第14話「選択と契約解除」

秋雨が静かに降っていた。

午後4時の教室は、まばらに人が残っているだけだった。

模試が終わった翌週。

学校は、日常に戻ったはずだった。


だが、レンの中ではまだ、ひとつの扉が閉じていなかった。


帰りのホームルームを終えたあと、彼は一人図書室の奥の席に座っていた。


スマートフォンを開くと、そこには見慣れた灰色のアイコン。

《Shadow》のログイン画面。

使用履歴は「未使用」のまま止まっていた。


アプリを開こうとしたときだった。

突然、画面が切り替わり、通知が表示された。


📩【GhostCoder】

「君がここまで使わなかったのは、誇りに思うよ」

「でも、満足してるのか? “正しさ”だけで、どこまで行ける?」


レンは眉をひそめた。


「本番では、出題形式も不規則になる。

東大のような記述・誘導形式には、最新AIが圧倒的に強い。

それでも、“自力”にこだわる?」


「君は“弱さ”を隠すために使った。でも、“強さ”のために使う選択もあるはずだろ?」


画面には、「Shadow-Z」アップデートのリンクが点滅していた。


次世代バージョン。

完全匿名化通信対応、リアルタイムOCR精度98%、リスニング対策の自動同期。

そして、「AIによる自動作問・逆学習」機能。


(もう、俺には必要ない……)


そう思いたいのに、心の奥には微かなざわつきがあった。

「正しく生きる」ことと、「負けたくない」ことは、ときに矛盾する。


画面を見つめる指先が、リンクの上で止まったその瞬間――


レンは、別のファイルを開いた。


ノートアプリに保存していた、自分が数週間前に書いた文章。


「問いを持つ人間になれ。

答えを待つAIより、ずっと難しくて、ずっと面白いから。」


雨音が、静かに耳を満たしていく。


レンは、スマホの設定を開き、アプリケーション管理を開いた。


《Shadowを削除しますか?》

 この操作は元に戻せません。


「……さよならだ」


彼は、躊躇なく「OK」をタップした。


画面が一瞬だけ暗くなり、そして何事もなかったかのようにホームに戻る。


灰色の目のアイコンは、もうどこにもなかった。


その夜。

GhostCoderから、最後のメッセージが届いた。


「了解。君は“正しい未来”を選んだんだな」

「でも、“正しさ”は時に孤独だ。忘れないでくれ。

AIはいつでも、君のそばにいた。君より君を理解していた」


しばらくして、そのアカウントは消えた。

IDも履歴も、どこにも残っていなかった。

まるで最初から存在しなかったかのように。


(結局……あいつ、何者だったんだ?)


レンにはわからなかった。


だがそれでよかった。

答えが出なくても、自分は“問い”を手に入れたのだから。


翌日、レンは自分のノートを持って屋上に向かった。

そこには芽衣がいた。

彼女は空を見上げていたが、レンが来たことにすぐ気づいて微笑んだ。


「来たね、勉強会」


「おう。今日は俺、教える側な」


「えー、頼もしい」


二人はノートを開いて並んで座った。


そこにはもう、AIの影はなかった。


あるのは、人間の字。

迷って、間違って、それでも書き続けた字。


それは、レンが“自分の選択”で書いた、最初の文字たちだった。


教室の片隅、職員室で咲がデータレポートを確認していた。


《EX-17(瀬川レン)》

 Shadowアプリ:削除済

 MIRAI記録:AI反応なし/不正兆候ゼロ

 注視/筆記挙動:正常

 学習傾向:安定・自律学習モード移行


咲は、報告メールに一行だけ返した。


「“契約は破られた”。今、彼は自分と再契約したのよ」


空は晴れていた。


雲はあるけれど、今日のレンにはその向こうがちゃんと見えていた。


Shadowとの契約を解除した今、ようやく彼は、自分と未来の契約を結び直したのだった。


▶次回:第15話「新しい勉強法」

Shadowの消えた日々。レンは自分の“頭”で、AIと共存できる学び方を探し始める――芽衣と咲の支えのもと、再出発の日々が動き出す。

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