第20話 一石投じる
「うーん……」
プロダクションの巡業を終えた日の夜。花音はリビングの机に書類を並べて悩んでいた。隣には村井がいるが、彼は花音を見ており書類は見ていない。
「あ、よかった。まだやってた。ねぇねぇ、花音どうだった? 芸能人、いた?」
そんな二人の下に帰宅するなり超特急で修行を終わらせて急いでシャワーを浴びた琴音がやって来る。彼女は今日の花音の土産話を聞きたくて今日の学業はうわの空で過ごし、話を聞きたい一心で修業も瞬時に終わらせていた。そんな彼女に花音は微妙な顔で応じる。
「芸能人……いたんじゃない? 覚えてないけど」
「いたんだ! サインとかもらった?」
「貰ってないよ。いらないし、お仕事のお話しに行ったんだから」
「あぅ。そ、そうだよね。ごめんね?」
クールな妹の言葉を受けて興奮気味だった琴音も落ち着きを取り戻す。そんな琴音に目もくれずに花音は並べた書類の一つを手に取って呟いた。
「うーん……どこも思ってたより厳しい条件じゃなかったなぁ。恋愛禁止があってもファンとの恋愛禁止くらいしかなかったし……そうなると最初は色々としっかりしてそうな大手かなぁ? おにーさんはどう思う?」
「んー? 俺、そういうの疎いからなんとも……まぁ、大手の方が小さいところよりしっかり守ってくれそうな気はするけど」
「じゃあ、これとこれはなし」
村井の適当なアドバイスを受けて机の上に残ったのは三社分の契約書だ。レコード会社と系列プロダクションをまとめて1社、そして大手プロダクションが二社だ。
「うーん、入る時と売れた時の条件が同じなら後は違約金の比較かなぁ……?」
「機会逸失金はそれだけ投資する気があって期待を掛けられてるっていう裏返しでもあるから一概に安い方がいいとは言えないと思うが」
万が一、こちらから契約を破棄することがあった場合のリスクが少ない方がいいと判断した花音の安易な考えを村井が止める。しかし、花音には村井の言っている言葉の意味の一部がよく分からないようで首を傾げた。
「きかいいっしつ……?」
「何か……順当に行けば貰えてたはずなのに手に入らなかったお金的な感じ」
村井のざっくりした説明を受けて花音は頬に手を添えて考えて答えた。
「じゃあ間を取って最初に行った系列会社のところにする? それともまだ別の会社からのお誘いを待つ?」
「花音に任せるよ」
「むー……」
投げやりな言葉に花音は少しムクれた。花音的には村井に決めてほしいのだ。花音が自分で決めるには問題が大き過ぎるし、そもそも花音として売り出し方と活動方針は村井の好みに合わせたいのだ。村井の好みに合わせるためには村井の意見が必要になる。その意見がまるでないとすると非常にやり辛かった。
「おにーさんは私にどうしてほしいの?」
「取り敢えずは毎日楽しく過ごせればいいんじゃないか? 将来のことを考えて学校には行って欲しいけど」
「毎日楽しく過ごすだけでいいならずっと家にいるけど……」
(……何でニート思考になってるんだ? 甘やかし過ぎたか?)
花音の率直な感想を聞いて村井は首を傾げる。【昏き幽王の眠る町】における彼女はかなりストイックな少女だったはずだ。尖り過ぎたそれが花音の脆さにつながったのだから間違いない。
(……まぁ、あの本の中では多少図太くないと生き残れない環境だったから今はその図太い面が強調されてるだけかもしれないが……そもそも、花音の面倒を看るだけで世界が救われるなら別にいいかもしれないしなぁ……)
御伽林への依頼で三億円、その後の諸角との交渉や雑費などで千五百万円ほど出費している村井は今のままだと少し余生に不安が出て来たので今年の初めに十億円ほど再度仮想通貨に突っ込んでいた。
今回が彼の記憶にある最後の確実に儲けられる投機で、再来年の秋には税金で二割回収されたとしても大体百五十億円になって帰って来る予定だった。そのため、花音が本気でニートになっても養うのに特に不都合はない。世界が崩壊してお金が紙屑と単なるデータ上の数字になることに比べれば安いものだ。
そんな村井の雑な考えを視た花音は拗ねた。彼女からは村井が自分に特に何も期待していないように視えたのだ。
「むー、おにーさん。もっと私に何かしてほしいとかないの?」
「花音、お兄さんさっきから学校に行くように言ってるけど……」
「それはなんか違う」
「……そっか」
村井に助け舟を出した琴音の言葉をばっさり切り捨てて花音は村井ににじり寄る。村井の至近距離に花音の非常に整った顔がやって来た。
「私は、おにーさんに、何かしてほしいことないか、訊いてるの。今はその他の人は関係ないよ」
