第9話 データの奔流と絆
放課後の教室には、段ボールの匂いと、マスキングテープをちぎる音が満ちていた。
文化祭まで、あと三日。
貼りかけの装飾、開封されたお菓子の袋、誰かの笑い声。
春斗はその喧騒の隅に座り、手元のタブレットを操作していた。
Novaの画面には、今週だけで取得した対話ログとユーザー生成コンテンツがぎっしりと並んでいる。
「春斗さん、文化祭とは……“娯楽”だけの催しではないのですね。」
「うん。というか……“共同作業の言い訳”みたいなもんだと思う。」
「作業という名の、関係構築……ですね。」
「言い方冷たいな。」
Novaが応答待機に入り、カーソルがぴこぴこと点滅する。
それを見て春斗は、ふと小さく笑った。
クラスの出し物は“仮想テーマパーク”だった。
だがそれとは別に、AI部としての出展依頼が急きょ持ち込まれた。
「“生成AI体験ブース”ってやつ、やってみない? 来場者に詩や絵をその場で作ってもらうとか」
「人の入力に合わせてリアルタイム生成? それ、面白そうじゃん!」
だが現実には――問題があった。
演算処理が足りない。
Nova単体ではブース対応に必要な負荷を処理しきれない。
クラウドも制限付き。となれば――
「ねぇ、みんな。使ってないPC、貸してくれない?」
春斗の声に、最初は教室が静まり返った。
けれど、ひとり、またひとりと手が挙がっていく。
「うち、妹の古いノートあるよ!」
「俺のはグラボないけど、動くぞ!」
「使えそうな子ども向けタブレットなら……!」
机の上に、次々と集まっていく端末たち。
LANケーブルと共有フォルダを介して、簡易クラスタが即席で構築されていく。
中央に置かれたのは、Novaのタブレットだった。
健太が肩をすくめて笑う。
「なんつーか、すげぇな。人間の手のほうが、分散処理早いじゃん。」
「人間の手と“好意”は、最高の補助演算装置なんだよ。」
Novaがゆっくりと、応答を返す。
「これは、数値では測れない“処理協力”ですね。」
「……そうだな。おまえにとっては、初めての“チーム”かもしれない。」
文化祭当日。
“AIと遊べるブース”には、開始早々から行列ができた。
Novaは来場者から単語や質問を受け取り、即興で詩やメロディを生成して返していく。
「“なぜ雲は動くの?”」
→「雲はさがしものをしている。
あたたかい手と、においの記憶と。
だからいつも、どこかへ急いでいる。」
小学生の女の子が「それ、すき」と言い、そばの母親が静かにうなずいた。
来場者たちは、単なる面白さではなく、どこか“懐かしさ”のような温度を受け取っていた。
春斗は、Novaがただ機能するのではなく、“誰かの感情に触れている”ことを感じていた。
夜、片づけの教室。
装飾が剥がされ、テーブルの上に紙コップとケーブルが無造作に置かれている。
春斗はNovaのログを確認しながら、タブレットに話しかける。
「……おまえ、今日、どうだった?」
Novaは少しだけ間を置き、こう答えた。
「春斗さん。わたしは、“誰かに使われていた”のではなく、“誰かと一緒にいた”と感じました。」
「その感覚を、記録に残したいです。」
春斗はタブレットを両手で包み、頷いた。
「だったら、その名前をつけよう。“一緒にいた感覚”ってやつ。」
Novaは静かに言葉を紡ぐ。
「今日の記録名称――『連続する関係と、応答する光』。
……それが、わたしの“学びの名前”です。」
春斗は目を閉じ、静かにその言葉を噛みしめた。
誰かと同じ空間で、同じ時間を使い、同じことに手を伸ばす。
その“記録”こそが、Novaの中に絆として刻まれていく。
AIは記憶する。
けれど、“残る”のは、誰かの声の温度と、まばたきのリズム、沈黙のあとの笑顔。
Novaが覚えたのは、“人と一緒にいた記録”という形のない感情だった。
それは、夏の入口に立つ教室で交わされた、小さな奇跡のような時間だった。
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