第10話 犯人捕縛

「大丈夫!?」


 青ざめた顔のフィンが顔を覗き込んだ。ミシャーナの目は、恐怖と安堵が入り交じった涙で溢れていた。


「こ、怖かっ……」


 言葉が上手く出ず、そのままフィンに抱き付くと震えて嗚咽を上げる。

 フィンはそんなミシャーナの背中を、優しくぽんぽんと叩いた。


 「そうだね、僕も怖かった」


 そう言うと、ミシャーナを抱えて近くにある椅子に座らせる。

 本音を言えばその場で大泣きしたかったが、ミシャーナはフィンを困らせてはいけないと歯を食いしばり、そうするうちに次第に冷静さを取り戻していった。


 フィンは倒れた男を家の中にあったシーツで巻きにすると、手際よくシーツごとロープで拘束した。


「よし、これで気が付いても逃げられない」


 フィンが男を縛り上げた頃には、ミシャーナの目にもう涙は流れていなかった。男が拘束され、知り合いが助けてくれたことで冷静さを取り戻していた。


「あ……あの、どうして?」


 丁寧に言葉を紡ぎたいのに上手く纏まらない。頭は冷静だったが、強いストレスがミシャーナの脳を混乱させていた。


「ミサが心配だったから――きみの家に着いたら扉は外からかんぬきがされているし、中から戸を叩く音や叫び声は聞こえるしで、すごく慌てた」


 一時は記憶も曖昧だった男が、なぜか対峙すると名前まではっきりと思い出す。そしての出来事も鮮明に脳内に蘇り、ミシャーナは急に恥ずかしくなった。


「ありがとうございます。本当に助かりました」


 顔を両手で覆い、フィンの顔をまともに見ることができない。


「そっか、一緒の部屋にいるのは怖いよね。この男を警らに引き渡す方が先かな」


 フィンは腰に手を当て、この男をどうするべきかと思案しているようだった。そして、いきなり男を担ぎ上げた。どう見ても力持ちには見えないフィンが軽々と倒れた男を担ぎ上げる姿に驚くと同時に、男の姿を見てまた恐怖が蘇った。


「一人にしないで……」


 思わず呟いたその言葉にミシャーナ自身も驚いた。こんなに弱弱しく誰かにすがる自分が居ることに衝撃を受ける。あの夜も同じようにフィンに甘えたが、それは酒に酔っていたことも手伝ってのことだ。


 混乱しているミシャーナを見て、フィンは柔らかな笑顔を浮かべる。


「確かにこの家に一人は怖いよね。町はずれの一軒家だし、僕で良ければ朝まで一緒にいるよ。朝になったら一緒に警らを呼びに行こう?」


 フィンに対して、なぜこんなにも警戒心が薄いのか不思議に思ったが、ミシャーナは自らの直感に従いフィンの申し出を受け入れた。


 フィンは監視できる位置に男を置くと、ミシャーナの視線を遮るように隣に座った。


「そろそろ僕を思い出した?」


 にこやかに問うフィンの笑顔がミシャーナの緊張を溶かす。


「またその質問? ふふっ」


 冗談のおかげで、次第に襲われた恐怖は頭の隅の方へ追いやられていった。ミシャーナは「少し待って」と立ち上がるとキッチンからミルクを注いだマグカップを二つ持って来た。


「今日買ったばかりの新鮮なミルクなので、どうぞ」


 出されたミルクを受け取ると、嬉しそうにフィンは口を付ける。


「甘くて美味しい!」


「そうね。今朝の搾りたてだから味は極上だわ」


「ははっ」


 ふいにフィンが笑うので、ミシャーナは驚いた。


「何かおかしい?」


「うん、ミサが丁寧な言葉で話さないのが嬉しくて。あの話し方、他人行儀だろ?」


 言われてみれば、癖で丁寧に話していたことに気付く。これからも貴族の癖が抜けないまま、相手の顔色を窺って生活していくのだろうか。


 ――私は気付かずに、人との線引きをしていたの?


「善処します」


「もっと自分を殺さずに話してよ。そうしたら僕を思い出すよ」


「またそれ?」


 二人で顔を見合わせて笑っていると、小さなうめき声が聞こえてきた。捕らえた男が目を覚ましたのだ。フィンはマグカップをテーブルに置くと、男の方へ近づいて行った。


「具合はどう?」


 男はフィンを見ると、目覚めたばかりだというのに鋭い眼光で睨みつける。


「いいわけないだろ、お前は誰だ? どうして俺の家にお前みたいな優男がいて、女とちちくりあってるんだ?」


 最低な言葉を投げかけ、侮辱するように男は笑った。ミシャーナの場所から顔こそ見えないが、フィンの怒りは背中越しでも容易に分かった。

 フィンは男の頭を指だけで掴むと、笑顔のまま尋問する。


「ここは正式に契約した家で、彼女に居住権がある。それで誰の家だって?」


 ゆっくりと指に力が込められていく。フィンのどこにそんな力があるのかと思うほど頭が絞められ、終いには激痛が走り男は慌てた。


「痛、痛い、やめてくれ! は、話すから」


 フィンは力を緩め話を続けるよう促した。顔には笑顔を浮かべているが目は笑っていない。痛みと言う恐怖を植え付けられた男は、素直に尋問に答えた。


 男はこの家の元の持ち主で、借金苦で逃げたように見せかけ、屋根裏に潜伏していたのだと言う。人の多い時間に出かけては、食料などを調達していたそうだ。

 良く話を聞くと、リーブの財布をスった犯人もこの男だった。

 ミシャーナが住み始めたことで家に潜伏できなくなることに焦り、スった金で家を買い戻そうと考えたらしい。

 しかし家を買い戻すにしては金額が少ない。その程度の金銭感覚と倫理観しか持たない男に、何を言っても通じないだろうとミシャーナは頭を抱えた。


「あなたがしたことは犯罪です。借金を踏み倒したことも、私を脅したことも」


「そうそう、しっかり罪を償った方がいい。彼女を侮辱したことも、僕は許さないけどね」


 怒気を孕んだフィンの言葉に焦った男は、芋虫のように這いつくばりミシャーナに許しを乞うと、きちんと罪を償うことを条件にミシャーナは男を許すことにした。

 心から許したわけではないが、そうしたほうがお互い良いと思ったからだ。


 翌朝、警らに男を引き渡し家に戻ると、緊張の糸が切れたようにミシャーナはその場に崩れ落ちた。


 慌てたフィンが抱きとめると、ミシャーナは寝息を立てている。


 フィンは「自分という男が隣にいるのに眠ってしまうのは警戒心が足りな過ぎる」と文句を言いながら、ミシャーナをベッドに運んで寝かせた。


 その寝顔はとても愛らしかった。いつまでも見ていたい程に……

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