十一

「きみが上谷さんと一緒に校舎の外にいるのが窓から見えて、つい気になってね」

 困惑する一刀に、枕木先生がほほ笑む。

「それは……監視ですか?」

「いや、ただの純粋な好奇心だよ。生徒の人間関係が気になるのは、教師の性だ。まぁそう取ってもらっても構わないが」

 すこし強い風が、木々を揺らして、かさりかさり、と音を立てる。


「先生はなんで、この島に?」

 思い切って聞いてみることにした。たぶん答えたくなかったら、はぐらかされるだけだろう。この質問だけで、枕木先生の敵意がこちらに向くとは思えない。


「……たいして面白い話でもないよ。ずっと昔、私は教師をしていて、長いブランク期間を明けて、理事長に拾ってもらったんだ」

 確かに以前もそんなことを聞いた気がする。十年振りだ、と。


「でも不思議に思っていることがあります。前に、その……影山くんのことがあった時、先生は、理事長と出会ったのは比較的最近、みたいな言い方をしていましたよね。どこで理事長は先生を知って、何があって、この学校の先生に勧誘されたのか。それが気になるんです」

「きみは冷静だな」枕木先生がちいさく笑った。「あと記憶力がいい。理事長の駒として、きみ以上の適任はいないよ」

「駒、とかやめてください」

 あまりにも嫌な言い方だ。


「すまない。悪気はなかったんだ」本当にそうは思っていないような口調で、先生が言った。「これは私自身に向けての言葉でもあるんだ。私も現状、理事長の忠実な駒でしかないのだから。せっかくだから、昔話でも聞いていかないか。私の部屋で良かったら。そこなら誰かがこっそり聞いているなんてこともないだろう」

 生徒たちの部屋は螺旋状の階段をのぼった三階にあり、先生の部屋はその一階上、四階にあった。学校のスタッフは全員、四階の部屋で寝泊まりをしている。その一室に招かれる。生徒が使う部屋と同規模の部屋だ。枕木先生はその部屋をひとりで使っていることになる。一刀も影山がいなくなって実感したが、ひとりで使うには、かなり贅沢な部屋だ。生徒、先生、学校のスタッフのために、すべての部屋数までは把握していないが、とんでもない数の部屋が用意されている。たった一年のために。殺し合わせる生徒のために。その狂気性に、改めて寒気がする。お金や権力を持ってしまってはいけないひと、というのはこの世に間違いなくいるのだ。


 枕木先生の部屋に入って、まず印象的だったのが、壁際のCDラックだった。あまり聞いたことのないバンド名のCDが並んでいる。一刀の目がラックにいっていることに気付いたのだろう。


「気になるかい」

「知らない歌手名とかバンド名ばかりだったんで……」

「ジェネレーションギャップ、ってやつだな。先生、ショックだよ。彼らはみんな一世を風靡したアーティストたちなんだよ。先生がむかし、好きだったんだ。これでも音楽少年で……」と先生がラックから一本CDを抜き取る。ジャケットの写真には四人組の姿が写っていて、真ん中のマイクを持った男性の血のような真っ赤な髪が、特に印象的だ。「高校時代は、このバンドのコピーバンドをしてたんだ。髪なんか染めたりして、な」

 いまのどちらかと言えば、陰鬱な雰囲気からは想像もできない。ただ髪を赤く染めて、歌っている姿を想像すると、意外と似合っていそうな気もするから不思議だ。


「意外です」

「そうか、そうだよな。まぁ昔の話だよ。曲なんて動画サイトでいくらでも探せるんだろうが。私はやっぱりCDの形で聴くのが好きなんだ。理事長にお願いしたら、沢山、取り寄せてくれたよ。せめてここにいる間だけは、幸せな時間を提供したい。そんな心尽くしなのかもしれない」

「そう思える人間なら、そもそも殺し合いなんてしなきゃいいのに」

 正直な気持ちが漏れる。


「屈折してるんだよ、あれは」思いのほか冷たい口調で、先生がそんなことを言ったので、一刀は驚いてしまった。「私は別に理事長の信奉者でもなんでもないから。拾ってもらった最低限の恩返しをしているに過ぎない」

 枕木先生が笑う。


「恩って……いったい何があったんですか」

「十年以上前、高校の教師をしていた私はひとを殺したんだ」

「ひとを……」

 本当は驚くべきなのだろうが、まったくそういう気持ちになれなかった。影山の死体を運んでいた時のあの冷静な様子を見ると、まぁそうだろうな、とみょうに納得してしまった。


「うん。まぁ、せっかくだからね。私も理事長みたいに、昔話をしたくなったんだ。だけど事情を知る人間……きみぐらいにしか、話せる相手がいなくて。私や生徒以外の学校にいるスタッフでさえも、事情を知る人間はいない。あっ、いや、ひとりいるか。まぁほぼいないんだ。良かったら聞いてくれないか」

