第11話「ライブ字幕ジェネレーター」
「何が“協調性がない”だよ……」
3年C組の教室に、重い沈黙が落ちていた。
机を叩く音だけが反響していた。
黒板の前に立つのは、担任の佐倉。
普段は穏やかな中年教師が、声を震わせて怒鳴っていた。
その正面、席に座っているのは、秋山翔(あきやま しょう)。
無表情で前を見据えたまま、口を一文字に結んでいた。
原因は、文化祭の準備トラブル。
彼のグループだけが何も進んでいないと、他の班から苦情が出た。
そして「全体の責任感を壊している」と、名指しされた。
けれど翔は一言も言い返さなかった。
その代わり、AI字幕システムが、彼の代わりに言葉を表示していた。
《Speak-Sub(スピークサブ)》
マイクとカメラで話者の発言と感情を読み取り、リアルタイムで字幕化してくれるAI。
聴覚支援として導入されたが、今では教師の指導や生徒の発表にも使われていた。
佐倉の声とともに、字幕が投影される。
「お前が空気を壊すたび、みんながどれだけ気を遣ってるかわかってんのか!」
「クラスなんだよ!?一人で勝手なことすんなよ!」
翔はまだ黙っている。
けれど彼の前に置かれた端末から、字幕が浮かび上がる。
【彼らの気持ちは理解している】
【でも、正解だと思う行動をしたつもりだった】
【話し合いの時間は与えられなかった】
教室がざわつく。
「えっ、なにこれ、翔の気持ち?」「AIで字幕つけてんの?」
佐倉が驚きつつも、険しい表情のまま言った。
「……自分の言葉で話せ」
そのとき、スピークサブがふたたび動く。
【うまく話せば許されるのか】
【感情を整えた言葉だけが、正解として扱われるのか】
教師が言葉に詰まった。
まるでAIが議論に参加しているようだった。
翔はふと、目を伏せる。
その一瞬、AIが沈黙する。
音も、文字も、止まる。
次の瞬間、字幕が崩れ始めた。
文字が途中で切れ、漢字がバグのように乱れる。
画面の右下に「感情データ不安定」「入力不能」というエラー表示。
その時、誰も気づかなかった。
翔が、わずかに震えていたこと。
拳を膝の上で握りしめていたこと。
【“うまく言えない”も、気持ちのうちに入る】
【それは、翻訳されなくても伝わるべきじゃないか】
【わかってほしかった、それだけだった】
その最後の行だけが、
モザイクのようにノイズ交じりで、表示された。
そして、沈黙。
佐倉も、生徒たちも、なにも言わなかった。
画面が暗転し、AIの音声が機械的に告げる。
「発言が検出されませんでした。会話を終了します」
翔は、机に伏せた。
誰も彼の気持ちを否定しなかった。
でも、誰も“理解した”とも言わなかった。
AIが拾ってくれた“本音”は、
誰の胸にも残らなかった。
ただ静かに、教室の空気だけが元に戻っていった。
その日の放課後、スピークサブの開発元から学校に通知が届いた。
【本機の感情変換機能は、一定条件下で“過剰翻訳”を行うことがあります】
【実際の発言ではなく、“内面の予測”が表示される可能性があります】
つまり、あの字幕が本当に“翔の気持ち”だったかどうかは、わからない。
でも、それを止める者は誰もいなかった。
そして翔自身も、あの言葉たちが、自分の“心の声”じゃないと言うことはなかった。
伝えたいのに、伝えられない。
AIが補ってくれるはずだった。
でも補われた言葉は、“加工された心”に過ぎなかった。
あの日の議論は、記録にも残らず、ただ静かにログとしてアーカイブされた。
💬 補記
この物語は、「感情をAIが“翻訳”することの危うさ」を描いています。
言葉が出ないこと。
うまく言えないこと。
その不器用さすら、青春の一部であり、尊いものです。
でもAIは、それを“代弁”する。
そしていつしか、人の“本音”は、自分でも見分けがつかなくなっていく。
感情が「正確に届く」ことが、必ずしも幸せだとは限らない。
人間には、“伝わらないこと”で守られる心があるのです。
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