第5話「明かされる過去と新たな絆」

祭りの翌朝、橘家の屋敷は早くから緊張感に包まれていた。


「本当にやってきたか...」

椿は縁側に座り、庭に降り立った一人の女性を見つめていた。銀髪に白い着物、美しくも威厳のある姿。しかし、その目には冷たさが宿っていた。


「妖狐評議会の議長...白羽(しらは)」

雪が低い声で千早に教えた。


千早は緊張した面持ちで、雪の後ろに立った。昨夜の祭りで見せた力が、早くも妖怪界に伝わったのだろう。


「五十年ぶりだな、椿」

白羽の声は澄んでいたが、冷たかった。


「まさか再び会うことになるとは思わなかった」

椿は静かに応じた。

「何の用だ?」


白羽は雪を鋭く見つめた。

「貴方の行動が、妖狐評議会の掟に触れていると報告があった」


雪は無表情を保ちながらも、千早の前に立ちはだかるように位置を変えた。

「私の選択だ」


「人間と心を通わせることは禁じられている」

白羽は厳しく言った。

「特に...契りなど」


「それは...」


「私が雪と契りを結んだのです」

千早が一歩前に出て言った。

「彼は何も悪くありません」


白羽は初めて千早をじっと見た。その鋭い目に、千早は身震いを覚えた。

「あなたのような人間に騙された妖狐が何人いると思う?」


「私は...」


「人間は裏切る」

白羽の声には、古い悲しみが滲んでいた。

「特に...力を求める者たちは」


雪が千早の前に立ちはだかった。

「彼女は違う」


「そう言ったのは、白銀も...そして私も」

白羽の目に、一瞬、痛みの色が浮かんだ。

「結局、私たちは裏切られた」


その言葉に、椿が激しく杖を突いた。

「私は白銀を裏切ってなどいない!」


長い沈黙が流れた。


「祖母様...白羽様...」

千早は静かに言った。

「過去にあったことを、詳しく教えていただけませんか?」


椿と白羽は互いを見つめ、やがて椿が深い溜息をついた。

「わかった。もう隠すことはない」


***


座敷に集まった一同。椿と白羽は向かい合って座り、千早と雪はその間に位置した。緊張感漂う空気の中、椿が語り始めた。


「五十年前、私は若き式神使いだった」

椿の声は遠い記憶を辿るように静かだった。

「そして...白銀という九尾の狐と出会った」


白羽が言葉を継いだ。

「白銀は私の弟...そして雪の兄。妖狐の中でも最も美しく、最も純粋な心を持つ者だった」


「二人は出会い、深い絆で結ばれた」

椿は懐かしむように言った。

「前例のない契り...女性式神使いと九尾の狐。私たちの力は強大だった」


白羽は冷たく言った。

「そして、それが悲劇を招いた」


椿は悲しげに頷いた。

「藤堂家が中心となり、『妖狐の力を使って町を支配しようとしている』という噂が広まった。私たちはそんなつもりはなかったのに...」


「人間たちは恐れ、妬み、そして憎んだ」

白羽の声は厳しかった。

「暴動が起き、式神使いたちが白銀を襲った」


「多くの術符で封印され、白銀は力を失っていった...」

椿の声が震えた。

「彼は最後の力を振り絞って私を守り、そして...」


言葉が詰まる。五十年経っても、その痛みは消えていなかった。


「白銀は死に、私は重傷を負った。それ以来、橘家は没落し...私は式神使いの力のほとんどを失った」


千早は祖母の手を取り、強く握った。

「祖母様...」


「だが、それだけではない」

白羽が鋭く言った。

「椿、真実をすべて話せ」


椿は顔を上げ、苦痛に満ちた表情で言った。

「...白銀が死ぬ前、私は彼の力の一部を受け継いだ。それが、この長寿の理由だ」


千早は驚いた。確かに祖母は八十を過ぎているはずだが、見た目はずっと若く見える。


「そして、その力が...」

白羽は冷たく続けた。

「お前の娘、そして孫娘へと受け継がれた」


雪が息を呑んだ。

「それが...千早の特異な才能の理由か」


「そうだ」

椿は静かに頷いた。

「千早は...白銀の血を継いでいる。ごく僅かだが」


衝撃の事実に、千早は言葉を失った。自分の中に、妖狐の血が流れている—それは自分の力の源であり、同時に橘家が迫害された理由でもあった。


「だから...藤堂家は私を恐れているのですね」

千早はやっと言葉を取り戻した。


「そして、だからこそ...」

白羽は厳しい目で雪を見た。

「お前が彼女に惹かれるのだ。血の呼応...それは危険なものだ」


雪は静かに言った。

「そうだったのか...だからこそ、あの夜、彼女の呼びかけに応えてしまったのか」


「だが、それは本物の契りではない」

白羽は断言した。

「血の繋がりによる幻影だ」


「違います!」

千早は強く反論した。

「私と雪の絆は...血だけのものではありません」


「雪」

白羽は冷静に言った。

「お前にも選択がある。今なら、まだ戻れる。妖狐の世界へ」


雪は黙って千早を見つめた。その目には、迷いが浮かんでいた。


「お前が望むなら...」

白羽は続けた。

「この契約を解消できる。人間に心を奪われる前に」


重苦しい沈黙が流れた。


***


その日の夕方、千早は母・澪の部屋を訪れていた。朝の出来事を全て話し、自分の中に妖狐の血が流れていることも告げた。


「お母様...私は人間ではないのでしょうか」

千早は不安そうに尋ねた。


澪は優しく娘の頬に触れた。

「あなたは立派な人間よ。ほんの僅かな妖狐の血があったとしても、それはあなたの一部に過ぎない」


「でも...雪との絆は血のせいなのかもしれません」

千早は俯いた。


「千早」

澪はしっかりとした声で言った。

「あなたの感じているものは、本物よ。血の繋がりだけではない」


「どうして...そう言えるのですか?」


「母親の勘...そして」

澪は微笑んだ。

「あなたが雪を見る目を見れば分かるわ」


千早は頬を赤らめた。

「でも、雪は...」


「彼は何と言った?」

澪は静かに尋ねた。


「まだ...何も」

千早は小さく答えた。

「白羽様の言葉の後、彼はずっと黙ったまま...」


澪は娘の肩に手を置いた。

「彼には時間が必要なのよ。長い孤独の後、再び心を開くことは容易ではないわ」


千早は黙って頷いた。しかし、心の中には不安が渦巻いていた。雪は自分の元を離れてしまうのだろうか?


