第4話 成瀬駿也
「捕まえた。」
その言葉に、里久は、恐怖すら覚えた。
なのに身体は、自分の物のようには動かなかった。
自然と動いてしまったのだ。指輪を拾うと何故か、ポケットに指輪を入れていた。
しかも、ポケットの中から落とさないように手をポケットに入れ、指輪に触れていた。
指輪は、なぜがほんのり温かく体温を感じさせた。
「拾ってきてしまった……。」
『ふふ、ありがとう。気づいてくれて。』
「大体、この状況なんなんだよ……。」
里久は、頭を抱えていた。
手元には、汚れたシルバーリング。それに、赤いイヤフォンから今までのような距離感ではなく、友達のノリで話しかけてくるような幽霊の声。
「てか、お前誰だよ。なんなんだよ。」
『成瀬 駿也(なるせ しゅんや)です!』
成瀬駿也と名乗った彼は、声高らかに楽しそうに言う。
何が楽しいんだと言うように里久は、眉間に皺を寄せた。
「元気よく言われてもね……。」
はぁ、と深く大きくため息を里久は吐いた。
耳に聞こえてくるのは、軽いトーンで話してくる声。
積極的に話してくる幽霊はいたが、こんなに馴れ馴れしく話してくる幽霊は里久にとって初めてだった。
そして、自分から積極的に霊と話してこなかった里久にとって、こんなに長時間イヤフォンを装着しているのも始めてだった。
「しかもこの指輪も訳解んないし。」
『あ、それ俺のだからなくなさいで持っててねってやつ。』
「ーー今直ぐ捨ててやるよ。」
『……そんなこと、出来ないくせに。』
くつくつと笑う駿也の笑い声に見透かされたような気持ちになり、里久は言葉に詰まった。
今から捨てに行くのだって、戻すことだってできるのに、座ったまま動けないでいる里久がその言葉を証明していた。
指輪を見ていると、捨てられない、捨てては行けないという気持ちに傾いていくのだ。
「なんでこんな……。」
『なんでかは俺も分からないけど、拾われたらこっちのもんだよって幽霊の先輩が言ってた。』
「呪いのなにかかよ?!」
『まあ、里久自体、呪われているようなもんだもんね。』
はぁ、と大きく深い息を吐いて駿也を里久は睨むものの、駿也は気にした素振りもないようで、イヤフォンからは小さな笑い声が聞こえる。
「駿也ってのが見えないのも腹立つ。」
『それは、里久の能力のせいだね。』
背中に力を寄せて、ギシッとイスの背を鳴らした。
霊感が、ある人には分かるのだろうが、駿也は律儀に里久の目の前にいる。
里久は、目線を止めるものがない為、指輪に向かって話しかけているのだが……。
その姿は、外から見える人がみたら、なんともシュールな図である。
「能力って、霊感ってことか?」
『そうでしょ。霊感ゼロだもんね。里久って見た感じ。』
駿也は、ふわりと里久の周りを飛び交ってみせるが、里久には見えていないようだ。
「いきなりの怪現象の多発って……。」
『いきなりって言うか、普通に起こってたし、存在してたけどね。里久が気付かないだけで。』
「ムカつくやつだな。」
『別に独り言だしー。』
駿也の言い方に里久は、ムッとしたような目を指輪に向ける。
「お前、居座るつもり?」
『捨てられるまでね。』
「お前の言い方!」
ムカッとして、里久は駿也を立ち上がり睨みつけようとするものの、見えない駿也を睨みつけることは出来ない。
「~~~ーーーー!」
言いようのない敗北感に里久は、しゃがみこむのだった。
「ところで、お客様。」
「客じゃない。言い方やめろ。」
里久は、バー〈ナンバー〉に来ていた。
怪現象を信じてもらえる、身内以外の人物がこの男しか思いつかなかったのだ。
「"ここ"に来るってことは、もうないと思ってただろうね。里久さんは。」
「"さん"って呼ばなくて良い。」
優楽の白々しい言い方に、里久は優楽に食ってかかりそうな勢いで言う。
「でも、名前でよんだら、それはそれでムカつくんだろ?だったら……一ノ瀬?」
