第29話 足止め
ミシャーナが侯爵の住むサルディーン領に到着したのは、わずか数分前のことだった。
ベジ町を含む五つの領で構成されている「サラデル地方」を統括しているのが、サラディア侯爵だ。
四つの領の中心にあるサルデーン領の主都サラドールは、ベジ町からミシャーナの本気の俊足で約二時間ほどかかる距離にある。
セリシエ領からは、馬車を乗り継いでも七日はかかる距離だ。
それなのに。
昨日アメンの町でミシャーナにすり寄っていたあの男が、目の前に停車している馬車から降りてきたのだ。
一緒にいる令嬢は、アメンの町でリーブが開催していたパーティで、あの男のパートナーをしていた女性だ。
今からミシャーナが直訴する予定のサラディア侯爵邸に、二人は和やかな笑顔を浮かべながら入って行く。
――どうして? どうしてセドリックがここに? それに、私やフィンのような能力も無いのに、どうしてこの距離を一日で移動出来るの?
ミシャーナは目の前の光景を幻か何かだと思いたかった。何度も目をしばたたかせたが、幻は消えることなく目の前に存在する。
気付いてすぐ隠れた建物の影から、どうしたものかと思案するが妙案は浮かばなかった。
状況から察するに、あの女性はサラディア侯爵の娘だろう。
あの男は実家から勘当されたその翌日に、トゥランゼル男爵家の長女と婚姻しただけでなく、結婚後すぐに隣領のパーティに女連れで出席するような
一体ミシャーナと婚約している五年間で、どのくらいの女と縁を結んでいたのだろうか。
――クズ中のクズね、
ミシャーナは力強く握り込んだ拳を、怒りのあまりわなわなと震わせた。
せっかく順調だった告発までの道筋が、元婚約者の思いもよらぬ登場によりうまく行かない。それよりも、昨夜のパーティー会場で父からこっぴどく懲らしめられたはずなのに、笑顔で妻以外の女性と歩いていることに腹が立った。
――どうしよう、せっかくここまで来たのに。でもあの男と顔を合わせたくないわ。どうやってこの街に来たのか分からないけれど、何とかしなくては。
ミシャーナは暫く侯爵邸の前に貼り付いて、セドリックが屋敷から出てこないかを観察していたが、夕方になっても誰も屋敷から出てくることはなかった。
本来ならすぐにベジ町に戻る予定だったが、成果がなくては戻れない。フィンとテレサは領主を奪還しているはずで、自分だけが何も為せなかったとは言えるはずもなく、ミシャーナは責任感からこの街に一泊することにした。
翌朝、どうにかして侯爵に訴状を渡すために計画を練るのと同時に、書類を今より丁寧にまとめる時間も稼げると考えた。
――悪い事ばかりじゃないわ。書類をまとめれば、もっと円滑に話ができるもの。
ミシャーナはサラドールの街を足早に散策し、夜が近付き店じまいを始めた洋服店で変装用の平民服を一式購入した。その足で、見つけた安宿で宿泊の手続きをすると軽く食事を済ませ、書類をまとめ直す。
異常なほど税が徴収されているのに、報告書には税収減と書かれている。
飢饉でもベジ町は豊作続きだったはずなのに、作物は不作とも書かれている。
「酷いわ。税収の七割近くが誰かに横流しされているなんて、民衆を何だと思っているの」
ミシャーナは一息つくと、荷物の中から小さな小箱を取り出した。質素な小箱を開け、中に施された美しい装飾を指でなぞる。
思えば、この魔法の小箱を使ってやり取りしていた相手はフィンだった。
――昔から私の傍に居てくれた大切な人。
ミシャーナは机の前にある小窓を開け、空に小さく浮かぶ月を眺めた。月の光が手に持った小箱を照らした思うと、いきなり激しい光を放った。
ミシャーナは驚いてとっさに窓を閉めたが、小箱の中に装飾されている宝石のひとつが眩しいほど光り輝き、止む気配がない。
「この光、どうしたら消えるの?」
慌てて光を遮ろうと手で覆った瞬間、フィンの声が耳に届いた。
「……サ……ミサ……聞こえる?」
「ふぃ、フィン!? どこ?」
部屋を見回したが、どこにもフィンの姿は見えない。少しだけ落胆したミシャーナに、更にフィンからの言葉が届く。
「宝石と月の力でお互いに話が出来るようになったんだよ。ミサ、大丈夫?」
言われてみれば、宝石から声が聞こえる。ミシャーナはフィンの声を聞いて心が満たされていくことに気が付いた。胸が暖かくなり、なぜか力が湧いて来る。
「心配しないで、今日は侯爵さまにお会いできなかったの。明日の朝から謁見を申し込むつもり」
セドリックのことはあえて話さず世間話をしたあと、フィンとテレサが領主を助け出せた報告を聞いて喜んだ。そして領主とテレサの回復のために、付きっ切りになるフィンを労った。
フィンとの会話が終わると、ミシャーナは新しい便せんを取り出した。
セドリックについて調査するよう書き込むと、丁寧に折られた手紙は小箱に入れられ、アリアの元へ届けられた。
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