Before the Death Game2「沈黙するは私にあり」

「ねぇ、この建物ってどこかに似てるよね」

 藤原一刀の隣でそう呟いたのは、上谷瑠奈だった。これが彼女との初めての会話で、螺旋状の階段を瀬尾以外の生徒全員でのぼっている途中のことだった。車椅子の瀬尾だけは、この学校のスタッフだと思われる男性に連れられて、エレベーターに向かっているはずだ。最初、話しかけられている、と思わなかった一刀は悪気なく彼女の言葉を無視してしまった。「いや、無視しないでよ~」と怒ったような言葉が続いて、ようやく自分への言葉だと認識したくらいだ。


「あっ、すまない。僕に言ってたのか……」

「どう考えてもそうでしょ」

 どう考えてもそうではない、と一刀は思ったが、言い返すと倍になって返ってきそうな気がして、やめることにした。動画配信者『神風ルナ』としてのイメージもそうだが、それを抜いたとしても、強気な雰囲気のある女性だ。


「まぁいいや。もう一度、言うけど、この建物ってなんだか見覚えがあるんだよね」

「そう、かな」

 上谷のほうも深い意味はなかったはずだ。重くのしかかるような雰囲気が嫌で、誰かとしゃべりたい、と思ったのだろう。そしてちょうど隣にいたのが、一刀だった。おそらくそれだけのことだ。


 動画配信者『神風ルナ』は毀誉褒貶の激しい人物、という印象がある。一刀も決してよく知っているわけではないが、多少の知識くらいはあった。先々月の二月末頃に自身のチャンネルにて引退を発表した動画配信者で、初期の頃は年齢不詳、性別不詳で、顔出しもせずにゲームの実況などを中心に行う配信者だったが、顔を出してからは同世代の十代の少年少女への悩み相談を受けるようになり、そこから派生して、政治や芸能に関する話題まで扱うようになった。ゴシップの延長に近しい内容を面白おかしく話す十代前半の少女、というのは、多数から嫌悪され、一部から強烈な熱狂を生んだ。実際、一刀のクラスメートにも憧れている人間は何人かいた。


「気になってるんでしょ。どうして引退した若いカリスマ少女がこんなところにいるのか」

「……それは自分で言うことなのか」

「だって自分で言わないと、面と向かっては誰も言ってくれないだろうからね。きみも言わないでしょ」

 他の生徒も周りにいる中で、平気でこんなことを言って、恥ずかしくはないのだろうか。あるいは平然を装っているのか。何人か聞き耳を立てている雰囲気もある。


「それはそうだけど」

「ということで自分から言ってみた。つねに闘いはこちらからイニシアティブを取らないと」はったりだと暗に仄めかして、上谷が続ける。「そう。私はそうやって生きてきた」

 一刀が初めて彼女の動画を見た時、抱いた印象は、失礼を承知で言うならば、『借り物』だった。そこに『自分』という要素が見えない少女だ。


 話題についての意見を語る時も、どこかすでにある情報を繋ぎ合わせたパッチワークのような。


 そこまで話したところで、彼女との会話は終わった。

 先頭の理事長が、「きみたちの教室はここだよ」と言ったからだ。教室は二階にあった。一刀たちしか現在生徒がいない、ということは『教室』と呼べる場所はここしか存在しないのだろう。


 入ると、どこにでもある教室の風景が広がっている。茶色の床に黒板があり、机が一列四つずつ、四列。計十六個並んでいる。中学の時のように、三十人近い生徒がいる教室ではないので、すこし広々と感じられるが、それ以外は、本当にどこにでもある教室だ。先に着いていた瀬尾はすでに教室の中にいた。


「……と、まぁ私が一緒に付いていくのは、ここまで、です。これからのことは、枕木先生がきみたちに色々なことを教えてくれるでしょう」

 枕木先生……?


 一刀が心の中で首を傾げた時、背後から、「私です」と声が聞こえた。驚いて振り返ると、最後列に今までいなかった細身で長身の男性がいた。髪は長く、暗い雰囲気で、教師と言われなければ、絶対に誰も教師だと言い当てられないタイプの風貌だ。


「枕木先生は以前、公立のとある高校で教師をしていました。すこしブランクはあるのですが、今回、我が校に教師として復帰してもらうことになったんです」

「ブランク?」

 生徒のひとりが呟いた。その呟きが枕木先生に聞こえたのだろう、枕木先生がちいさく笑った。


「ちょっと色々あって、教師になかなか戻れなくて。だから理事長には大変、感謝をしているんです。十年振りの復帰なので、お手柔らかに」


『ちょっと色々あって』『十年振り』


 十年も復帰困難な事情、ってなんだ。おそらく一刀だけでなく、その場にいた生徒全員が思ったはずだ。ただそれをこの場に聞ける者はひとりもいなかった。ここにいる時点で、ある程度、後ろ暗い事情があるなんてこと、みんな分かっていたからだ。好奇心はあっても、質問することで、矛先が自分に向くのは嫌なのだ。特にこの場にはすでに、全員の個人情報を握っている、と思われる理事長がいる。


「じゃあ、私は理事長室へ戻ります」と理事長が言った。

 理事長室……?


 どこにあるんだろう、と思った一刀の内心を読んだわけではないのだろうが、「理事長室は最上階にあります。もし悩みなどがあったら、ぜひ来てください。きみたちの悩みを一緒に解決してあげるのも、理事長としての大切な仕事ですから。see you soon!」


 そう言うと背中を向けて、彼は行ってしまった。正直、行く気にはなれない。というよりは、あのひととふたりっきりの状況は嫌だ、と一刀は思った。

「さて、ではみなさん」と一刀の思考を戻すように、枕木先生の澄んだ声が響いた。「それぞれの席に座ってください」


 机の表面に名前の書いたテープが貼られている。席は指定されているのか。『藤原一刀』と書かれた机は、窓際の最後部だ。ほっとする。一番前の席はなんとなく嫌だ。その一番前に選ばれていた四人は、石島、九段、上谷の三人と、まだ名前を知らない生徒だ。たったそれだけのことなのに、意図的なものだろうか、と想像してしまうのは、さすがに考えすぎだろうか。


 しーん、と教室は静まり返る。


「では、これからオリエンテーションの時間です。といっても、ここは他の学校と比べて、とても自由な空間です。たとえば机の横にかかっているカバン」

 枕木先生の言葉につられるように、一刀は机にくっついたフックにかけられたカバンを見る。黒い革製の手提げカバンだ。「それはあなたたちにプレゼントします。この学校内で寝泊まりするきみたちの部屋には、教科書類も一通り揃えています。それもきみたちへのプレゼントです。欲しいかどうかは分かりませんが。理事長から聞いたかと思いますが、きみたちが必要とするすべてのことを、こちらは叶える用意があります。この島から出ること以外は」


「なんで私たちに、ここまでしてくれるんですか」

 それを聞いたのは、明野だった。彼女の柔らかな口調は、ぴりぴりした雰囲気の中にあって、周囲を落ち着かせる力がある。一瞬だけだが場が和んだような気がした。いま思えば、中学の時も、彼女の声音は何度もトラブルを救ってくれた印象がある。再会したことで、当時の彼女との記憶がすこしずつ戻ってくるのを感じる。


「それを聞くならば、理事長に聞くべきでしょう。私はただ雇われてるだけにすぎませんから。ただ……」

「ただ?」と明野が聞く。

「きみたちの命を重い。その命の対価と考えるならば、このくらいは安い、と思うのですよ。私は。一生の価値を値段にすると、一人何億円と掛かるんですから。それなりにきちんと生きれば」


 きちんと、の部分だけ、枕木先生の口調は強くなった。

 しかし、理事長も枕木先生も、やけに『命』の話をするのが気にかかる。道徳の教育でもするのならば分からないでもないが、いまはただのオリエンテーションの時間だ。とはいえ、普通の学校の感覚で考えることこそが間違っているのかもしれないが。


「生きていれば、これから色んなことが起こります。だけど死んでしまえば、これから起こるはずだったすべてのことが、何も起こらなくなります。というわけで、みなさんは何があっても、まず自分の命を守ることを心がけましょう」

 死んでもいい、と心のどこかにそんな気持ちを抱いて、一刀はこの場所にいる。

 心を見透かすように言葉に、一刀の胸はやけにざわついた。


「話を戻しましょう。きみたちは自由です。授業は基本的に全教科、私が教えます。とはいえ、別に私の授業を聞く必要はありません。別に来たくなかったら来なくてもいい。一切授業を受けなくても、きみたちの進級にも卒業にも何も影響はありません。誰も授業に来なかったら、私は授業をしないだけです。部屋でテレビでも見ています。きみたちは部屋の外に出なくてもいいし、島の中ならどこへでも好きなところに行っても構わない。野外生活を送ったところで、咎める者は誰もいない。夢のような学校です。そう、正直、私はこれを伝えるだけでいいのです。これでオリエンテーションは終わりです。まぁきみたちが望むなら、学校内の施設を案内しますが、私も最近来たばかりなので……。おそらく役に立たないと思います」


 学校の先生とは思えない枕木先生の不思議な言葉を、一刀はぼんやりと聞いていた。


 何故だかふと、もうこの島から永遠に出られないのでは、と思った。

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