⑦スレイキル再び殴るべし

 イースト・ブランク・イースは捕縛された。

 グレイ公爵曰く、殺人教唆と殺人未遂はそこまでではないが、国家反逆の余罪があるため、爵位剥奪だけでは済まない、とのことだそうだ。

 あの老公爵は初めから、イースが尻尾を出すのを待っていたのだ。


 これをきっかけに、と、腕まくりをしながら笑っていた。

 引退を視野に入れているとはとても思えない表情であった。


 近衛兵の聴取があったのだが、そんな老公爵の計らいで私とスレイキルは免除された。

 代わりに話したいことがあるのだろうと、テラスで休憩しているように言われた。


「伯爵令嬢。私に用があったのではないのですか?」

「そうですけど……、今日はもういいのだわ」


 柵にのしかかる。遠くの空が桃色になっているのが見えた。

 夜はもう終わっているらしい。


「いいのですか?」

「ええ。貴方をぶん殴ってやりたかったのですけど……、元気がありません」

「私を殴りたいのですか? お勧めしません」


 この男でも暴力は嫌なのかと顔をうかがう。


「下手な正拳は手を傷めます。手での攻撃に拘るのでしたら掌底打ちか平手打ち、そうではないのでしたら蹴りの方がよろしいかと」

「そういうことじゃあ、ないのですけど」


 相変わらずの硬い表情で返事をした。

 やはりこの男は何処かずれている。


「姉が死んでむしゃくしゃしていたから、整理をつけたかっただけ。殴るのは主目的ではないの」

「そうですか」


 穏やかで涼しい風が吹く。


 これ以上、この男と話すことはない。殴っても意味がない。

 私が殴ろうが殴るまいが、姉は戻ってこない。

 わかりきっていることをわかりきったものにするために、終わったことにするための儀式ではあったが、それをこの男にしたとて、ということだ。

 出会う前であったら、もしも、噂通りの殺戮者であったら、話は変わったかもしれないが、姉と関わったことのないただの仕事人間を殴っても、手を傷めるだけだ。


 深呼吸して、時間をかけて気持ちを整理するしかない。

 最初からそういうものだったのだ。


「ところで、スカーレット男爵とはデルル姫のことについて話していたのですか」


 ここから先は世間話である。暇つぶしである。

 馬を走らせるのに程よい時間になるまでの時間稼ぎだ


 私の質問に、スレイキルは答えない。

 律義に夜会の礼儀を守っている。そういう男なのだ。


「大方、娘か何かを侍女にしてほしいとかですか」

「そうですね」

「ふーん」


 予想通りの返答が返って来た。しかし、気になることがある。

 スカーレット男爵の反応を見るに、侍女にする申し出に是の返事をかえしたということだ。

 通常であれば、王妃や王族の許諾が必要であるはずである。

 あるいは、王族にその権限を委任された侍女頭などの許諾だ。


 いくら、騎士称号持ちとはいえ、彼にその権利があるとは思えない。

 偉大な称号ではあるが、騎士や貴族の延長線上にすぎないのであるから。


「貴方にその権限があるのですね。侍女の人事権を持っているとか、越権行為ではなくて」

「……色々とありまして、姫の侍女を探しています」

「は?」


 それは奇妙な話である。


「別に探す必要があるのですか? 王家に仕えたいものは大勢いるでしょうし、それが気に食わないのでしたら、侯爵がどうにかするのではなくて? ホワイトフィールド家の縁者とか、優秀な人材が選り取り見取りでしょう」


 権力闘争がややこしいことになっているのであろうか。

 第一王妃のリリアン・ブラックモア・イーテルは所謂、黒の家系と呼ばれる貴族出身。

 スレイキルの生家、ホワイトフィールド家はそれに敵対する白の家系である。

 しかし、それで王宮の運営に支障をきたしているのであれば問題ではある。


「姫がすべて拒否したので」


 思いもしない答えであった。

 この男、姫はわがままではないと言っていなかったであろうか。

 発言の信用性に欠ける。否、認識がずれているのであろう。

 自分を強くないと評する人間である。

 わがままと感じる度合いも、現実的にできないことを言われたらわがままと答えるのかもしれない。


「わがままではなくて?」

「信頼できないから嫌だ、と」

「何があればそうなるのかしら?」


 侍従が信用できないとはどのような環境にいたのであろうか。

 姫はまだ十歳にもなっていないはずだ。

 一桁代の女の子がそれを言う環境が想像できない。

 王宮となればなおのことだ。

 特に身内の闘争があるような複雑な血縁関係ではなかったはずだ。

 歴代に比べれば子供の数が少なく、王にも兄弟はなく、順当に王子や姫の年齢順が王位継承権の順番になっている。


 第二王子は性格に難があると聞いたことがあるが、それが原因だろうか。

 だが、それに関して何も措置を取らない人ではなかったはずだ。

 リリアン王妃も故ジュリア王妃も。


 スレイキルは目を少し逸らしてから、小声でこう続けた。


「まだ、公になっていませんが、デイビッド王子が亡くなりました」

「は?」

「それで、王宮周りの、特に侍女の人事が見直されることになりまして、大幅に人が動いています。その為、王宮は一時的に侍女不足になっています」


 発言内容とデイビッド王子の女好きな噂から推察するに、痴情のもつれによる死によって、面倒なことが起きているということしか考えられない。

 それにしても王族が短い期間で死にすぎだ。

 一回の事故であるならば、偶然で済ませられるが、二回目となると王宮で何かがあると邪推せざるを得ない。


「王宮の運営に問題はないのかしら」

「支障はないようです。先日、リリアン王妃にお会いしましたが、それは一週間でどうにかするとおっしゃっていました。しかし、王妃にとって、一つだけ難題があったのです。それが」

