【短編】確かに触れられる距離にいた。ただそれだけだった

小林直太郎

確かに触れられる距離にいた。

8畳のワンルーム。


玄関側にある風呂場からはシャワーを流す音が聞こえる。


キッチンの側に付随している給湯器はまるで、怒りを表現しているかのように鈍く唸り続けている。


俺はシングルベッドから身を起こし、床に投げ捨てられた環奈の衣類を集めてやることにした。


左足だけ裏返ったタイトジーンズ。踝までの白い靴下。真紅で合わせたパンツとブラ。


彼女にはオーバーサイズな白いシャツ。

それとは対照的に、黒のキャミソールを拾い上げると、キッズサイズであるかのようなその小ささに、心のどこかで「愛しさ」という感情が動いた気がした。


2時間前、環奈かんなからLINEが送られてきた。

内容は覚えていないが、要約すると俺の家の近くで飲んでいるから会いたいという内容だった。


約3ヶ月ぶりの彼女からの連絡だったが、久しぶりとも思えない不思議な安心感があった。


10ヶ月ほど前に、雄星ゆうせいと遊びに行ったクラブで、彼が声をかけた2人組。

その1人が彼女だった。


その日、俺たちは一緒に、俺の家で朝を迎えた。


家に向かう途中、空気はまだ冷たく、吐き出す息は白かった気がする。


彼女がどこ出身で、どこで働いているのか、はたまた苗字さえ知らない。


むしろ知る必要がなかった。

知っているのは、27歳であり、絵画に興味があること、三鷹の方に住んでいることくらいだった。


記憶が正しければモネかゴッホの話をしていた気がするが定かではない。

それだって全て彼女が作ったフィクションの設定なのかもしれない。

知る由もない。


ただお互いの欲求を埋め合うだけの関係性だった。


特に深追いしてこないところから察するに、彼女もこの関係性に満足しているらしかった。


彼女の衣類を拾い上げ、丁寧に畳んでやる。


彼女の香りが鼻をくすぐった。

柑橘系の南国を思わせる爽やかな香りは、街中をイルミネーションが支配する12月の雰囲気にはミスマッチに思える。


しかしその香りはすでに、環奈のものとして脳が認識しており、安心感をもたらした。


俺は彼女の衣類をまとめると、風呂場の出口にある洗濯機の上にタオルと一緒に置いといてやった。


時刻は23時を間もなく回ろうとしている。


具体的にどこに住んでいるかは知らないが、三鷹までの終電にはまだ間に合うだろう。


シングルベッドは2人で寝るには狭すぎるし、窮屈な想いはさせたくない。


きっと出会い方が違えば。


例えば学生時代の友人や、新卒の職場の同僚、友人からの紹介で出会っていれば。


もしかしたら俺たちは身体的な関係にとどまらず、心を通わすことができたのかもしれない。


もしかしたら二人で美術館に足を運ぶことだってあったかもしれない。


俺はリビングに戻ると空きかけの缶ビールを喉に流し込んだ。


ぬるく苦味の増した微炭酸が喉を伝っていくのを感じた。

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