 一刀は頷く。

 実際に、どんな過去があったのか。興味があった。


「当時、私はとある私立高校の教師をしていて、ね。田舎の私立高校だ。偏差値で言えば、中の下、くらいかな。比較的平和な学校だった、と思うよ。私の受け持っていたクラスの生徒に別の学校の不良グループのパシリをやっている子がいたんだ。中学時代からの付き合いみたいで、離れたくても離れられない関係だったんだろう。ずっと続く負の繋がりだ。どこかで断たないと永遠に終わらないような。でも関係を切るのは簡単じゃない」

「分かる気がします……」

「彼自身もまったく素行の悪いところがなかったわけじゃないが、基本的に根が荒くれ者ではなかったんだろう。彼が苦しんでることはずっと知っていた」

 この話はどこに向かっているのだろう。理事長の話を聞いた時と同様の居心地の悪さを感じる。


「あの……先生」

「大丈夫。全然関係のない話をしているわけじゃないから。のんびり聞いてくれ。何故か彼は私に懐いてくれて、ね。理由は、私が彼の死んだ兄に似ている、ということらしい。結構、後になって、その話を教えてくれたよ。『俺、先生、って人種は基本、嫌いなんですけど、先生だけは特別なんです。先生には、死んだ兄の面影があって』って。そういうふうに言われて、嫌な気持ちはしない。もちろん彼をひとりだけ特別扱いしたつもりはなかったが、もしかしたら周りにはそう映っていたかもしれない。……だけど彼は死んでしまったんだ」

「死んだ……」

「もちろん私が殺したわけじゃないよ。その不良グループの連中に暴行を受けて……。彼はグループを抜けようとしていたらしい。その話し合いの中で、話がこじれて、というふうに聞いているよ。そいつらは彼の死体を埋めて、だから警察も最初はまったく動かなかったんだ。動き出したのは、私が捕まったあとだ……」

「意味が……」


「行方不明になった彼は、家出として扱われて、誰も真面目に探さなかった。家族さえも、ね。家庭もあまりうまくいってなかったんだ。ただ私はなんとか彼を見つけ出したかった。探偵などしたこともないが、私はあの時だけは、謎を追う孤高の探偵だった……なんて、な。とりあえず私は時に暴力に訴え掛けもしながら、彼の行方を追い、そして彼が死んだことを知った。殺したのが誰かも知った。主犯グループは五人。彼らにミスがあったとすれば、主犯の彼ら以外にも、事件に関わった不良たちが数名いることだ。そいつらの口は思いのほか、軽かった。罪の軽さに比例して。彼の死が確実になった時の感覚は、いまでも覚えている。家族を失ったような痛みがあった。もしかしたらいつの間にか、私の肉体には彼の兄の魂が乗り移っていたのかもしれない。あの五人だけは殺さなければならない。強烈な情動に突き動かされるように、私はひとり、またひとり、とそいつらを殺しはじめた」


「それは……本当の話ですか……」

「さぁ」

「さぁ、って?」

「私自身もよく分からないんだ。いまでも本当に、自分が五人の人間を殺したのかどうか、が。あの記憶の多くには、妄想が混じっているんじゃないか、と。あれはただの夢だったんじゃないか、とそう願っている自分がいるんだ。だけどすくなくとも私は逮捕された。五人のうちのひとりを殺した罪だ」

「ひとり?」

「他の殺人は証拠不十分として、私はたったひとつの殺人に対してのみ、罪に問われた。そして刑務所での生活を終えたのが、それから十年後のことだよ。そんな私に、『教師にならないか』と言ってきた男がいる」

 話が繋がってきた、と一刀は思わず息を呑む。


「それが理事長……」

「仮面の付けた男は、私に言った。『きみほど、私の学校の教師としてふさわしい人間はいない』と。そして彼は続けたんだ。『私はきみが五人の人間を殺したことを知っている。復讐のため、と言いながら、実際は二人目以降は、殺人そのものを楽しんでいたことも。私は、ね。相手の目を見れば分かるんだ』と。それを私は否定できなかった」

「どうして、ですか……」

「だって私自身が何度もそのことを考え、『違う』と言い聞かせてきた感情だからだ。だけど本当は……。藤原くん、きみは私が怖い、かな」

「そんなことは……」

「気を遣わなくても大丈夫だよ」と先生が薄く笑った。


 先生の瞳の奥に澱みを感じた。

 正直に言えば、怖い、と思った。実際に、死体を平然と扱う先生の姿を見ているからこそ、話に奇妙なリアリティを感じた。嘘っぽい話であるにも関わらず。だけど同時に違和感も覚えた。直感でしかないのだが、鵜呑みにしてはいけない、と。


 話を終えて、一刀は枕木先生の部屋を出る。

 窓越しの景色は、一刀の気分と同様に、もう真っ暗だった。

 自分の部屋に戻ると、一刀はすぐにベッドに倒れ込んだ。気付けば、そのまま寝てしまっていたみたいだ。目覚めると、朝だった。一刀は泣いていた。夢を見たのだ。それは生徒たち全員で殺し合う夢だ。最悪の予知夢を見た気分だった。


 そんな日など永遠に来ないでくれ、と一刀は祈っていた。

 だけど祈れば祈るほど、その願いは届かない気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る