望まぬ知らせ


 事が動き出すというのは往々にして同時に来る。

 杏は改めて、そう思った。


 客先のマシン室で作業をしているとき、私用の電話がなった。

 着信番号をみると、数字だけ並ぶ。

 タケシの指示で連絡先は全部消去していたから、誰かはわからない。

 

 ……仕方ない。


  「──もしもし」

 杏は、その着信にでた。

 「あ、杏? よかった。つながった!」

 懐かしく聞きなれた女の声がする。


 「ユリ? 久しぶりね!」

 声が弾むのが自分でも分かる。

 もう心配してたんだからね、と大学時代から続いた友人は続ける。


 「連絡するなとか、急に言うし。連絡しても出ないし。心配したんだから」

 仕事中だと分かっていたが、それでも30分ぐらい話した。

 言葉を選びながら、タケシとの行く末、今の仕事の話。

 さすがにレイネの事は言えなかった。


 ほんと、そんな男と別れてよかった。

 ユリはそう結論づけると、連絡してきた本当の理由を伝えてきた。


 私、結婚するの。

 結婚式の案内を送りたいから──。


 「そうなの? おめでとう!」

 そう努めて明るく言った。


 もちろん、式には行く!楽しみにしている。私も嬉しい。

 杏はそう言った。

 ただ、心の中では、自然ではない振る舞いが、自然にできるんだなとどこか冷めていた。



 * * *

 


 ぼんやりと横浜駅に向かって歩いていた。

 季節は変わり鬱陶しい梅雨の始まりだ。

 しとしとと降り続く雨。

 傘にぶつかる雨音が繰り返される。


 ユリが結婚する。

 四年前は自分が先だと思っていたのに。

 競いたいわけじゃない、喜びたいのにそうはならない。


 四年間が奪われたように感じる。


 あんなダメ男にも捨てられる自分。

 誰からも……ダメ男にすら選ばれない……


 杏は立ち止まる。

 

 ”帰り遅くなるかも”

 杏は、レイネにメッセージを送った。


 すぐには既読マークは付かない。

 いつもマイペースで、きっと何か作業をしているかテレビでも見ている。

 そんな姿が想像できる。


 人々の波と喧噪けんそう搔い潜かいくぐり、JRの改札前に着く。

 スマホを取り出すが──『既読』マークは付かない。


 空虚な感覚。


 こみあげてくる涙でスマホの画面は滲む。

 パスケースに持ち替えようとしたとき、着信を知らせるバイブが震える。


 ──レイネ?


 慌てて杏は着信に出ると、男の声だった。


 「あ、杏?ごめん今から時間作れない? 少ないけど、借りてた金返したくて」

 その声は、先日再開したケンジだった。


* * *


 ケンジが指定した場所は、よくあるファミレスだった。

 「他にも借りている人がいるからね。贅沢は出来ない」

 そう言いながら、ケンジは3万円を渡してきた。


 「少しは堅実になったのね」

 杏は、心根こころねとは違う言葉を口にする。

 「そう言ってもらえると嬉しいよ。あと27万かな」

 ケンジは過去のSNSを見せてくる。

 そこには杏とのメッセージ履歴。

 

 ”無駄な連絡しなくていいから。30万は返して”


 「あの時の杏、めっちゃ冷たくてさ……」

 「結局、一度も連絡よこさなかったよね」

 ケンジと別れたのが26の時。5年ぐらい前だ。


 「すげーショックだったのと、自分が悪いのに、あの時は杏のせいだと思ってたから……」

 そう言うとケンジは、テーブルに頭をぶつける勢いで下げてきた。

 「ほんとごめん。反省してる」

 「ちょっと、こんなところでやめてよ」

 他の人がいる前でやめて、小声で諭す。

 ケンジはなかなか頭を上げない。


 「……あの、カレーのお客様.....?」

 店員が困りながら声をかけてきた。

 「あ、はい。あっすいません」

 慌ててケンジが頭を上げる。

 「ちょっと、人前で恥ずかしいからやめてよ」

 ケンジにスプーンを渡すと杏は「メッセージ、取っといたんだ」と呟く。

 「これだけじゃないよ」

 ケンジはフォルダの写真を見せてきた。


 酔っぱらったふたりが映る写真。

 「あ、これ、ケンジの家で撮ったやつ」

 懐かしさと一緒に、胸を締め付けられるような悲しさが湧きおこる。


 杏と居た時が一番楽しかった、とケンジは呟いた。

 「──え?」

 「いやなんでもない。振られたのは俺の方だし、もう無いんだなって分かってる」


 杏が頼んでいたカルボナーラも来る。

 「ほんと、杏てカルボナーラ派だよな。どこ行っても」

 「そういうケンジだって、カレーでしょ?」

 そうだけどさ、まぁ食べようよ。いただきます、とケンジは言うと続けた。

 「杏のカレーが美味くて、それ以来カレー派になったんだよ」

 また食いてぇなぁ、とケンジは呟いた。


 それからケンジは、何人かの女性と付き合ってきたこと。

 誰とも長続きしなかったこと。

 だらだらとフリーターをしてたけれど、住宅販売の営業を始めて2年が経つことなどを話してきた。

 ちゃんと働いて、めどが見えてきたら、やっぱり杏に甘えていたことがやっとわかった。

 そう思って連絡を取ろうとしたけど、連絡が取れなくなってた。


 「ほんと、心配したんだぜ。こうして会えて嬉しいよ」

 いつもの物腰の柔らかい笑顔を見せてくる。


 心を許しちゃだめ。

 そう杏は思いながらも、ケンジの笑顔に懐かしさを覚えていた。

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