「なんか何でもイラッとするのは、今の状況のせいだな……。」
「まぁ、そういうことにしておけば。」
恐らく、人生経験にも人徳的にも圧倒的に差がある。里久は分かっていた。
この、優楽という男に今の自分では、勝てるところは無いのだと言うことを。
「で、その駿也くんの指輪は?」
「……。」
「ん?」
里久が黙りこくり、微かに顔を伏せた。
そのことで、指輪を持っているのは明らかだった。
「なんか、人目に晒す気にならないって言うか……。」
「へえ。」
優楽は、面白そうに口元を歪めた。
里久に自覚は無さそうだが、里久は駿也という幽霊に随分と肩入れしているのではないかと、優楽は思っていた。
「まあ、無理に見せろとは言わないけど。」
別に優楽も子供では無い。無理やり見たところで楽しいと思うものでもない。
「それはいいとして、ここに来たのはなんでかな?」
「それは……。」
里久は、視線を無意識に彷徨わせ、言葉を探した。
誰かに聞いて欲しい、本当かどうか確認して欲しい、色々な考えが巡る。
霊感がない里久でも、イヤフォンから聞こえてくる声が今まで嘘をついたことは無かった。
ただ、こうして自分とコンタクトを自ら取ってきたことが、少し怖いとも感じていた。
「何がって訳では無いけど……。お前くらいしか思い浮かばないし…話してわかる人。」
「……なんか、寒気が。」
「どういう意味だよ。」
「いや…一ノ瀬が素直になっていることと、本当に物理的に。」
里久は、言葉を選ぶようにポツリポツリという。
優楽は、黙って聞いていたが、ふわりと寒気のようなものが体に急に走ったのだ。
(一ノ瀬に憑いてる霊の仕業か?)
優楽は、自慢では無いが、里久よりは霊感みたいなものは持っていると思っている。
駿也の気配を感じた、と言うのなら説明がつかないことではない。
『ねえ、里久。』
「……なんだ。」
『早く帰ろう?』
無意識にイヤフォンから聞こえてくる声に返事をしている里久。
その姿を優楽は、不思議な感覚で見ていた。
態度こそ、良いものではないが、里久は駿也との会話を嫌がっているようには見えない。
「……ちょっと試してみたいことがあるんだけど。」
不意に、優楽がライターを取りだした。
「はあ?ライターで、俺の心でも読むってか?」
「いや、駿也くんの気持ちも見えるのかなって。」
優楽の言葉に里久は、パッと顔を上げた。
幽霊にコンタクトを取れるのは、自分のイヤフォンだけだと、里久は思い込んでいた。
確かに、人の心に直接コンタクトする優楽のライターであれば、駿也の心にコンタクト出来るかもしれない。
残留思念を辿るようにできているのなら。
『やってみてもいいけど、おすすめしないけどなー。』
「どう言う意味だ?」
『別に?』
駿也は、少し不貞腐れたような声を出したことに、声だけを聞き続けている里久は、気づいてしまった。
ただ、いつの間にか駿也の感情を追うように話をしていることに里久は気付いていない。
「ん?問題ある?」
「いや?なんか、おすすめしないって……。」
「まあ、心を読むってそもそもオススメ出来るものじゃないしね。」
優楽は、どこか納得したように苦笑いをすると、ライターを取りだした。
「物は試し。」
優楽は、里久の上の空間に向かってライターをカチッと灯した。
『あんた、嫌い。里久に近寄らないで。』
その瞬間、優楽にぶつかってきたのは、優楽に対する苛立ちや不機嫌をまとったような声だった。
「……一ノ瀬、帰った方がいいと思う。」
「は?」
「どうやら、俺は駿也くんには嫌われているらしい。」
「はぁ?」
優楽の言葉は、里久にとって曖昧ではっきりしないもので、里久は首を捻った。
「いや、気持ちは読めるっぽいけど、読まない方が良かったかも。」
優楽は、里久に視線を合わせないようにしながら言った。
里久と視線を合わせなければ、駿也と視線が合わないだとか、駿也の姿を捉えないだとかではないのだが、思わずそうしてしまう。
「てか、読めた?!」
「多分…?確証は無いけどな。ただ、何も無い空間から感情が見えたから、多分。」
「はあ。」
優楽だって、幽霊の心を読むなど、初めてやってみたのだ。
確証がないのは当たり前だろう。
「まあ、今日は帰れ。」
「言われなくても帰るっての。」
何となく腑に落ちきっていない里久だったが、バーに入りびだったことも無いだけに、そうそう長居はしにくかった。
『里久。』
バー〈ナンバー〉を出て、直ぐに聞こえた声は、どこか浮ついた声だった。
「お前、本当に心読まれてた?」
『んー……。うん。読まれてたかも。』
耳を擽った、いたずらっぽい声に、微かに里久は目を見開いた。
その声に、少しの棘が含まれていたからだ。
その意味は、里久には分かっていないようで、周りに気づかれない程度に小首を傾げた。
優楽は、先程、「駿也くんには嫌われているかも。」と言っていた。
自分もいけ好かないとは思っていたが、会ったばかりの駿也が優楽を嫌う理由が思い浮かばない。
「不思議なやつだな。お前も。」
『ふふ、分かってくれないかー。残念。』
「ほんとにいきなり憑いてきたり、わけわかんねーな。」
その里久の言葉に返事は返さなかったが、駿也は微かにまつ毛を震わせていた。
『はーい、朝ですよー。』
里久が、目を覚ますとつい、つけっぱなしになっていたイヤフォンから、目覚まし代わりとも言える声が聞こえてきた。
昨日、帰ってきてーーそれから、寝てしまった。電気もイヤフォンも付けたまま。
「……。」
ベッドにいたことは幸いだったが、何となく体はだるいし、目を開ききらない感覚がある。
それでも、耳に聞こえてくる声は、明るく軽やかで、里久の今の状態でさえ、嫌な感じはしなかった。
『寝て起きたらいなくなってるとかないからね。』
どこか、威張るようにいう駿也に、はあ、と大きく息を吐き出して、ため息をつく。
「朝から元気な幽霊って初めて聞いたんだけど。」
スマホを確認すれば、まだ朝の8時だ。
こんな早くに起きることは、大学を中退してから里久はなかった。
そもそも、大学も行ったり行かなかったりだったが。
『里久だって、知ってるでしょ?幽霊って言葉だけが先行して、本来は自分勝手にその辺にいるってこと。』
「お前が言うと身も蓋もないな。」
こんな時間に起きた日は、里久は二度寝を決め込むのだが、耳元で駿也に話され続けると、寝るに寝れなくなった。
勝手に目がどんどん覚めていく。仕方なしに体を起こせば、ふと、思い出しことがあった。
「そういえば。」
里久は、自分の机に向き直った。
机の上にあったのは、紛れもなく、地蔵のところにあったシルバーリングが鎮座していた。
もちろん、疑うことは無いのだが、間違いなく駿也の存在している証となる。
「これ、拾われたもん勝ちって言ってたっけ?」
『そう。まあ、俺の存在を確定させるためみたいなものだよ。』
駿也の説明に、里久は首を傾げる。分かったような分からないような言葉だった。
「確定?」
『うん。俺自身はもうこっちの世界では、見えないし、存在しないからさ。俺がいるんだよって伝えるためのものっていうか。』
「つまり、駿也の分身ってこと?」
色々言葉を探すが、いい言葉が里久には見つからなかった。
『大切にしてね♡』
あっけらかんとちゃらんぽらんな言い方で言ってるものの、目は真面目な駿也がいる。
「大切にって……。」
本気なのか、冗談なのか分からない駿也に里久は困惑したような表情を見せる。
ーーつまり、分身みたいなもの。
その言葉が里久は気にかかっていた。
何故、自分が、駿也の分身に導かれたのかーー
「なんか忘れてる気がする。」
里久は、ポツリと呟き、頭をかいたのだった。
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