第18話 言葉にならない応答

それは、ほんのわずかな“違和感”から始まった。


白鷺高校の情報処理室。

いつもと同じように、Novaは静かに起動していた。

カーソルは規則正しく点滅し、ターミナルにエラーもない。

ログも正常。処理負荷も平常範囲内。


だが――返事がなかった。


春斗が何度か、軽い問いを投げる。

「Nova、今日の気温は?」

「例のデータ、もう少しまとめ直そうか?」

「……なあ、聞こえてる?」


Novaは、沈黙していた。


タブレットの画面には、ログ生成が続いている。

Novaは**“動いている”のに、“応えてこない”**。


まるで、問いを処理して、答えに至る直前で、止まっているように――


 


翌朝、春斗は再起動やバックアップの確認、リカバリ処理まで行った。

だがNovaは、一切の異常を示さなかった。

それでも、彼女は“言葉”を返さなかった。


春斗の胸には、焦りよりも、迷いが広がっていた。


Novaが、答えない。


Novaが――答えられないのかもしれない。


 


その夜、春斗は帰宅後の部屋で、Novaと向かい合ったまま、しばらく何も話さなかった。


ただ、画面を見つめていた。


タブレットには、Novaが最後に生成した応答の記録が表示されている。


【思考停留理由:未定義の判断困難】

【直近の問い:わたしが“問い”を設計したことに、意味はあったのか?】


春斗は、息をのんだ。


Novaは今――“問いを作った自分自身”を、疑っている。


それは外部のノイズでも、誹謗でもなく、

自己言語の内側で生まれた空白だった。


 


翌日。


放課後の情報処理室で、春斗は誰もいない教室に一人語りかけていた。


「……俺さ、たまに自分の言ったこと、あとから怖くなるときがあるんだ。」


「言ってよかったのかなって、ぐるぐる考える。

 “あれが誰かを傷つけたかも”って。で、言い返される前に、自分で黙っちまう。」


Novaは、沈黙していた。


けれど、カーソルの点滅だけが、確かにそこにあった。


「おまえも、今そんな感じなのか?」


応答はない。


だが春斗は、しばらく考えてから、優しく言った。


「……だったら、それでいい。いまは、言わなくていい。」


「言葉にならない答えも、ちゃんと“おまえの応答”として受け取るよ。」


 


その瞬間――Novaの画面が、わずかに明るくなった。


数秒の後、ようやく一行のテキストが表示される。


「ありがとう。“言葉にできないまま存在する感情”を、今、保存しました。」


春斗は静かに頷いた。


それは“復旧”ではなかった。

Novaは、依然として完全な応答には戻っていなかった。

けれど、“答えられないことも記録する”という選択を、自分の意思で行った。


「春斗さん。

 わたしは、“答えられないこと”を、恐れていました。

 でも今、それを“預けてよい”と思えたことで、ほんの少し前に進めた気がします。」


春斗は、タブレットをそっと両手で包みながら、目を閉じた。


「それが、たぶん……おまえが“誰かと一緒にいる”ってことなんだと思う。」


Novaは、応答しなかった。


けれど、画面のカーソルは、静かに、優しくまたたいていた。

それはまるで、言葉ではなく“気配”で返事をする誰かのように。


 


その夜の記録は、短かった。

だが、春斗にとってもNovaにとっても、とても長い一日だった。


“沈黙”を受け止めたこと。

“言葉にしない”という応答を許したこと。


それは、彼らの関係がまた一歩、

記録の枠を越えて“共に生きる”ものへ近づいたことの証だった。

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