そう言った直後、村井の琴線に何か引っかかるものがあったのか花音は彼の精神の揺らぎを感じた。その隙を逃さずに花音は尋ねる。
「あるの? 言って」
「……ない、とは言えない。ただ、今の花音に言うのはちょっと……せめてもう少ししてからかな」
「ふーん……因みにもう少ししたらってどれくらい?」
「……せめて、再来年」
村井の言葉を聞いて琴音と花音はその時が来る意味について少し考える。そして先に琴音が大きな声を上げた。
「えっ……!? お、お兄さん、本気ですか?」
「お姉ちゃん、何か分かったの?」
「そりゃそうだよ! 再来年って、花音が十六歳ってことでしょ? 十六歳になって出来る事って言ったら限られてるし! 花音も分かるでしょ?」
「……高校に行けってこと?」
琴音の言葉を聞いて花音は嫌そうな顔になった。しかし、琴音は勢い良く首を横に振った。
「違うよ! それだったら別に言い辛そうにしないでしょ! 多分だけどお兄さん、花音と結婚しようとしてるんじゃない!?」
「……ホント?」
疑惑の目の中に僅かに期待を覗かせて花音は村井を視る。ただ、村井は即座に否定した。
「いや、少し違う」
「少し違うってことは大体合ってるんだ! えぇ~! 待って。花音、花音は……」
「お姉ちゃん落ち着いて」
興奮しっ放しの琴音を見て逆に冷静になる花音。表面上は静かになった琴音を尻目に花音は村井に尋ねた。
「それでおにーさん、どういうこと? 別に今更何言われても嫌いになることはないから素直に答えてほしいな」
「……今は気にしなくていい」
「気になるよ。そんなすぐにおにーさんがお嫁さんにしてくれるなら今から所属契約について考えないといけないし、色々と路線変更しないとだし」
「……あのなぁ、ちょっと先走り過ぎだ。そもそも、色々と面倒看てるからって一生縛りつけてやろうとか思ってないからな? そんな無理することはない」
「別に無理なんか……」
村井の言葉を否定しようとする花音。だが、村井は彼女の発言が終わる前に続けて言った。
「世の中には多分もっといい男がいるよ。少なくとも中卒無職で冴えないおっさんの俺より輝いてる人はたくさんいる」
「……おにーさん、勘違いしてない?」
「ん?」
自らを卑下して花音を説得したつもりになる村井。だが、彼女は何もわかってないなと言わんばかりの表情で切り返した。
「いっぱい人はいるかもしれないけど、私はおにーさんを選ぶ気なの。おにーさんがダメなら私はお姉ちゃんと一緒か、お姉ちゃんもダメなら独りになるよ?」
(……最悪、本編の花音と同じ境遇に陥るってことか)
かなり嫌な想像が頭を過り、村井は黙ってしまう。その沈黙を嫌なものとして受け取った琴音が殊更声高に花音に告げた。
「わ、私は花音と一緒にいるつもりだよ。大丈夫」
「今はそうかもしれないけど、将来お姉ちゃんに恋人が出来たら流石に私も空気読むよ。まぁ、お姉ちゃんがおにーさんと付き合うならちょっと色々また路線変更になるけど……」
「わ、私は花音が好きな人を取らないよ!」
「お姉ちゃんがその気はなくてもおにーさんの方が……って、違う違う。今はその話じゃない。今はおにーさんに私の将来を変にされないためにちゃんとお話する時間」
そして花音は再び村井に向き直る。
「おにーさん、この際だからはっきり言うね?」
「……何か言いたいことがあるなら言えばいい。言うだけタダだしな」
半ば投げやりのように、しかし花音が何を言うのか少し興味ありそうに村井はそう返す。そんな彼に花音は一度深呼吸してから言った。
「私、おにーさんのこと好きだよ」
どこか優しさを含みながらも真剣な眼差しで花音はそう告げた。妹の表情は見えていないが、琴音は息を呑む。真剣なまなざしを直接向けられている村井も大きく息を吸った。だが、誰も何も発さない。花音はそのまま続けた。
「物心ついてから初めて人を好きになったの。今はこの好きが恋愛的な意味か、親愛的な意味かそれとも他の意味なのかは自分でも分からない。でも、どちらにせよ私はずっとおにーさんと一緒に居たい」
「花音……」
琴音が思わず花音の名を呼んだ。しかし花音は琴音の方を振り向かず、村井を見たまま彼女に告げた。
「お姉ちゃんごめん。お姉ちゃんも言いたいことはあると思う。いつか言おうとしてたことがあると思う。でも、おにーさんには今、直接言わないとダメ。何かある」
「……わ、わかった! なら私も……!」
覚悟を決める琴音。しかし彼女が声を発するよりも村井が口を開く方が早かった。
「待った」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます