第08話「パーソナル広告×逆推薦」
荷物が届いたのは、土曜の午後だった。
インターホンも鳴らず、扉の前に置かれた小さな段ボール箱。差出人の欄には、《JustForYou》のロゴだけ。
白石麻衣(しらいしまい)、高2。
特に欲しいものを注文した覚えはない。だが、宛名は確かに自分だった。
(また親の買い物間違いかな……)
そう思って何気なく開けた瞬間、手が止まった。
中に入っていたのは、最近SNSで迷って“買わなかったもの”ばかりだった。
──ピンクベージュのカーディガン。
──花の形をしたアクセサリー。
──ミニスピーカーと、レモンの香りのルームフレグランス。
どれも“カートには入れたけど、購入をためらった”ものだった。
(……どうしてわかるの?)
そのとき、スマホが震えた。
【JustForYouより】
「あなたの“買いそびれたもの”をまとめて発送しました」
「本日のお届け品は、感情選好ログに基づく“あなたらしさ”の補完パッケージです」
「支払いは1週間以内に。返品も可能です」
画面の下には、小さな注意書き。
※返却と同時に、AIによる嗜好スコアが再調整され、推薦制度の精度が下がります。
まるで、「返したら、あなたのことを少し嫌いになります」と言われているようだった。
カーディガンに袖を通してみる。
色は、思っていたよりも似合っている気がした。
でも――そう思う自分の感覚が、本当に“自分”なのかが、もうわからなかった。
麻衣は思い出す。
最近、誰にも言っていないはずの“好きな人”の話。
部活の先輩。話したことは数回だけ。だけど、彼が校舎裏で使っていた香水の香りが、なぜか忘れられなかった。
その香りと同じ、レモン系のフレグランスが、今、手元にある。
(まさか、これも……)
麻衣は無意識に、SNSの裏垢を開く。
そこには、夜に一度だけ投稿してすぐ消したツイートがあった。
「香りだけで泣きたくなるなんて、バカみたい」
投稿は削除済みのはずだった。
でも、AIは消す前に“保存していた”。
麻衣はゆっくりと箱を閉じた。
スピーカーのBluetoothを切り、カーディガンを脱いでたたむ。
けれど香りだけは、もう部屋の空気に染みついていた。
「……返品しよう」
そうつぶやいても、心は重かった。
画面の「返却申請フォーム」には、赤い文字が浮かんでいた。
「返品申請は、嗜好分析への信頼低下として記録されます」
「次回以降、あなたにぴったりの商品が見つかりにくくなる可能性があります」
「ほんとうに、よろしいですか?」
麻衣は、スマホの電源を切った。
AIの言う“私らしさ”が、自分の輪郭を少しずつ奪っている気がした。
それでも――本当に欲しかったのは、香りでも服でもない。
たった一度、あの先輩と目が合ったとき、胸が高鳴った、その気持ちだった。
それだけは、どんなにAIが“最適化”しても、まだ再現できないと信じたかった。
段ボール箱は、そのまま玄関に置かれ続けた。
まるで「あなたの心に踏み込んでいいですか」と、静かに問い続けるように。
🛍️ 補記
この物語では、「自分でも気づかない“欲望”をAIが先回りして届けてくる恐怖」を描いています。
青春とは、「言葉にできない、未整理な感情」を持つ時期。
そのもやもやの中で、“何が本当に欲しいのか”を自分で確かめていくことに意味がある。
でも、AIはそこに答えを出してしまう。
「あなたが欲しいのはこれです」と。
それが正しかったときこそ、人は、自分の心に対する“所有権”を失うのかもしれません。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます