第2話 Share a quarter -私と姪-.2

 それから私は、時間があれば和葉の家を訪れる習慣が身に付いた。


 和葉は大喜びだったし、一葉も言葉に出すことはなかったが、喜んでいる様子に思えた。


 たまに泊まることもあったので、両親は何かしらの疑問を抱いているようだったが、友人が上手に口裏を合わせてくれたこと、学校の成績はみるみるうちに伸びていったこともあって、とやかく言われることはなかった。


 成績の向上も、実際、私が身に着けたこの習慣の副産物だ。


 一葉に単語を教えるにあたって、間違っていたり、答えられないことがあったりしてはまずいと、私は日頃から語彙力を高める勉強を行った。


 他にも、一葉が勉強したり眠ったりしている時間は、自分の勉強時間に使った。親がどういうことをしたのか、と聞いてくるときがあるからだ。


 そういうときに、実際の成果があると説得力が違う。


 私が中学校を卒業し、高校生になって大学受験の用意をしている間も、その習慣は変わらなかった。


 ただ、変わったことが二点だけある。


 一つは、とうとう両親に和葉の家を訪れていることがばれたことだ。


 きっかけは、長女への怒りが収まりつつあった両親が、何気なく私たち姉妹に葉書を見せたときのことだった。


 次女、三女にならって、驚いたふりをしてみせたのだが、うっかり口を滑らせて、一葉の名前を口にしてしまった。


 彼女の『ひとひら』という名前は、和葉が自分の名前と紐づけ名付けた当て字だ。『一葉』という名前だけを見て、『ひとひら』と読めてしまったことは確かに不自然極まりない。


 どうして知っているの、という指摘を受けた私は頭が真っ白になり、何とか言い逃れ出来ないかと頭を回転させていたのだが、それも無理だと悟り、観念して本当のことを話した。


 てっきり私も勘当同然の扱いを受けるのでは、と恐れていたのだが、両親は何ともいえない顔で、『姪想いだな』とむしろ、私を褒めるような言葉を口にした。


 きっと、両親なりに娘のこと、孫のことを心配していたのだろう。


 自分たちがあのとき下した決断は、本当に正しかったのか、二人で語り合うときもあったのではないか。


 そのため、私が高校生に上がる頃は、堂々と世話に行っていたし、食べ物なんかも持っていくことが出来た。両親も、金銭以外のあらゆる物を持たせ、私を送り出していた。


 そして、もう一つ、変わったことがある。


 これは、ある意味で自然の摂理と呼ぶべきものなのだろう。


 一葉が、次第に私を避け、言葉を交わさなくなったのだ。


 中学生になった頃から、その傾向が何となく見え隠れしていたのだが、私が大学生になった頃には、誰が見てもそれは明らかだった…。


 そして、とうとう決定的な溝が生じることになる一件が起こった。


 地元の国立大学の二回生となっていた私は、様々なことに取り組む傍ら、和葉の家を訪れていた。


 バイトやらゼミ、試験、少し先の就活…。


 いやに執拗な捕食者のように私の背中を追いかけて来るそれらから、唯一逃げおおせることの出来る場所が和葉の家だった。


 自分で選んでいることなのに、追われているような気分になるのはどうしてなのだろうか。


 両親の援助もあって、ボロアパートから、普通の団地に引っ越せていた和葉と一葉は、相変わらず、すれ違うような時間を過ごしていた。


 その日も、和葉と入れ替わるようにして帰って来た一葉は、私の姿を見て、すっと目を細め、一瞬だけ苦々しい顔つきになった。


 昔と変わらないどころか、むしろ孤独に慣れ親しみ、孤独に居場所と意味を見出した瞳がそこにはあった。


 私が注ぎ込んだ時間と愛情は、どうやら花を咲かせることはなかったようだ。


 一葉は、そう思わせるには十分すぎるほど物静かで刺々しい少女に育ってしまっていた。容姿の美しさだけが、何の問題もなくスクスクと育っている部分だった。


 「行ってきます」という和葉の言葉にツンとした声で、「はい」とだけ他人行儀に答えた一葉は、そのまま自分の部屋にこもってしまった。


 (どうやら、私はもうお邪魔虫みたい…)


 肩を落としながら、私は一人台所で考える。


 もしかすると、友だちでも連れてきたいのかもしれない。いや、彼氏だろうか…。


 一葉は、美人な和葉に似たのだろう。身長はめきめき伸びて、目鼻立ちもすっと通った美人顔に育っていた。


 とっくに私を追い越した身長は、目測で165cm弱はある。手足もすらりと伸びていて、私と姪に血の繋がりがあるとは思えなくなりそうだった。


 肩ほどまでの長さの髪はサラサラしていて、内側にくるんと巻いてあった。


 その後、私がじっと、リビングで読書に耽っていると、不意にチャイムが鳴った。


 どうやら荷物が届いたようで、ここの住人でもない私が受け取るのはいかがなものかと思ったが、一葉が出てこないので、仕方がなくサインをして受け取る。


 送り先には一葉の名前が書いてあり、一瞬迷った後、片手で持てる、薄っぺらなダンボ―ルを手に彼女の部屋の前に移動した。


 コンコン、とノックをする。


 返事がない。


(勝手に開けるのは、絶対怒るよなぁ…)


 そう分かっていながらも、私はこっそりとドアノブを回さずにはいられなかった。


 怒られたら、怒られたときだ。


 私らしくもない大胆さが顔を見せたのは、ひとえに、最近は質問も何もしてくれなくなった、可愛い姪と、また話をするきっかけが欲しい、という考えからだろう。


 今考えれば、本当に浅慮な行動だが、それくらい、同じ家にいながら、彼女と疎遠になっていたのだ。


 扉を開けると、ヘッドフォンを着け椅子に片足上げたまま、ギターを抱える一葉の姿があった。


 ギターから伸びた太いコードは、床の上に置いてあるアンプに接続されており、そこからまたヘッドフォンにコードが伸びている。


 室内の壁には、ところせましとロックバンドのポスターが貼ってあり、一目見ただけで、彼女が音楽に熱中していることが分かった。


 声をかけるか迷っていると、開け放った扉が壁に当たって、鈍い音を立てた。


 その振動でバッと勢いよく振り返った彼女の瞳には、驚きと、怒りが半々になって渦巻いており、それを他人事のように見つめていた私は、あぁ、怒られるなぁと考えていた。


 ヘッドフォンを外し、眉間に皺を寄せた一葉が、棘のある声で言う。


「何で勝手に入って来てんの」


「あ、ごめんね…、荷物――」


「そんなの、部屋の前にでも置いてればいいじゃん!」


 そう怒鳴りつけながら立ち上がった一葉は、ひったくるようにして荷物を奪い取ると、いつまでも立ち尽くしたままの私を一瞥した。


「なに、何か用?」


「あ…、一葉ちゃん、ギター好きなんだね」


 ここで何か言わなければ、もう二度と彼女とまともに言葉を交わせない気がして、無理やり紡いだ言葉だった。


 しかし、それは逆効果だったようで、一葉はムッと眼尻を吊り上げ、吐き捨てるように言った。


「アンタに関係ないじゃん」


(アンタ…)心の中でそう唱える。


 理不尽な怒りをぶつけられた腹ただしさよりも、あんなに懐いてくれていた一葉が、私のことを『アンタ』呼ばわりしたこと、そして、無関係の境に押し飛ばされたことが悲しくて、じわりと、涙が滲む。


 情けない。年下に、しかも姪っ子になじられて、泣くなんて…。


 パッと重なった視線の先、一葉が驚愕したように目を見開いているのが分かった。


 (うざい、とか思われてるんだろうな)


 そう考えると、もうその場にはいられなくなる。


「…ごめんね、もう来ないから」


 そんなふうに告げるのが、精一杯だった。


 そして、私は彼女たちの家に行かなくなった。


 冷静になって考えれば、姪も大きくなったのに、いつまでも彼女らの関係に首を突っ込むのは、間違ったことなのかもしれないと思ったのだ。

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