「お母様...」

千早は勇気を出して言った。

「私はどうすればいいでしょうか」


「自分の心に正直になりなさい」

澪は静かに答えた。

「そして、彼の選択を信じなさい」


***


夜、千早は庭の片隅で雪を見つけた。月明かりに照らされた彼の姿は、いつもより儚く見えた。


「雪...」

千早が声をかけると、雪はゆっくりと振り向いた。


「千早」

彼の声は静かだった。


「白羽様の言ったこと...」

千早は言いにくそうに言った。

「信じてしまったの?私たちの絆が血だけのものだと...」


雪は長い間黙っていた。やがて、静かに言った。

「わからない」


その正直な答えに、千早の心が痛んだ。


「長い間、私は人間を信じない生き方をしてきた」

雪は夜空を見上げながら言った。

「兄の死後...心を閉ざしたままでいた方が、安全だった」


「でも...」


「しかし、お前と過ごす中で...」

雪は千早を見つめた。

「少しずつ、氷の心が溶け始めた。それが恐ろしい」


「恐ろしい?」


「心を開けば開くほど、失うことへの恐怖も大きくなる」

雪の目には、長い時を生きてきた者の悲しみが浮かんでいた。

「白銀が椿を選んだように...私がお前を選べば...」


言葉が途切れた。


「私はあなたを裏切りません」

千早は強く言った。


「わかっている」

雪は小さく頷いた。

「だが...それでもなお、この先にある運命が怖い」


千早は雪に近づき、勇気を出して彼の手を取った。

「一緒に乗り越えましょう」


雪は千早の手を見つめた。小さくて温かい手。この手に触れるたび、凍てついた心が少しずつ溶けていく。


「もう少し...時間がほしい」

雪は正直に言った。


千早は寂しさを感じながらも、微笑んだ。

「わかりました。待ちます」


二人は静かに夜空を見上げた。同じ月を見つめながらも、それぞれの心には異なる思いが渦巻いていた。


***


翌日、千早が目を覚ますと、雪の姿が見当たらなかった。


「雪...?」

彼女は屋敷中を探したが、どこにもいない。


「出かけたようだ」

椿が静かに言った。

「白羽と共に」


千早の心に不安が広がった。

「戻ってくる...よね?」


椿は孫娘の肩を抱いた。

「信じるしかない」


その日、千早は不安の中で過ごした。式神使いの試験まであと三日。雪がいなければ、試験に挑むことはできない。


「千早、これを」

夕方、母・澪が娘に小さな瓶を渡した。


「これは...」


「雪が残していった妖薬よ」

澪は説明した。

「あなたのために...」


千早は瓶を握りしめた。薬を残していったということは...もう戻ってこないつもりなのだろうか。


夜、千早は一人庭に座り、月を見上げていた。心の中で雪を呼び続けていた。


「戻ってきて...」


その時、千早の体に異変が起きた。胸元から熱が広がり、痛みを感じる。服をはだけると、そこには薄い模様が浮かび上がっていた。


「これは...」

千早は驚いて見つめた。


「妖の紋だ」

突然、背後から声がした。


振り向くと、そこに雪が立っていた。月明かりに照らされた彼の表情は、どこか決意に満ちていた。


「雪!」

千早は飛び上がるように立ち上がった。

「どこに...」


「考えることがあった」

雪は静かに言った。

「白羽から多くを聞いた」


「妖の紋...って何?」

千早は自分の胸元を見た。


「式神との深い絆によって現れる印」

雪は説明した。

「強い契りを結ぶと、式神使いの体に現れる」


「これは...良いこと?」


雪は複雑な表情を見せた。

「一般には、妖気に侵された証として恐れられる。だが、実際は...」


「実際は?」


「二人の魂の共鳴が生み出す神聖な印」

雪は静かに言った。

「千早...お前の体に紋が現れ始めたことは、私たちの契りが深まっていることの証だ」


千早は胸が高鳴るのを感じた。

「それなら...あなたは戻ってきた...」


「迷った」

