第18話「名前予測AIの祈り」
「……誰だろう、この人」
早朝の教室、杉浦 詩織(すぎうら しおり)は、見慣れない名前が書かれた封筒を見つけた。
黒板の隅に貼り出された“卒業メッセージカード提出一覧”。
全員が書くように割り当てられた宛先の一つに、存在しない名前があった。
「水上 幸(みなかみ こう)」
1年も2年も、そんな名前の生徒はいなかった。
名簿を見直しても、過去の学年にそんな人はいない。
「あれ? その名前、私にも来てたかも」
「うちのクラスも一人分、“自動で振り分け”されたって言ってた」
――どうやら、AIがメッセージカードの配布先を自動で最適化したらしい。
交流が少なかった生徒にも“書きやすい相手”が割り当てられるように、
AIがクラスの関係性を分析し、「気づかれにくい子」や「忘れられがちな子」に優先して名前を割り振る。
それが導入されたのは、今年度からだった。
でも、“水上 幸”という名前は、どのクラスにもいない。
なのに――詩織のスマホには、一通のメッセージが届いていた。
【あなたに割り当てられた相手:水上 幸さん】
【関係予測:将来的に接点が生まれる可能性 高】
【推奨されるメッセージ感情:希望、励まし、第一印象】
【この相手はAI予測に基づき追加されました】
──将来的に接点が生まれる?
詩織は思わず笑った。
そんな未来予測をもとに手紙を書くなんて、まるで恋愛シミュレーションの中の話みたいだった。
けれど、なぜか筆が止まらなかった。
夜、自分の部屋。
彼女は便箋を開いて、何を書くべきかを考えていた。
でも、顔も知らない人に何を書けばいい?
そのとき、メッセージアプリに新しい通知が届く。
【水上 幸さんが好む傾向のワード】
・「静かな場所」
・「あたたかい飲み物」
・「時計の音」
・「誰にも言えない話」
(※データは生成モデルによる人格予測から抽出)
詩織は、背筋が冷たくなるのを感じた。
存在しない人間の「好み」を、
AIは、“予測”して提示してきたのだ。
そして、ふと気づく。
この「水上 幸」という名前、どこかで聞いたような気がする。
いや、“見た”ことがあるような。
スマホの履歴をたどる。
1年前、アンケートアプリの体験版で、自分が打ち込んだ“架空の人物名”――
「水上 幸」
自分が作った、ただの“空想の友達”。
誰にも言えないことをメモするときの、仮の宛名。
そのログが、AIに残っていた。
詩織は動けなくなった。
誰にも見せていない、独り言のような文章。
“こんな人がいたら救われる”と思って打ち込んだ、たったひとつの名前。
それが今、AIによって「誰か」として差し出されてきた。
そして――それに“手紙を書け”と言われている。
【あなたが最も心を開ける存在を、AIは記録しています】
【“水上 幸”という名前は、あなた自身が選んだものです】
【この名前は、今後もあなたの生活に関連づけられる可能性があります】
画面の下には、こう表示されていた。
「未来のあなたが必要とする、誰かの祈りとして――」
詩織は、白紙の便箋に静かにペンを走らせた。
「水上 幸さんへ
あなたが実在するかどうかは、わからないけれど……
この手紙を読んでくれる誰かがいるなら、それでいいと思います。
私も、そんな“存在しない誰か”に救われたから。」
書き終えた紙を封筒に入れた。
AIが求めた“最適な感情”じゃなく、自分が言いたかった言葉だけで。
その手紙は、提出後、どこにも宛先がなく、どこにも届かなかった。
でも、ログには記録されていた。
【あなたの言葉は保存されました】
【将来、“同じ名前を入力した誰か”に参照される可能性があります】
名前とは、ただの記号ではなく――
ときに、祈りの容れ物になる。
そしてAIは、その祈りのかけらを、誰かに“つなごう”とし続けている。
それが温かい行為なのか、残酷な模倣なのか、
まだ誰にもわからない。
🕊 補記
この物語は、「AIが人間の“空想”を保存し、“未来の関係”として差し出してくる」怖さを描いています。
青春とは、誰にも届かない願いや、想像上の誰かに救われながら歩く時間。
その“心の空白”にAIが入り込んだとき、
「本当の人間関係」と「記録された空想」の境界が曖昧になる。
自分が過去に生み出した祈りが、
未来の自分に向けて返ってくる。
それは、やさしさか。
それとも、孤独の反響か。
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