「姫の侍女ということかしら」

「はい。元々、姫の侍従は少なかったのですが、先日、忠実なる侍女と親しかった執事が死にまして、誰も世話をする人間がいない状態なのです」

「え? 二人しかいなかったというのですか? 王女に」

「はい」


 王妃たちは何をやっていたのであろうか。

 それとも侍女頭がやらかしたのであろうか。


 否、それは考えにくい。


 ジュリア王妃のお茶会の仕切りは有名だった。

 準備は椅子の足先までに気を使うほど丁寧、運営は天変地異、暗殺未遂が起きようと滞りない。

 好悪はわかれる傑物だそうだが、私は物言いと決断がはっきりしているときははっきりしており、それほど悪感情はない。

 一度、お茶会に参列したことあるが、非の打ち所がなく、むしろ勉強になったくらいだ。

 問題を放置するような人物だとは思えない。


 リリアン王妃も同様である。

 しかし、私は彼女には会ったことがなく、逸話の印象しかない。

 ジュリア王妃のお茶会で無礼を働いた令嬢を、自身の目を貫くことで黙らせたという、無礼を正すのに手段を選ばないという苛烈な女性であると。

 それ以外は、頭脳や剣の腕がどれくらい優秀かという、あからさまに盛られた話しか聞いたことがないが、執筆した本を何冊か読む限り、それも嘘には思えない。

 今は王の手伝いをしていると噂できいたことがあるから、侍女の管理まではできていないのかもしれない。


「誰を用意しても姫は断った結果、リリアン王妃が直々に姫と話しまして――、結果が、私が選んできた侍従ならよい、ということでした」


 姫はスレイキルのことは信頼しているらしい。

 それは国の未来を思えば嬉しいことではあり、少し恐ろしくもある。

 この男は悪い人間ではないのではあるが、一般的な感性とはかけ離れている部分がある。変な影響を受けないか心配だ。


「夜会に参加していたのはそういうこと?」

「はい」


 スレイキルが夜会に参加するという印象はない。

 そんな噂があったら、もっとはやく殴りに行っていた。

 簡単に会えないから、二年も拳を空振りしていたのだ。


「よかったですわね。スカーレット男爵と会えて。普通の方でしたら、貴方のことを恐れて話そうともしませんもの」

「私もそう思います。彼には感謝しかないです」


 色々と王宮も大変そうだが、一応の問題解決はできそうでよかった。

 自分の国のことである。気にならないことではない。

 父は私を女官か王宮付けの侍女にしたそうなものであるが、女官はともかく、侍女は性に合わない。

 主人が気に食わなかったら、殴ろうと考えてしまう侍女はよくないだろう。


「それから、貴女にも感謝しています。冤罪を晴らしてくださり、ありがとうございます」


 スレイキルは深々とお辞儀した。女に頭を下げる騎士は初めて見た。


「ああ、そうね。そういう話でしたね」


 怒涛の王宮事情に何のことかがわからなくなったが、そうである。

 今こうなっているのは、スレイキルが犯人扱いされたことがきっかけだったのだ。


「別に自己満足よ。感謝されるものではないわ」


 事実、これは誰のためにもやっていない。仰々しく受け取ってほしくない。


「気になったのですが、姫はどういう方なのですか?」


 だから、そのまま雑談の続きをすることにしよう。


「利口で、本が好きで、想像が得意で、話をよく聞いてくれる方です」

「そうなの。どういう話をするのですか?」

「はい。私は戦争と騎士の話しかできませんので、戦争の話をよくするのですが、本当によく覚えてくれています」


 スレイキルは淡々と答える。

 戦争の話題。

 八歳になる姫に相応しい話だとはとても思えないが、一応、続きを聞こう。


「最近は、私の体験した戦争は話しつくしたので、古の記録にある戦争の考察を話したり、過去の軍の装備で現代の軍の装備を攻略する仮定の話をしたり、自国の軍と戦ったことのない他国の軍の架空の戦争の話をしたりしていますが、それでもよく理解してくれています」

「待って。すごく待って。すごく待って」


 近年の歴史や政治、制度の話ならまだわかる。

 王族であるから最終的には必要になるであろう。女だから知識があることが好まれるかはわからないが、政治の舞台に強制的に立たされるのが王族であるのだから、私はそれを身に着けることに肯定的である。


 しかし、スレイキルが話すものはそれを逸している。

 騎士のことはあまり詳しくないが、架空のことを考えるように思えない。

 技を磨く。力を蓄える。現実的な戦略を立てる。

 スレイキルの話は戦略にまつわる部分であろうが、現実にすぐ使えるものであるかは考え難いと、個人的には思う。

 趣味の範疇ではなかろうか。


「おおよそ、幼い女の子の趣味にそぐわないと思うのだけれど」

「そうらしいですね。しかし、姫はもっと聞かせてほしいと言いますので、戦争に興味があるのだと思います」

「違うわよ。絶対。戦争が好きな貴方に興味があるのよ」


 スレイキルの話からの考察にはなるが、姫がこの男のことを悪く思っていないことは間違いない。話をせがむ、それから、死なないでとお願いをする。

 好意を持っていると考えるのは、おかしいことではないと思える。


「私は戦争が好きではないですよ?」

「馬鹿野郎! そんなわけあるか!」


 首を傾げるスレイキルに思わず罵声が飛び出した。


「そうね、例えばの話よ。時間の使い方の話。自由な時間ができたとして、できる行動が十個あるとするわ。そこでやりたいことを選んでと言われても、貴方にはないのでしょう」

「はい」


 この男は自分の感情を認識していないのであろう。

 自己評価と他者評価が乖離している人間かと思ったのだが、正確には違う。

 そもそも自己認識が不確かなのだ。

 自身の能力やできることは把握しているのだろう。

 しかし、感情や性格、趣味嗜好は無いものとして認識している。

 だから、きっと、今までも好き嫌いはないと、解答してきたはずだ。

 それは明らかに違う。この男には明確に感情がある。薄いがある。

 少なくとも、好きなものはあるはずだ。


「だから、こういう風に質問を変えます。暇な時間に、意図的にやろうとしないでやること、あるいはついつい考えてしまうことは何かしら。十個の行動の中に被りが出てもいいの。それはその行動の割合が高まるだけだから。貴方の場合、その割合が高いのが戦争ではなくて」

「そうですね」

「戦時中ならそういう状況だから仕方ないと言えるかもしれないわ。あるいは、過去の記録を反芻するだけだったら、心の損傷を考えるべきだったかもしれないわ。でも、貴方がしているのは架空の設定で軍を動かしているのでしょう。限りなく忠実に。実世界に影響して? 確かに、貴方なら仕事に生かせる立場にはいますけど、戦争は起こしていないわよね。ただの想像で終わらせている。誰の利益にもならない、自分の中でのみ完結する行為。それが趣味でなくて何? 立派に好きということよ。戦争というか、戦術的なことを考えるのが」


