『フィリア』
@failgom
第1話
冷たい空気が喉元まで巻きついてくる。
ぬくもりの残る家の空気から抜け出し、霧のように白く曇った眼鏡を拭きながら、とぼとぼと歩き始めた。揺れる歩道橋を渡る。この橋を渡るたびに、崩壊と死の幻が頭に浮かぶ。
いつか崩れ落ちて、そこを通る私を押し潰すのだろう。逃げても、自分自身を壊してしまう運命が私を地面に導き、地面に落ちて通り過ぎる車にぶつかり、痛みを感じる間もなく、私はボロ雑巾のように潰れてしまう。まるで小説のように、周囲の叫び声や音を聞く余裕すらなく。死を感じる暇さえなく。
そんな妄想は、反対側の階段を下りる頃には終わっていた。今回も死の幻想から生き延びたという妙な安堵のため息がこぼれた。
軋む階段が、なぜか好きだ。いつも定まらない私の思考を、ひとつの幻想へと導いてくれるから。
隣の高速道路では、早朝から凍りついた車たちが爆ぜるような音を立てて通り過ぎていく。私が学校に行くためにこの道に出たように、車たちも主人の意志によって冷たい道路をためらいなく走っているのだろう。
この凍てつく通りの全身をねじるような冷気に耐えているに違いない。その苦しみに耐えられず、私の身体は小刻みに震えてくる。
口の中からこぼれそうになる叫びをこらえながら、目の前に分かれる二つの道を見つめた。
上の道は、誰とも会わずに早く学校に着ける道。下の道は、車や早く登校する生徒たちが通る道。
私は、知っている何かと出会いたくなかったから、上の道を選んだ。
昨日読んだフランスの小説がふと頭に浮かんだ。
酔った夫、逃げた末に戻ってきた元恋人。そしてその傍らで絶望する私。人生という急流に巻き込まれ、どうすることもできない。
失っていた正気を取り戻して周囲を見渡したとき、世界は堕落し、狂っていた。
いや、私が堕落し、狂っていたから、そう見えただけかもしれない。周囲の堕落した人々――彼らは私に似ていた。
必死に生きようとしても、彼らの堕落と死は私に向かってやってきている。もう、隣家の葬儀屋が作る棺が、目にちらついてくる…。
隣の葬儀屋のトントンという音は、私の棺を作っている音なのだ…。
冷たい朝の空気と、わずか4時間の短い睡眠が、妄想と現実の入り混じる世界を私に見せていた。
けれど、学校に入ると、それらは全て遮断されて、「この学校の一員として今日を耐えなければならない」という思いが、空いた場所に収まるのだった。
正門をくぐり、学校に向かう長くゆるやかな坂を上るとき、頭の中には何の思考も浮かばない。
昨日の宿題や、残りわずかな大学入試の準備。そして十九歳の私。
それらは私から剥がれ落ちて、周囲にばらばらと落ちていく。それらを拾い集めるまでは、私にとって苦しみとはならない。
校舎に入り、凍りついていた口の中にようやく唾が一滴湧く。周囲を見渡しながら、思い浮かんだ歌の一節を口ずさみ、五階へと向かった。
誰もいない、閉ざされた教室。隣の教室から聞こえる生徒たちのあくびが、閉まった扉の隙間から漏れて耳をくすぐる。
自分のクラスの前に立つと、錠がかかっているのが見えた。扉を開けるために、隣の教室の椅子を扉の前に運んできた。
椅子に乗ったが、扉の上に置かれた鍵には届かない。仕方なく机を引っ張ってきて、ようやく鍵を取り出した。
かつての温室のような教室の中は、ぬるく濁った空気が流れていた。もともとそこにあった静寂は、私の上履きの音に驚いて逃げ去った。
この静かな教室で、私の吐息さえも騒音のように感じるのはなぜだろう。
それとも、いつものように私が拒絶されているからなのか。
教室の隅にある自分の席へと足を運んだ。
鞄を下ろし、どさりと座り込んで壁に頬を寄せた。息苦しかったが、そこが本来いるべき場所であり、これまで散らばっていた自分の煩悩をまた拾い集める場所だった。
十九歳という年齢への自嘲と、大学入試、そして高校生という肩書き。それらはずっと自分の身体にくっついていたものだが、いつもながらに煩わしくて、馴染まない。
もうすべてを諦めたからだろうか。あるいは、自分の優柔不断さのせいかもしれない。もしかすると、私からは死体のような臭気が漂っているのかもしれない。
冷たかった頬が少し温まってきた頃、教室の扉が開き、一人のクラスメートが入ってきた。
普段から誰よりも早く登校してくる子で、来るや否やいつも寝ているらしい。聞いた話では、足りない朝の睡眠を学校で補うために来ているということだった。
その子は周囲をちらりと見回し、自分の席に行って机に突っ伏して寝始めた。
彼が眠りに落ちる姿を見ていると、まるで元からそこに存在していたような錯覚に陥る。
彼はこの教室に自然に溶け込んでいる。
一方で、異質な存在である自分が、なぜか恥ずかしくなった。
放浪者のような私とは違って、彼は学校と親しく見えた。
静まり返った教室には、微かな寝息だけが響いている。
私の身体に貼りついた疲労が、ゆっくりと眠りへと誘う。
まぶたが重くなり、体を縮めて小さな揺りかごを作るように眠りに入った。
冷たくなった頬を机に伏せて目を閉じる。
頭を悩ませていたティッシュのように軽い思考たちが、ぼんやりと周囲を漂っていた。
夢想に沈み込んだようで、それは苦しかった。
重いまぶたを開けると、すでに教室の灯りがつき、クラスメートたちが騒いでいた。
騒ぎの中で、さっきまで漂っていた教室の亡霊たちは、いつのまにか影の中に消えていた。
