第9話:統合の門

夜。

 病室の窓の外に、赤い月が昇っていた。


 九条律は、その異様な光に照らされながら、自分の胸に手を当てていた。

 ふたつの鼓動が、もはや明確に、互いを意識し合っている。


 一つは現世の命。もう一つは、裏側の存在。


 その境目が、限界に近づいていた。


 鏡の中に映る自分の瞳が、わずかに赤く濁っていた。

 背中には、はっきりと“もう一つの心臓の形”が浮かび上がっていた。


 そして――また、白い世界へと引き込まれる。


 だが、そこはもう静寂ではなかった。

 赤黒く染まった空。

 虚ろな地平に、無数の“選ばれなかった命”たちの影が浮かび上がっていた。


 中央に、あの男――“裏心臓”が立っていた。


「お前はずっと、“生きる理由”を探していたな」


 律は無言でうなずいた。


「だが生きる理由なんて、どこにもないんだよ。

 意味は、後付けされるだけだ。

 だったら、なぜ苦しみながら延命する?

 いっそ統合すればいい。“すべて”を引き受けた新しい存在になれ」


 裏心臓は、ゆっくりと手を差し伸べた。


「統合すれば、希望も絶望も、愛も憎しみも、全部ひとつになる。

 お前の“選ばなかった人生”すら、お前自身として受け入れられる。

 それが、“完全”ってやつだよ」


 その手の中で脈打つ心臓は、あまりにも静かで、あまりにも強かった。


 律は目を閉じた。


 たしかに、統合は甘美な選択だ。

 痛みも後悔も、すべてを肯定し、完全な存在として生まれ変わる。

 けれど――


 「選ばなかった人生」を引き受けることは、

 「いま選んでいる人生」を否定することにもなるのではないか?


 彼は、目を開けた。


「俺は、不完全でいい」


 その言葉に、空が一瞬震えた。


「意味なんて、なくてもいい。

 でも、誰かが俺を思い出してくれる限り、

 誰かに“綺麗な鼓動”って言ってくれた記憶が残ってる限り――

 俺はこのままで、生きていたい」


 裏心臓の手が、宙で止まった。


「……なるほど」


 次の瞬間、空が裂けた。

 律の背後に巨大な“門”が現れる。


 それは“統合の門”。

 ふたつの心臓が完全に一つになるか、あるいは永遠に分かたれるか。

 その決断の扉。


「選べ、律。

 この門を通り、“完全な存在”になるか――

 それとも、“今の鼓動”を抱いて、不完全なまま生きるか」


 律は、静かに一歩、門の前へ進んだ。


 そして、振り返らずに――門を、通らなかった。


「俺はこの鼓動で、生きる。

 不完全でも、俺は――俺だ」


 その瞬間、門が音もなく崩れ、

 裏心臓は光の粒となって消えていった。


 律は目を覚ました。


 鼓動は、一つだけだった。


 だが、それは確かに――以前よりも、力強くなっていた。

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