🌑第9話「喪失の詠唱」

――言葉をなくした日。それでも、“声”は消えなかった。


その知らせは、構文訓練の最中に届いた。


「春人、電話……着信、すごいわよ」


詩織が気まずそうにスマホを差し出した。

画面には、実家の番号と「着信:13件」の表示。


胸の奥が冷たくなった。

僕は、手が震えるのを感じながら、部室の隅で通話を取った。


「……春人? ばあちゃんが……急に……昨夜……」


母の声は、いつもよりずっと小さくて、かすれていて、現実味がなかった。


その瞬間、すべての音が遠のいた。


構文の詠唱も、AIの解析音も、蝉の声も、ぜんぶ、ただのノイズになった。


祖母は、僕にとって「言葉の原点」だった。


小さな頃、内気でうまく喋れなかった僕に、彼女はいつも詩を読んでくれた。


「言葉がね、届かないことがあっても、

 想いは、ちゃんと残るんだよ」


そう笑ってくれた祖母の声は、僕が詩を書くようになった理由そのものだった。


それなのに。


お通夜の帰り道、車の窓から見た夜空は、なにも言ってくれなかった。

なにも、応えてはくれなかった。


帰京してからも、僕は部室に顔を出さなかった。

ノートを開いても、ペンが進まない。


言葉は、浮かばなかった。

世界から、色が消えてしまったようだった。


それでも、三日後。


僕は、ふらりと校舎裏の桜の木の下に立っていた。

あの日、初めて詩を声にした場所。


ポケットには、祖母がくれた手紙が入っていた。

そこには、乱れた文字で、たった一行だけ。


「春人のことばは、やさしい風のようです。」


涙が、こぼれた。


そして、口が、自然に動いた。


「届けたい人は、もういないのに

 言葉があふれて

 伝えたい気持ちは

 まだここにあるのに

 もう聞いてもらえないって

 それが、いちばん苦しいんだ」


風が、そっと吹いた。


桜の枝先が揺れて、ひとひらの葉が落ちる。


それは、詩でも構文でもなかった。

ただの“祈り”だった。


でも、その瞬間――AIサポート端末が微かに光った。


未登録構文反応:感情共鳴型/名称未設定/現象レベル:E+


静かな風が、手のひらにそっと触れた。


数日後、部室に戻った僕を、皆はいつも通り迎えてくれた。


「……戻ってくるって、信じてたよ」


涼が言い、カノンはそっと手を握ってくれた。

蓮先輩は何も言わず、ただ「詠唱ノート、新しいページ開いといたよ」とだけ言った。


詩織は、少しだけ目を潤ませながら、ノートを一冊、そっと差し出した。


「“言葉にできない想い”を、書き留めるためのノートよ。……魔法にならなくても、いいの」


僕は、その表紙に指を添えて、静かにうなずいた。


言葉を失っても、

想いは、消えなかった。

声にならなくても、

胸の奥には、まだ、届いていない言葉がある。


そして、僕はゆっくりと、ペンを走らせた。


▶次話 第10話「詩織の過去、継がれた言葉」

綾瀬詩織が語る、構文の原点。彼女が言葉にこだわる理由と、“ある約束”――

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