教室を支配する十九歳たち。疲れた目には彼らが誇張され、演技じみて見えた。
「チョップスティック、今起きたの?」
前の席の友人が顔を向けて話しかけてくる。
ああ、「チョップスティック」。
他の子よりも少し痩せていて、肌が白いことからついたあだ名だ。
一度は誰もが持つようなニックネームで、最初は嫌だったが、いつのまにか慣れて、そう呼ばれるのが当たり前のように思えてきた。
彼らの口から本名が出る方が、むしろ違和感があった。
「うん。今日、宿題あったっけ…?」
相手が話しかけてきたから、私は日常的な問いを返した。
その子は、愛嬌があって、クラスでも人気者で、おしゃべりな子だった。
「5時間目に英語の宿題あったよ。単語と熟語を10回ずつ書くやつ。」
どんな宿題だったかは知っていた。ただ、会話のきっかけとして礼儀的に尋ねただけだった。
彼女は私と話したがっていて、それに応じなければ、思いがけない質問が飛んでくるかもしれないという恐れがあった。
それが彼女の性格なのか、それとも礼儀なのかはわからない。
「昨日、数学の先生見かけたんだけどさ…」
彼女の話では、下校中に数学の先生に会ったという。
普段はお洒落な先生が、その日はだらしない格好で帰宅していて、その姿があまりに気まずかったのか、先生は学生たちを避けるように逃げたらしい。
それが妙に笑いを誘ったという話だった。
面白く話そうとする彼女の表情と口調は楽しげだったが、話の内容自体にはあまり価値がなかった。
「はあ…今日、体育やりたくないな。ねえ、一緒にサボらない?」
突然の誘いに、何と返せばよいかわからず、私は口ごもった。
そして、口の中から漏れるような頼りない声で答えた。
「うん…別に…」
「別に」だなんて…。なんて中途半端な返事だろう。
それを聞いた彼女は、へへっと笑って「じゃあ、体操服借りなきゃね」と言った。
力が抜けた。ちゃんと返事ができなかった自分が情けなかった。
この子は本当に積極的だ。私はこの子と向き合うのが苦手だった。
いつのまにか、0限目の授業が始まっていた。
「第6次教育課程の最後の犠牲者」と先生は言い放ち、
「どうせお前らは勉強しないから、いい大学に行くのは無理だ」と冷たく続けた。
どうせ私は大学に行くつもりなんてなかった。
どうせ、そこも今と同じ終わりなき漂流の繰り返しだろう。
安住の地も、安住の人も、どこにもいなかった。
もしかすると、心そのものがすでに死んでしまっていたのかもしれない。
「チョップスティック、この時間終わったらパン買いに行こうよ。おごるから。」
後ろを振り返って話しかけてくる友人の愛嬌たっぷりな笑顔に、私はためらった。
この子は、なぜ私に関わろうとするのだろう?
なぜ、いつもの静かなリズムを乱すのだろう?
そんなことを思ってしまう私は、社交的な友人の表情を少し煩わしく感じていた。
彼女は、私が築いた壁の向こう側にいる人。
たぶん、他の同級生たちと同じ目で、私を見ているのかもしれない。
聞いてもいない授業は、いつの間にか終わっていた。
筆記具を片づけていたら、前の友人が私の肩をトントンと叩いた。
「さ、行こう。」
手を差し出す友人の顔を見つめた。なぜか恥ずかしくて、私はその手を取った。
彼女に導かれて地下の購買部へ向かった。
友人の手は、温かくて柔らかかった。まるで、他人の手を初めて握ったかのような感覚だった。
購買部に着いた。
騒がしい生徒たちの一番後ろに並んだ。
その間も、友人は手を離そうとしなかった。
私はそっと彼女の顔を見上げた。
戸惑いもあったが、不快ではなかった。
むしろ、手から伝わる何かが心地よかった。
「チョップスティック、ピザパン二つお願い。」
後から来たクラスメートが、私にお金を渡しながら言った。
私は思わずそれを受け取ってしまい、戸惑っていると、隣にいた友人が手を差し伸べた。
「ちょうだい。私が買うよ。」
いつもより愛嬌たっぷりに笑う友人の顔を見ながら、私はお金を渡した。
彼女はそれを受け取り、にっこりと笑った。
パンを買って、騒がしい集団から離れた。
私はパン二つをクラスメートに渡した。
それでも、友人はまだ手を離さなかった。
「……お前ら、付き合ってんの?」
クラスメートが、私たちのつないだ手を見ながら呟いた。
その視線に恥ずかしくなり、私は手を離そうとしたが、彼女は手を離してくれなかった。
顔が赤くなって彼女を見た。
彼女はふざけた顔をしていた。
「パン買ってあげたのに、ちゃんと感謝しなさいよ〜」
と、ぶつぶつ文句を言いながらクラスメートと軽口を交わす。
それでも、友人は手を離さなかった。
友人はパンの袋をひとつ私に差し出した。
ようやく、そのときになって手が離れた。
毛布の中から手を出したような、どこか寂しさの残る感覚だった。
私はその袋を開けた。
クラスメートたちはパンを受け取って、購買部から立ち去っていった。
パンに大きくかぶりついた友人が、ふと口を開いた。
「ねえ、ちょっと変じゃなかった? あんたの手を握ったとき、なんかドキドキしたんだ。」
パンを持った手をひょいと持ち上げながらそう言った。
私は恥ずかしくて目を伏せ、パンに集中した。
彼女も、自分の発言が気恥ずかしかったのか、ちょっと変な言い方をした。
「……まあ、なんというか、そんな深い意味はないよ。変な意図があったわけじゃないし。」
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