Share a quarter -貴方のための唄- 下
第15話 Share a quarter -貴方のための唄-.5
あれから二週間。私は依然、和歌とまともな連絡を取れずにいた。
まさか、こんなにも機嫌を損ねてしまうとは思っていなかった…というのは、顰蹙を買うだろうが、それが私の本音だった。
どれだけメッセージを送ってもまともな返事はくれないし、電話をかけても出てくれない。怒らせたことは初めてではないが、こんなにも頑なに相手をしてくれない和歌は初めてだった。
無論、その状況で私が平気なはずもなかったのだが、以前のように私の心が大きく乱れることはなかった。それはひとえに、和歌とはきちんと向き合えば分かり合えるだろうという、経験に基づいた楽観的予測を持ったことと、もう一つ、私の心を違う方向に引っ張る変化があったからである。
その変化というのが…。
「先輩!…御剣先輩!」
音と音の間に割り込んでくるメロディに顔を上げる。ヘッドフォンで世界を閉ざしていた私に声をかけたのは、長瀬だった。
「聞こえてます?御剣先輩」
結い上げたポニーテールが揺れる。朝焼けみたいに明るい彼女は、そのまま上体を傾け、椅子に座る私に立ったまま目線を合わせた。
一瞬の逡巡の後、私はヘッドフォンを外した。
「なに」
セッションはみんなが揃ってからのはずだった。今は部室に私と長瀬、そして、伊藤しかいない。
「何を聴いているんですか?」
「は?」
「は、じゃなくてですね。ヘッドフォン!――あ、待って下さい、当ててみせます」
彼女は私の返事も待たず、ヘッドフォンから漏れ出る音に耳を澄ますと、すぐに口を開き、見事、曲名を当ててみせた。
「へぇ、やるじゃん」
私は気に入った曲ならメジャーなロックから、インディーズのものまで聞く人間だ。今はちょうどマイナーなアーティストの曲が流れ出ていたため、それをピシャリと当ててみせた長瀬には正直に感心したのだ。
「えへへ、私、御剣先輩と音楽の趣味合うんですよ。その曲が好きなら、アレとかも好きじゃないですか?」
嬉しそうに笑い、他のバンド名を挙げる長瀬。それらのことごとくが私の趣味ど真ん中だったから、無愛想で有名な私も嬉しくなって相好を崩す。
「よく分かるじゃん。正直、知ってる人間に現実で会うだけでも一苦労するのにさ」
長瀬は私の顔を見ると、少し驚いた顔をして硬直していたが、ややあってまた明るく笑うと、嬉しそうに言葉を紡ぎながらケースからギターを取り出した。
「御剣先輩の歌い方も、弾き方も、見る人が見ればどんなアーティストに影響を受けてるのか一目で分かりますよ」
「ふぅん…そう?」
「そうです」使い込まれた様子の残る赤いギターが、ケースからずるりと顔を出す。「御剣先輩の演奏、私、釘付けでした」
話の文脈が適切ではない気がしたのと、なにより唐突に褒められ、私はきょとんとした表情を浮かべ長瀬を見た。そうすれば、ギターのチューニングを始めていた長瀬が、私と目が合うや否や慌てた様子で首を振り、「あ、いえ、上手でしたから、分かりやすくて」と補足した。
私は、その後もモゴモゴ言いながらチューニングを続ける長瀬に怪訝な顔を向けていたのだが、そのうち、どうせ出会ったばかりの後輩が考えていることなど私には分からない、と一人で割り切り、再びヘッドフォンをはめようとした。しかし、その隙間に、長瀬が早口で割り込んできた。
「み、御剣先輩!」
勢いに驚いた私は、ヘッドフォンを両耳に当てる寸前の姿勢のまま硬直して彼女を見た。
「な、なに、大きな声出さないでよ」
「ごめんなさい。その、よろしければ、先に合わせませんか?」
「はぁ?」
私はこの眉間に皺を寄せた、『はぁ?』が相手を威圧すると気付かないまま続ける。
「ベースもキーボードもいないのに?」
「で、でも、ドラムはいますから」
そう言うと、長瀬は部屋の隅でドラムの準備を整えていた伊藤を指差した。指を差された伊藤はびくっ、と肩を跳ね上げながらこちらを見やったが、私と目が合うや否や、小動物が巣穴に逃げ込むように準備に戻った。
