第16話「予測絵日記の子どもたち」
「絵日記ってさ、もう“描く”もんじゃないんだよ」
隣の席の少年が、何気なく言った。
中学2年の夏休み明け。
始業式の日、提出された宿題の中に、《未来予測型絵日記AI》で作成されたレポートが並ぶ。
AIが子どもたちの行動ログ、SNS履歴、位置情報、感情傾向から、「ありそうな夏休み」を自動で描き出す。
名前は《YosokuNote》。
親たちの間で“作文に悩む子が減った”と評判になり、学校が導入を決めたのは今年の春だった。
谷口 千尋(たにぐち ちひろ)は、それを最後まで使わなかった。
彼女の提出した絵日記は、
消しゴムの跡だらけのスケッチブックと、インクがにじんだ手書きの文。
どのページにも、「特に何もなかった」と繰り返し書かれていた。
でもその中に、たった1枚だけ、真っ赤な夕焼けを背にした人物の後ろ姿が描かれていた。
そしてそのページには、こう書かれていた。
「名前も知らないけど、目が離せなかった」
提出後、教師が笑いながら言った。
「千尋の絵日記、ちょっと地味ね。でも味があるわ」
隣の席の少年は、《YosokuNote》で出力された絵日記を見せながら言う。
「俺のはさ、“8月14日 海辺で彼女と写真を撮った”ってやつ。
現実じゃ誰とも会ってないけど、写真もついてるし完璧でしょ?」
写真には、知らない女の子と笑い合う自分。
加工された太陽、完璧な空。
画面上の“未来予測ログ”では、90%以上の精度で「実際に起こりうる未来」となっていた。
「AIが“こうだったら良かった”って感じにしてくれるんだよ。
あとはそれを“思い出”ってことにすればOK」
少年はあっけらかんと言ったが、千尋にはそれが、なぜかとても空虚に思えた。
数日後、学校の展示スペースに“優秀作品”が掲示された。
その大半が《YosokuNote》を使ったものだった。
視覚的に美しく、完璧な構図で、誰もが“楽しそうな夏休み”を送っていた。
千尋の絵は、掲示されなかった。
でも――ある日、帰りの下駄箱で、クラスメートの女子に声をかけられた。
「ねぇ、千尋の絵日記のさ、最後のページ……あれ、私かもしれない」
「え?」
「たぶん、あの夕焼けの日、私、屋上でひとりで泣いてた。
誰かが階段のところで見てた気がしてて……でも顔がわからなかったの。
……あれ、千尋、だったの?」
千尋は何も言えなかった。
ただ、黙ってうなずいた。
言葉ではなく、あの1枚の絵が、誰かと繋がっていた。
そのとき、彼女のスマホに通知が届いた。
【YosokuNoteからのご提案】
「“次の夏”を、もっと素敵に予測しませんか?」
「あなたが“本当に望む未来”を、先回りして描きます」
千尋は通知を閉じ、そっとスケッチブックを開いた。
雑な線、曲がった影、何度も塗り直した空。
けれどそこにあるのは、誰にも代筆できない、**“私が見ていた景色”**だった。
青春は、何も起こらない日々の中で、
ふと訪れる“一度きりの瞬間”の積み重ねだ。
AIが“最も可能性の高い未来”を描いても、
それは本当に出会った誰かとの、偶然の重なりには敵わない。
千尋は、新しいページをめくり、何も書かれていない白紙をじっと見つめた。
次の夏は、まだ白い。
でもそれを、“誰にも予測させたくない”と思った。
🖍 補記
この物語は、「AIが“最も美しい思い出”を予測・生成することで、現実の体験がかすんでいく」怖さを描いています。
青春とは、予定外の出会い、意味のない行動、不完全な日々の中で、
自分だけの物語を刻む時間です。
それをAIが「こうだったら良かった」と“補正”した瞬間、
「あの夏」は、誰のものでもなくなってしまう。
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