或る病院の話
達見ゆう
前編
私は看護師です。そして、病院には必ず起こると言われる不思議な現象が起こるという話はどこもありますが、私が経験したのはそれとは別の意味での不思議なものだったのです。
それはある病院に配属された時の出来事でした。
「タッタッタ……」
夜勤中の病院の廊下に響く足音。私は念の為、ナースステーションから廊下に出て確認に行きます。ここは足腰の弱い、または終末期のお年寄りばかりの病棟なので患者が走るのはあり得ないとは思いつつ、他の階から来た認知症の患者の徘徊の可能性も捨てきれないからです。
「岡山さん、どうだった?」
同じ当直の松本さんが尋ねてきます。私はいつもの返事をしました。
「やはり、誰もいませんでした」
「だよね。それでも師長は毎回確認しろというから行くけど廊下をチェックしても、いつも誰もいない。怖いを通り越して、仕事の邪魔に思えてきたわ」
ややウンザリしたように松本さんがぼやきました。私達は人の死を看取ることもありますし、どこの病院でもこういうオカルトなことは大なり小なり起きます。私も当初は怖かったのですが、ここまでくると確かに松本さんと同じように怖い気持ちより仕事を中断されることに対するうんざりした気持ちの方が強くなります。
その時、内線が鳴りました。ちょうどそばにいた松本さんがサッと受話器をとります。
「はい、南病棟三階です。はい、はい、え? そちらに空きがない? 応急で……はい、分かりました」
受話器を置くと松本さんが言いました。
「盲腸で救急搬送された子どもの患者なんだけど、小児科のベッドがいっぱいだからこちらに入院させるとのことです」
「え? 満床なのに搬送されてしまった?」
「今、インフルエンザも流行っていてね。救急搬送前は空いていたのが到着直前で車でやってきた別の子どもが緊急入院になって満床。それに盲腸の患者は薬で散らせそうだから一晩くらいならと言うわけ」
「ああ、そういうことですか。散らせるなら他の病院へ搬送すればいいのに」
「まあ、そう言わないの。たらい回しにするのは救急車を使える時間が減るし、世間からはバッシングされるから」
「それでも……。まあ、盲腸ならばここの病棟に感染症が広まる心配無いですし、仕方ないですね」
しかし、その子……仮に名前をユカちゃんとしましょう。搬送されて診察した結果、思ったより症状が重かったので手術して一週間ほどの入院になりました。そうなると簡単にベッドは移せません。周りに子どもがいないから寂しい思いをさせないかと心配したものです。
手術直後こそは当たり前ですが、大人しく寝ていました。そのうち身体が起こせるようになると退屈そうにしてました。親が厳しくてテレビもゲームもダメとかで、親が持ってきたプリントで折り紙する始末です。
「お母さんったらお見舞いにプリントとドリルばっかりなんだもん。一週間だからテレビもダメというし、つまんない」
ユカちゃんはふくれっ面してぼやきました。
「まあまあ、お母さんなりに勉強を遅らせてはいけないと心配しているのよ。折り紙したいならせめて折り紙用のものをねだりなさい。ところで何を折っているの?」
私はなだめますが、ユカちゃんは機嫌が悪いままです。
「白い紙だから白いヒスイ。真珠にも見えるね」
どう見ても紙を丸めただけにしか見えません。私がなんと言ったものかと考えあぐねていたら、ユカちゃんの方から話題を変えてきました。
「おしゃべりしたくても皆、寝ているからできないしつまんない」
「ここは身体のの弱いお年寄りが多いから昼も眠らなくてはならないのよ。ユカちゃんは起きられるようになって良かったわよ」
内心では冷や汗を書きながら、まさか終末期のお年寄りとは言えないので柔らかくぼかして諭します。
「そういえば、この病棟にも同じような子どもがいるの? 夜中に走る音がするけど」
私はまたもギクリとしました。この子にも聞こえてしまっていたのか、どう取り繕うかと悩んでいた時、ユカちゃんは言いました。
「あの足音、絶対に子どもの足音だよね。看護師さんやお医者さんは静かな靴を履いているけど、音の大きさやリズムからして絶対に子どもだよ。なんであの子だけ走ってるの、ずるい」
ユカちゃんは何か勘違いして拗ねています。そのまま勘違いさせたままがいいのか、真相を教えたらいいのか私は悩みましたが、すぐに退院するから真相は教えませんでした。どちらにしても患者に余計なことは言えません。
その夜、また走る音がしたので、廊下をチェックしていたら、305号室からすごい形相でユカちゃんが飛び出してきました。
「ユカちゃん、急に起き出してはダメよ。傷口が開いてしまうわ」
私がたしなめるのも聞かずにユカちゃんが興奮して聞いてきます。
「看護師のお姉さん、今、あの子が通ったよね?! 音がしたもの」
私はまたドキリとしました。どう言えばいいのか答えあぐねているとユカちゃんは思いもかけないことを言い出しました。
「そっか、すばしっこいから私が廊下に出た時は階段を既に降りたのね。絶対に見つけて勝負するんだから」
「ユカちゃん、抜糸していないからまだ走れないわよ」
「じゃあ、勝負はしないで、私が走っちゃダメと注意する!」
「そうじゃなくて、他の患者さんの迷惑になるから今夜は寝なさい!」
私がピシャリと言うとユカちゃんは「はあい」とふてくされたように返事してベッドに戻りました。
何とかごまかせました。この子がいるのはあと三日です。それまでは勘違いさせたままにしておこう。変に幽霊と言って怖がらせるのは良くない。
と、思っていましたが、この子は斜め上を行く子どもでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます