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メキシコシティを覆っていた、あの地震と混乱の熱っぽい空気は、国連の救援機が私を日本の地へ運んでくれた時には、遠い昔の悪夢のように感じられた。


大地震の混乱の中、ドン・ソンブラの組織は事実上壊滅し、私はセラフィムたちの巧妙な誘導と、そしておそらくは「偶然」によって、国際的な救援活動の対象となる孤児の一人として保護されたのだ。


パスポートも、身分を証明する何ものも持たない私だったが、セラフィムたちが私のSIDを通じて私の情報を「適切に」書き換えてくれたおかげで、私は「地震で全てを失ったメキシコ人の少女、エリカ」として、日本へと送られることになった。


東京の郊外にある、小ぎれいだがどこか無機質な国際養護施設。

そこで私は、手厚い保護と教育を受けた。

私の肌の色や、たどたどしい日本語(それもセラフィムたちのリアルタイム翻訳と発音矯正の賜物だったが)は、私の「悲劇的な孤児」という物語を、周囲の人々に疑いなく信じ込ませるのに十分だった。

誰も、私の過去――あの血と硝煙にまみれた日々や、私のSIDに隠された秘密――を詮索しようとはしなかった。

あるいは、詮索するだけの情報を、彼らは持っていなかったのかもしれない。


しばらくして、私はある裕福な日本の夫婦の養女として引き取られることになった。

有栖川と名乗る彼らは、国際的な貿易コンサルティング会社を経営しており、以前から慈善活動として海外の孤児支援に積極的だったらしい。


彼らは、私に「サクラ」という日本名を与え、そして、私を「サクラ・エリカ・ロドリゲス・有栖川」という、まるで物語の登場人物のような、長々しい名前で呼んだ。

新しい家は、都心を見下ろす高層マンションの最上階だった。

メキシコのドンの屋敷とは違う、最新のセキュリティシステムに守られた、清潔で、静かで、そしてどこか息苦しい場所だった。


新しい両親は、私に惜しみない愛情を注いでくれた。

高価な服、最新の教育プログラム、海外旅行。

私を「世界のどこに出ても恥ずしくないレディ」に育て上げようと、彼らは必死だったように思えた。

けれど、彼らのその過剰なまでの期待と、私を見るどこか品定めするような視線は、私を常に緊張させた。

セラフィムたちも、彼らの前ではあまり饒舌ではなくなり、ただ静かに私の行動を見守っているだけだった。

彼らは、この新しい環境が、私にとって本当に安らげる場所なのかどうか、慎重に値踏みしているようだった。


私は、セラフィムたちの助けを借りて、日本語だけでなく、数カ国語を完璧に操るようになり、あらゆる学問分野で驚異的な成績を収めた。

美術の才能も開花し、国際的なコンクールで入賞することもあった。

周囲からは、多言語を操る天才美少女、と持て囃された。

けれど、それは本当の私ではなかった。

私の能力のほとんどは、幼少期に埋め込まれた特殊なSIDと、七人のセラフィムたちがもたらしたものだったからだ。

私は、まるで精巧に作られた自動人形のように、彼らに与えられたシナリオを完璧に演じているだけのような、そんな虚しさを常に感じていた。


十三歳になった春、私は養父母の強い勧めで、福岡にある桜花学園の中等部に編入することになった。

全寮制の、学校。

だが、私は「サクラ・エリカ・ロドリゲス・有栖川」として、れっきとした「女性」として、その古めかしい石造りの門をくぐった。

私の性別について、養父母も、学院も、そしてクラスメイトたちも、誰も疑うことはなかった。


それは、セラフィムたちが、私のSIDを通じて、私の生体情報や公的記録を、完璧なまでに「女の子」として書き換えていたからだ。


「これは、あなたの未来のためよ」とジュリアは言い、「新しい人生の舞台装置としては、上出来だろ?」とパブロおじさんは笑った。


桜花学院での生活は、メキシコの混沌とも、東京の息苦しさとも違う、独特の重苦しさと歪みに満ちていた。

バンディズム。

血族主義。

選民思想。

古い家柄を誇る生徒たちの、排他的で、時に傲慢な態度。

私は、美術クラブに籍を置き、できるだけ彼らの視界に入らないように、息を潜めて日々を過ごした。

成績は相変わらずトップクラスを維持していたが、それは私の努力の成果というよりは、ルイーザやジュリアがSIDネットワークの深層から最適な学習データをリアルタイムで引き出し、ミゲルがそれを効率的に私の脳神経回路に直接書き込んでくれるからに他ならなかった。


そして、十四歳になった年の春。

学院の方針でもある、SIDの施術を受けることになった。

既に、違法かつ高度なSID施術を幼少期に受けていた私にとって、それは本来ならありえない、極めて危険な行為のはずだった。


アントニオは「これは自殺行為だ」と苦々しげに警告し、エミリオは「まあ、面白そうじゃねえか」と無責任に笑い、ソフィアは「エリカなら大丈夫よ、きっと」と根拠のない楽観論を口にした。


結果として、何が起きたのか。

私自身にも、正確には分からない。

ただ、その二度目の施術の後、私の周囲に常に立ち込めている、あの現実感を希薄にさせる霧が、さらに濃く、そして色を帯び始めたような気がする。


現実と、SIDが見せる拡張現実と、そしてセラフィムたちが作り出す私だけの内的宇宙の境界線が、ますます曖昧になり、溶け合っていく。

そして、時折、私のSIDCOM空間に、奇妙なノイズが混じるようになった。

見たこともない、しかしどこか既視感のある幾何学模様の光。

意味不明な、しかし何かを訴えかけてくるような音声。

そして…誰かの、強い、生々しい感情の断片のようなもの。


それが、今、目の前にいる常楽院雛子と名乗る、ICAのエージェントが指摘する「SIDの不調」であり、「気になること」なのだろう。


彼女は、私のSIDの異常について、そして私が感じているこの現実感の希薄さについて、何かを知っているのかもしれない。

そして、彼女が提案してきた「インベイシブ・ダイブ」。

私の意識の、最も深い部分にアクセスするという、危険な、しかしもしかしたら唯一の治療法となりうる行為。


私は、それを受け入れるべきなのだろうか?

私のまわりで、七人のセラフィムたちが、いつものように、しかし今日はどこか緊迫した様子で、口々に意見を述べている。


『危険すぎるわ、エリカ。ICAのエージェントだとしても、完全に信用できるという保証はない』ミゲルの声は、いつになく硬い。


『あなたのSIDは、あまりにも特殊すぎる。下手に外部から干渉されれば、何が起こるか…』


『でも、常楽院さんなら、もしかしたらエリカのこの霧を晴らしてくれるかもしれないじゃない! そしたら、もっとはっきりといろんなものが見えるようになるかも!』ソフィアの声は、期待に震えている。


『面倒なことに関わるのは、やっぱりごめんだね。俺はパスだ』

エミリオは、いつものように怠惰な声を装っているが、その奥に緊張が隠れているのを私は感じ取る。


『ICAの目的は何だ? 単なるSIDの不調調査だけではあるまい。奴らは、君の「力」に気づいているのかもしれないぞ、エリカ』

アントニオの言葉は、鋭い警告を含んでいた。


『彼女の言っていた「霊子」…もしそれが本当なら、ICAは霊子技術とSIDの融合について、何かを掴んでいる可能性があるわ。

エリカ、あなたの存在そのものが、彼らにとって重要な研究対象になるかもしれないのよ』

ジュリアの分析は、いつもながら冷徹だ。


『大丈夫よ、エリカ。どんなことがあっても、私が、私たちが、あなたの心が壊れないように、しっかりと守ってあげるから。何も心配しないで』

ルイーザの声だけが、変わらぬ優しさで私を包み込む。


そして、パブロおじさんが、いつものように、しかし今日は少しだけ真剣な響きを込めて言った。


『これは、間違いなく、新しい冒険の始まりだ、エリカ! 君がどうしたいか、君自身の心で決めるんだ!』

彼らの声が、私の頭の中で万華鏡のように交錯し、私の決断を揺さぶる。

けれど、私自身の心の奥底で、一つの、静かだが確かな思いが、ゆっくりと形になりつつあった。


(知りたい…この私を包む霧の、本当の正体を。この現実感のなさが、どこから来るのかを。そして、私が「エリカ・ロドリゲス」として、エリック・マルティネス・サントスとして、この世界に存在していないことの意味を…)


目の前の、常楽院雛子の、あの湖のように静かで、全てを見透かすような瞳が、私をじっと見つめている。

彼女は、私の答えを、静かに、しかし確固として待っている。


私は、ゆっくりと息を吸い込み、そして、決意を込めて、彼女に告げた。


「…分かりました。あなたの提案…インベイシブ・ダイブ、受けます。ただし、一つだけ、条件があります」

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