介護施設における文化闘争

無用先生

権利の行使が義務となるとき

余はある介護施設の従業員である。介護報酬から給与を受けているから雑務スタッフではなく介護職ということになっているが、主流からは外れている。昇進の見込もない。

スタッフの誰かが、余の言葉遣いを「時代劇のようだ」と評していた。もとより。漫画に出てくる忍者や剣客のように「何々でござる」などと言ったのではない。ただ、労働者として看過し難い状況で、言辞を選ぶ余裕がなかったことがある。

例えば、募金。職員の退職や結婚、出産などのときに、千円程度を集めることはある。だがそのときは様子が違っていた。

勤務中に負傷した同僚がいたとのことだが、事故としての申し送りがなかった。詳細は失念したが、私費か、一般の健康保険か、いずれにせよ正規の労災届出をしなかった旨を伝え聞いた。

本人は怪我をしているからそれ以上、訊きようもない。とにかく、余は出捐を拒絶した。

金額がいくらであれ、名目が見舞金であれ。労災隠しの工作資金を一円たりと出すことはできない。

余に、誰がそのようなことを言ったのかなどと、集金していた古参は言った。まともに返答するのが面倒となった余は

御国の御命令です

と答えた。「みくに」という幹部がいたかどうかを、その古参は思い出そうとしていた。

もっと些細な例では。何かの件で施設長に報告する人があった。施設長はタイムカードを押さずに来るように命じた。その人は肯定的な返事をしながら、タイムカードは押そうとした。

「失礼します。今日はお忙しいのですか?」

余が声を掛けたが、何を言っているのかをその人は容易に理解しなかった。

その人の内面を厳密に知る由もない。

習慣的にタイムカードを押そうとしたのではなく。利用者への介助以外は労働ではないと見なしていたと、余とChatGPTは推測している。

余はその人が習慣ではなく故意にタイムカードを押してから報告しようとしていると見て。

「施設長に残業代を突き返すのは無礼では?」

と言ったと記憶する。

その人は。怪しい会社かと思った、あの人(余のこと)は右翼か、などと言っていた。

結論から言うと、余はある前衛政党に属している。右翼などではない。

だからこそ。裏切者に対しては無意識にも右翼的語彙を用いるのだ。保守の人が政敵をアカと呼ぶのと同じである。

ところで。病院には健康保険を労働災害には用いてはならないということが丁重な言辞で、しかし赤や黄の、カドミウムを思わせるあざやかな字で書かれたポスターが貼られていた。

また、サービス残業や休憩返上が違法である旨の伝達が、余の勤務先では幾度となく行われた。

素朴な常識では。詐って私傷病に労災保険を用いてはならない、仕事をせずにタイムカードを後押ししてはならない、などの注意書きこそ必要と思われるが、逆なのである。

常識などは人間のつくったものなので容易に逆転するのだと余は思った。

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