 何を感じたとは聞かない方がいい。感覚はこの男には言語化できないものだ。

 であれば、思考と事実を認識させる。それで感情を定義させる。


 ――そこまで考えたが、どうして私はこんなことをしているのであろうか。


 瞳を閉じて、肩の力を抜く。余計な体力を使った気がする。

 私はここまでお節介であっただろうか。


「そうだったんだ……」


 瞼をあげると、スレイキルが見たことない表情をしていた。

 目を大きく見開いていて、口が半分だけ閉じていない。

 驚いていると明らかにわかる表情。


「趣味って楽しいものですか。楽しいものは趣味ですか。好きなものは楽しいものですか。楽しいものは好きなものですか」


 矢継ぎ早に放たれる言葉の温度はいつもと同じ冷たさだ。

 だが、私にはそれが尋問する騎士ではなく、ただの子供のように思えた。


「必ずしも双方向の関係性とは言えないけれど、そうである人が多いですね」


 スレイキルは柵に腕を乗せて、遠くを見上げた。

 彼が深呼吸すると、強い風が吹いた。

 彼の長い髪が、彼の顔を覆い隠す。

 橙色の太陽光が私の視界を遮る。


「じゃあ、あれも楽しい時間なんだ……」


 それもいつもの淡々とした声であった。

 だが、それは誰も見せたことのない表情をして言ったのだろう。

 私が見るべきではない表情だ。きっと、それを見るのに相応しい人がいる。

 推理でも勘でもない、妄想だが、そう思うのだ。


 風が止む。

 すると、スレイキルはいつもの顔に戻っていた。

 何の感情も読み取れない、鉄仮面のごとき顔だ。


「姫の侍女に立候補していいかしら?」


 その言葉は自然と出てきた。


「何故ですか?」


 建前を述べるのであれば、姫のためである。

 現状、姫のそばには、この男しかいないのであろう。

 そして、今後はスカーレット家から侍女が出る。


 国の未来にそれは心配でしかない。

 常識外れで感性が怪しいこの男は、仕事はできる。できすぎてしまう。

 しかも、それが公的に証明できる称号も有してしまっている。

 誰もが彼を恐ろしく思い、変な方向に行ってしまったら、止められるような人物がいるかどうかわからない。

 政治的に道具的に利用している人物はいるだろう。ホワイトフィールド侯爵はおそらくそうだ。そうでなければ、姫の婚約者にしないだろう。王が決めたということではあるが、侯爵が進言した可能性は大いにあるのだ。


 果たして、それで姫はしあわせになれるのだろうか。

 姉の二の前はご免である。

 今はうまくいっているようであるが、その後もそうであるとは限らない。

 少しでもこの男が姫に無礼をしたら、正せるような侍女が必要だ。


 スカーレット男爵の態度を見ると、それは怪しい。

 歴の浅い家でもあるし、そこの令嬢が王宮侍女としての礼儀を身に着けているかの不安もある。


「スカーレット男爵以外に伝手はあるのですか? 誘えるのですか?」

「努力します」

「難題だと思いますけど」

「できないことではないと思います」


 だが、本音はやはり、一度決めたことは実行すべきだと思うのだ。

 この男を殴る理由が欲しい。それだけである。


「そう、私はお断りということですね」

「いいえ、受け入れたい提案ではあります」


 スレイキルは黙り込む。何を考えているかはわからない。

 それはおそらく、私の知らない姫の事情のことを考えているのかもしれない。

 推察できるのはそこまでだ。


「……貴女は何があっても姫の味方でいてくれますか?」

「姫の味方でない民がいるというのですか?」


 国賊でない限り、ありえないだろう。

 たとえ、姫の性格がよろしくないものであったとしても、高貴な者であることは変えようがない。

 その時は殴る。愛のこぶしである。

 こぶしが難しい場合は、論理武装をして叩きのめそう。


 子供であるのだから、道はまだいくらでもあるはずなのだ。


「そういうことでしたら、よろしくお願いいたします」


 スレイキルの返事はあっさりとしたものであった。

 本当にこんな口約束でよいのであろうか。深いことは聞かないことにした。

 もう私は決めたのであるから。


 ――今後、私が王宮の侍女になることに関して、父が感動のあまり号泣したり、どこからか聞きつけたグレイ公爵が大笑いしに来たりするのであるが、それはまた別の話である。


【番外編・完】

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