この二週間近くで、私は伊藤ととことん相性が悪いことに気づいていた。私のように他人に興味のない人間でも気づくのだから、彼女はある種分かりやすいタイプと言えよう。
とはいえ、実のところ私は、伊藤のことを初対面の頃ほど悪く評価していなかった。いや、むしろ高く評価していたと言えよう。あの小動物的性格さえ除けば、だが。
「それにほら、もう文化祭も近いじゃないですか」
「んー…」
私は文化祭、という言葉に反応した。
私たちはそこで一応、発表ステージを設けてもらっている。この間みたいに、吹奏楽部のおまけではない。きちんとメインを務めるのだ……まぁ、トリは吹奏楽部の連続演奏だが。
「……いいよ」
私は逡巡してから、そう答えた。別に文化祭の準備をしたいわけじゃない。ただ、和歌を招待している以上、格好悪い演奏はできないのも事実だ。
「わぁ、ありがとうございます!」
長瀬は快活に笑うと、急いで準備に取り掛かった。
ギターの準備を終えていた私は、マイクのほうに近づくと音の具合を少しの間確かめた。そして、二人の準備が完了したのを見計らって背筋を伸ばした。
「伊藤、リズム取って。よろしく」
「は、はい」
カツ、カツ、と助走が始まる。
私の身に起きた変化。
それは、長瀬友希と伊藤真那という二人の後輩の入部。
カツ、カツ、カツ…!
リズムに合わせて、弦を弾き始める。
音が弧を描くように部室の壁を撫でる。
防音材では飲み込み切れない音の濁流は、私と長瀬のツインギター、それから、伊藤のドラムから生み出されるものだ。
教科書通りと言えば聞こえは悪いが、丁寧で安定した長瀬のメロディ。メインギターを譲るつもりはないとハッキリ言い切られても、長瀬は嫌がることなくそれを受け入れ、サブメロディを担当してくれている。これがまた、奏のベースとは別の意味で私の輪郭を際立たせる。
伊藤のほうは、あの臆病さからは想像できないリズミカルさと力強さで音を打ち鳴らした。長瀬も経験者というだけあって十分な腕前だが、伊藤は明らかに趣味でドラムをやっている以上の技量を持っていた。これが、私に彼女の評価を改めさせる原因となったのである。
技量の獲得には執念が必要だから…賞賛しないわけがない。
旋律と共に、歌を乗せる。Aメロの穏やかさから一転、サビに入れば激しく歌い上げる。喉が気持ちよく拡張していくシャウトに、言葉では形容し難い昂揚感が胸を染める。
二人の入部で、音の幅が広がった。ひねくれ者の私でもハッキリ言いたいくらいの嬉しい変化だった。
ロックにはドラムのリズムはやっぱり必須だったし、私が複雑な音程の歌唱に集中するためにもう一本のギターも悪くはなかった。
でも、演奏が終わるとほんの少しだけ物足りなさを覚えた。理由は考えるまでもなく、奏のベースと霞のキーボードがないからだ。
(まぁ、気持ちいいんだけどね…)
鼻息を漏らした私の隣に、長瀬が早足で寄ってくる。
「御剣先輩、相変わらず歌もギターもお上手です!」
「…どうも」
あまり褒められるという経験に乏しい私は、こんなふうにストレートな承認を受けることに慣れておらず、どういう返答をしたらいいのか分からなかった。こういうところが無愛想と揶揄されるのだろうが、特段気にしてはいない。
嫌うのであれば勝手にどうぞ。
媚びを売って生きていくことほど馬鹿らしいことはない。
そうやって、私は多くの敵を作ってきた。
教師、同級生、先輩。会う度、会う度、嫌われ者になった。でもまぁ、ご近所づきあいとか、親族関係は頑張っている自負がある。
母を勘当同然で追い出したくせに家族面する祖父、祖母には初めこそ怒りを覚えたが、和歌と上手くやっていくため、そしてなにより、根本悪い人間ではないのだと母が笑うから、水に流すことにしている。
とにかく、そんな私だから後輩ともろくな関係は築けないとふんでいたのだが…。
「御剣先輩って、どこで演奏覚えたんですか?」
「え…」
「習い事とかあったんですか?それとも、友だち?もしかして、独学!?」
予想外なことに、この長瀬友希という人間は通例に当てはまらなかった。
「……なんで、そんなこと知りたいの」
「え、御剣先輩みたいに上手くなりたいからです!」
尻尾があればブンブン振っているだろう勢いで答える長瀬。正直、その間合いの詰め方に私自身翻弄されていた。
「…母さんだけど」
「えぇ!?お母様も弾けるんですか!?」
長瀬は時限爆弾でも見つけたみたいに驚くと、幼馴染らしい伊藤にも話を振っていた。だが、声が小さすぎて彼女の声はここまで聞こえなかった。不思議と長瀬には聞こえているらしかったが…。
霞でさえ、初めのうちの関係性は最悪だった。態度も口も悪い私を避けず、否定せず、自分の懐に迎え入れたのは和歌と奏と…この長瀬ぐらいのものだ。
「まぁ…このギターも、元々は母さんの物だし」
「へぇー、ビンテージな感じでかっこいいとは思ってたんですけど…どうりで」
自分の相棒を褒められて悪い気はしない。私は珍しく機嫌がよくなって、長瀬に言った。もしかすると、微笑んでいたかもしれない。
「昔はよく弾いてみせてくれた。上手かったよ。仕事が忙しくなって、ギターに触れる時間がなくなってからはもう見ないけど…たまに、私が弾いてるのを見た時は、なんだか嬉しそう」
「えぇ、いいなぁ…!私の家、お父さんもお母さんも『ギターなんて不良がするものよ。さっさとやめなさい』って厳しいんですよ!弾いてるところを見た日には、苦い顔しかしないです」
「ふふっ、古い価値観…ご愁傷様」
「ほんとですよ!御剣先輩のところは、お父さんもそんなふうなんですか?」
それは、本当に何気なく放たれた一言だった。
理由は分からなかったが、わずかに胸の奥の炎が大きくなる。しかし、それは別の何かに燃え移るようなことはなく、すぐに収まった。
「さあ、どうだか」水筒のキャップを開けながら、私は続ける。「私、父親の顔も見たことないから、知らない」
「あ――…」
真夏の晴れ空が、一瞬にして暗雲に飲まれ、夕立が降るかの如く、長瀬の表情が真っ暗に変わっていく。
「す、すみません、私、その、そういうつもりじゃなくて…」
空が曇る中、私のほうはというと、少し辟易とした気分にさせられていた。
こういう反応は初めてじゃない。だいたいみんな、タブーに触れたみたいな顔で謝り、離れていく。そういう態度のほうが失礼とは思わないのだろうか。
私は少しでも面倒なやり取りが早く終わればいいと思い、口を開く。
「いいって、そういうの。別に死んだわけじゃないし」
「え?」
「私のパパ、母さんを孕ませるなりどっか雲隠れしたんだよ。確証はないけど、遺影もないし、和歌さんの反応からしてもそんな感じみたいだし。絵に描いたようなクズだったんでしょ、きっと」
ごくり、ごくりと水筒の中身を喉に流し込む。毎日自分で準備しているお茶だった。
これで多少は罪悪感とやらが軽くなったか、と長瀬を見やると、彼女はますます顔を青くして言葉も出ない様子だった。
(…ちっ…そんなつもりじゃないんだけど…)
自分の生育環境を他人に聞かせて、同情を買うつもりなんて毛頭ない。むしろ、同情するやつは張り倒してやりたい人間なのだ。
そういう弱さとか、甘えとかを持った人間だと誤解されたくなかった私は、とっさに長瀬へ手を伸ばすと、その頭を撫でた。
「あぁもう…本人がいいって言ってんだから、そんな顔すんなって。人間きついのは、持ってたものが無くなるほうって、知らないの?一年」
こんな、他人をフォローするようなこと、まず絶対にやらない私なりに頑張ったつもりなのに、長瀬はとうとう涙を目に浮かべてしまった。
「えぇ…」と困惑する私を見かねたのか、いつの間にか彼女のそばに伊藤がやって来て、驚いたことに口を開いた。
「友希ちゃん、涙脆いので…気にしないであげて、下さい…」
「え、あ、ああ…」
そのまま、長瀬の背中をさする伊藤。彼女が徐々に落ち着きを取り戻しつつあることに安心したのも束の間、最悪のタイミングで霞と奏が部室に入ってきたせいで、まるで私が悪者みたいなからかわれ方をしてしまうのだった。
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