすればいいか分からない。)

駿也は、本気で泣きそうだった。

泣く、ギリギリ手前だった。

目に零れそうな涙を浮かべていた。

「駿也。」

帰らない方がいいのかもしれない、と駿也が思っていたその時。

少し、呆れたような、でも、ホッとしたような声で里久が駿也を呼んだ。

「いなくなるなよ……。」

『でも、このままいると……。』

里久は、駿也の迷いに少しムッとした表情を浮かべると駿也の隣に並んだ。

「いいんだよ。俺は……駿也が必要だ。」

里久は、無意識に駿也に手を伸ばすが、手が触れることはなかった。

触れられない。

お互いが、違う世界にいるから。

また、それを突きつけられ、駿也は顔を逸らした。

『分かってるんだろ……里久だって。俺らはこのままじゃいけないし、相容れないってことを。』

「方法が無いわけじゃない。」

里久がいう、方法が無いわけじゃないというのは、自分の寿命を差し出すということなんだろう。

『馬鹿言うなよ……。』

ポツリと。本当に、喉の奥から絞り出すように駿也は、ポつりと呟いた。

『それは、つまり……里久が生きるのを諦めるってことだろ?』

「まだ、諦めた訳じゃない。」

里久は、それでも苦い表情を浮かべていた。

二人とも、里久にも分かっていた。

きっと他の方法を探したところで、大きな違いは無いだろう。

それなのに、そんな中途半端なことを言う里久に駿也は腹が立った。

『諦めたも何も無いだろ!こういうことなんだよ!』

「諦めたら、どうにかなるのかよ?!」

売り言葉に買い言葉だった。

だが、真理だった。

愛しているからこそ、強い口調になってしまった。

『諦めるとか、そういう話じゃないだろ?里久の命を差し出すんだぞ?どういう意味だと思ってるんだよっ!』

「それの何がいけないんだよ!!」

思わぬ里久の言葉に、驚いて駿也は目を見開いた。

しばらく唖然としたあと、睨みつけるのとも怒りを滲ませるのとも違う、深い悲しみと苛立ちを備えた目をしていた。

『分かってる?!死ぬって言ってんだよ?!』

「あー、何が悪いかよ。お前のそばに行くなら死んだっていい!」

『そんなの、いいわけないだろ!』

パンっと駿也の近くにあった石が弾け飛んだ。

感情の起伏でものに刺激を与えてしまうことがある駿也の気持ちは切羽詰まっているのだ。

『もし、もしだよ?俺に触れたいから、里久が、寿命が少なくなって死んだって...きっと二度と俺に会うことはない。』

「キス、したいんじゃないのかよ。」

『したいよ?!でも、それで里久まで死んだら意味無い!』

2人の声が、いや、里久の声が静かすぎてビリビリ響くような空気を揺らす。

「……俺はただ…お前といたいし、願いを叶えたいだけなんだよ......。」

『もう少し、お互いちゃんと考えよ。』

そう言うと、駿也は里久の顔も見ることなく、シュッと星空に溶けた。

残された里久は、その場で顔を隠しながら動けなくなっていた。

その手の中は、大粒の涙が後から後からどんどん零れていく。

(だって、仕方ないじゃん。そんだけ駿也が好きなんだから。駿也じゃないとダメなんだから。)