雪は正直に答えた。

「しかし...気づいた。お前との絆は、単なる血の呼応ではない」


千早の目に涙が浮かんだ。

「本当に?」


「そうだ」

雪は千早に近づき、その頬に触れた。

「白羽は言った...この道を選べば、妖狐界には二度と戻れないと」


「それでも...」


「それでも、私はお前を選んだ」

雪の声には、もはや迷いはなかった。

「千早...私はお前と真の契りを結びたい」


千早の目から涙があふれた。

「私も...」


二人は月明かりの下で見つめ合った。そして、互いの額を合わせるように近づいた。瞬間、千早の胸元の紋が光り始め、雪の体も淡く輝いた。


互いの魂が共鳴する瞬間—それは言葉では表現できない深い繋がりだった。


「これが...真の契り...」

千早は震える声で言った。


「まだ始まりに過ぎない」

雪は静かに言った。

「これからが本当の試練だ」


「一緒に乗り越えましょう」

千早は雪の手を強く握った。


月影の町の夜空に、星々が明るく輝いていた。二人の新たな絆の誕生を祝福するかのように。


***


翌朝、千早は新たな力を感じていた。胸元の紋は淡く光り、体の中に雪の力が流れているのを感じる。


「状態が変わったな」

雪は千早の稽古を見ながら言った。

「力の流れが自然になっている」


「ええ...あなたの力を、より深く感じられます」

千早は術符に力を込めながら答えた。


二人の訓練は、以前より高度なものになっていた。もはや言葉を交わさなくても、互いの意図が伝わるようになっていた。


「妖の紋が現れれば、試験は容易に合格できるだろう」

雪は言った。

「だが...」


「何か問題が?」


「紋が完成すれば、お前は力を得る」

雪は真剣な表情で説明した。

「しかし同時に、魂の一部が妖となる。人間社会から疎外される可能性がある」


千早は驚いた表情を見せたが、すぐに決意の色を浮かべた。

「構いません。これが私の選んだ道です」


「本当にいいのか?」

雪は千早の目をじっと見た。

「元には戻れない」


「雪があなたの居場所を選んだように」

千早は微笑んだ。

「私も自分の道を選びます」


雪の目に、感謝と愛情が浮かんだ。もはや氷の仮面は解け、素直な感情が表れていた。


「千早!雪!」


突然の声に、二人は振り向いた。母・澪が慌てた様子で中庭に駆け込んできた。


「どうしたの、お母様?」


「藤堂家から...」

澪は息を切らせながら言った。

「大きな式神使い大会が開催されるとの知らせが」


「大会?」

千早は不思議そうに尋ねた。


「ええ、褒美は"どんな願いも叶える妖宝"だって」

澪は緊張した面持ちで続けた。

「そして...橘家も招かれている」


千早と雪は顔を見合わせた。

「罠かもしれないわね」


「おそらく」

雪は冷静に言った。

「だが、好機でもある」


「妖宝...あれば母様の病を完全に治せる」

千早は考え込んだ。


「行くべきだ」

雪は決断した。

「力を示す時だ...橘家の力を」


千早は頷いた。藤堂家の罠であっても、もはや恐れることはない。雪との真の契りによって、彼女の中には新たな力が宿っていた。


「お母様、参加します」

千早は強く言った。

「そして...必ず勝ちます」


澪は心配そうにしながらも、娘の決意を尊重した。

「気をつけて...そして、自分の心に正直に」


夕暮れ時、千早と雪は屋根の上に座り、沈む夕日を見つめていた。


「明日から大会が始まる」

雪は静かに言った。

「覚悟はできているか?」


「ええ」

千早は頷いた。

「あなたと共に、何にでも立ち向かえます」


雪は千早の肩に腕を回し、彼女を引き寄せた。

「私も...お前と共にある限り、怖いものはない」


橘家の門前に、夕日の残光が美しく差し込んでいた。明日からの試練を前に、二人の心は強く結ばれていた。

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