今回たまたま駿也が『キスしたい』と言っただけだ。

どちらかが先に触れたいと言っていただろうし、この日は遅かれ早かれ起こっていた。

神社の風が自分が思っている以上に優しい。

里久を慰めているように。

ただただ風が流れていった。






翌朝、駿也は帰ってきたが、一言も話さなかった。

傍に寄ってはくるのだが、なにか言いたそうにしながらも里久が何度声をかけてもうんともすんとも言わなかった。

そんな冷戦状態の最中、骨董屋の方から里久に声がかかった。

「ひどい顔だな。」

「……なんだよ。」

そこにいたのは、苦笑いをした優楽だった。

実際、里久の顔はひどいものだった。

泣き腫らした目に、気持ちのこもっていない声。

優楽にすら、悪態をつけないほどに、里久の顔は生気がなかった。

「駿也くんは?」

「……。」

「なにかあったのか?」

「……。」

「答えたくないってわけね。」

苦々しい目を向けては、ため息を付く。

優楽が察せることは、二人は触れ合うことがそんなに簡単にはいかないということだ。

「話したくないってなら、俺は何も言わないけど……。」

優楽は、意気消沈しているような里久に、優楽は本気で心配だった。

何か良からぬこと、くらいなら良いが全てを無にするようなことをしなければいいが、と。

「まあ、何を言っても届かないかもしれないけど、一ノ瀬。無下にするようなことはするな。」

「誰を……。」

「そんなの、一ノ瀬に決まってるだろ。」

里久は唖然として、優楽を見た。

口を開けようにも言葉にならない。

そんな里久を見かねて、優楽はため息を付いた。

「どうなってて、そういう風になってるから知らないけど……今までだって思ったように生きてきたんじゃないの?」

「俺は……逃げてきただけだ。」

「まあ、なら。駿也くんからも逃げる?」

「逃げるわけないだろ!!」

今まで力無く答えていた里久だったが、駿也のことにだけは熱く、大声を上げて優楽を威嚇した。

「駿也だけは、諦めない。」

「うーん。諦めない、じゃないんじゃない?」

「え?」

「逃げようとか投げ出そうとか……そういう事じゃなさそうだし……信じてる、じゃないの?」

里久は、息を小さく飲んだ。

何故、今まで「諦めない」ことだけにこだわっていたのだろうと。

里久は、駿也を好きで。

駿也は、里久を好きで。

それだけで良かったはずだった。

それが、いつの間にか、もっともっとできるんじゃないかと欲が出た。

でも、その欲が、なぜダメだと言うのだろうか。

良いじゃないか、貪欲で。

「なんか、わかった気もする。」

「うん、じゃあ、俺はちょっと借りた本返すだけだから。」

そう言って、真っさらに笑う優楽の表情は眩しかった。


部屋にドタドタと音を立てて上がり込むと、ベットに腰をかけた。

「駿也。」

『なん、だよ……。』

駿也が気まずそうに視線を流しながらも、里久の前に来るように移動し、顔を背ける。

「俺は、決めたよ。」

『なに、を……。』

駿也の声は掠れていて小さい。

まるで、一晩中泣いていたかのような。

そんな、甘い声だった。

「信じる。何もかも。」

『信じる?』

「そう。信じる。先のことも今のことも過去のことも。全て今が良かったんだって。今のために駿也に会って。」

里久の目には薄ら涙が浮かんでいた。

駿也の眉が、今までキツく睨みつけていたのが、段々と眉を下ろしていく。

「誕生日、キスしよう。俺はそれしか望んでない。」

『里久。でも、だって……。』

「駿也だから。駿也になら、任せられる。これから先も。」

『……。』

「今しかないんだよ、俺ら、二人が触れるには。今年の誕生日に……。」

『里久?』

駿也は里久の言い方が引っかかった。

だが、それに気づいていたが、理解はできていなかった。

そのことで、この場をまたぐちゃぐちゃにしたくなかったのもあった。

後で、問い詰めればと思った。

「ううん。親父に話してくる。ちょっと家族の話だから、駿也はここに残ってくれないか?」

「え?ああ、そうだね。」

里久の家族はやや複雑だ。

不仲なわけではないが、良好とも言えない。

殆ど会話は交わされないが、嫌いという訳では無いらしい。

それでも、家族はやはり家族だ。

二人で話したいことも、あるのだろうと駿也はそれくらいに思っていた。




「おやじ。」

閉店準備をしている父親に里久は声をかけた。

こんな風に、話しかけたのは大学を辞めた時以来かもしれない。

「俺、いくよ。」

「そうか、いくことに決めたか。」

父親は、里久が思うよりも冷静だった。

そのことに、里久は首を傾げる。

「少し、話をしてやる。」

もしかしたら、こうしてゆっくり話すのは、今日で最後かもしれない。

そう思うと、自然と里久は、店の椅子に腰掛けていた。

「昔にな、そう遠くない昔に、お前と同じ境遇に置かれた者がいた。」

ガラガラ、ガシャンと親父は、店のシャッターを閉めた。

部屋に入ってくる窓はなく、陽の光が遮断され、薄暗くなる。

「一緒に居ないでくれ、そう言われて大喧嘩になった。」

里久は、自分と駿也を重ねてしまう。

何となく感じるのは、もしかしたら、父親の事なのではということ。

「その者には霊感はあったし、ある程度操ることも出来た。だからか、分かっていた。冥界がなんであるかを。」

「うん、それで?」

チラッと父親は里久を視線だけでおった。

その眼差しは柔らかく優しい。

まるで、ひだまりのようだった。

「でも、そいつは、踏みだせなかったんだ。この世にぬくぬく留まり、相手の霊を冥界におくった。」

「それって……。」

「聞こえを良くするなら、成仏させたってことだ。」

里久は、黙ってしまった。

もし仮に父親でも、他の誰かでも、踏みとどまった人を強くは言えないし、それはそれで正解なのかもしれない。

里久は、それはそれで、否定も拒否もできないと思った。

「行っていれば良かったと思う時もあった。後悔。だが、行ったとしても後悔していただろう。」

そこで、父親はゆっくり大きく息を吐くと、珍しいくらい、柔らかな笑顔を浮かべた。

「そうか……お前は、一番好いた人を、大事だと思う人を選べたんだな。」

優しく背中を押すような父親の言葉に、ストンと肩の荷がおりた。

これで。

こうやって父親と話すことは、最後かもしれない。

それでも大丈夫だよ、と言われたように里久の背中を押してくれたのだ。

「ありがとう。」

「そんなくだらないこと言うなら、さっさと準備しろ。」

里久の最初で最後かもしれない礼を、父親は嫌がるように手を振った。

最後に差し出されたのは、井戸への鍵。

里久は、小さく頷くとポケットに鍵を突っ込んだのだった。

いつも、話なんかしないし、話をすれば憎まれ口しか叩かなかったというのに。

これで、別れかと思うのには、少し惜しい……惜しすぎると思わない訳ではなかった。

だが、里久は、前を向く。

もう振り向かないと決めた。

里久は、部屋へと戻る階段を昇っていく。

『里久。』

「ああ、駿也。もう大丈夫だよ。」

『うん……?』

「ああ、キスしても大丈夫だよって話。」

『本当に?』

駿也は、疑い半分、本気半分だと言った声で里久をみる。

うん、と里久は大きく頷いた。

「もう、駿也の誕生日だね。ま、鍵も貰ってきたから。」

駿也に見せる鍵を見て、駿也は少し顔が強ばった。それは、緊張と不安が混じって見えた。

「大丈夫。時間までは一緒に寝よう。」

『里久……居なくならないでよ?』

「うん、もちろんだよ。」

里久は、駿也のことを優しく撫でるような仕草をしてみせる。

きっと、日付が変わる頃は、二人は触れ合えているはずだ。

ほんの少しだけでいいから、ほんの少しだけ、と、駿也は切に願っていた。






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